2020年9月4日金曜日

【読書感想文】めずらしく成功した夢のコラボ / 森見 登美彦『四畳半タイムマシンブルース』

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四畳半タイムマシンブルース

森見 登美彦 (著)  上田 誠 (企画・原案)

内容(e-honより)
炎熱地獄と化した真夏の京都で、学生アパートに唯一のエアコンが動かなくなった。妖怪のごとき悪友・小津が昨夜リモコンを水没させたのだ。残りの夏をどうやって過ごせというのか?「私」がひそかに想いを寄せるクールビューティ・明石さんと対策を協議しているとき、なんともモッサリした風貌の男子学生が現れた。なんと彼は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたという。そのとき「私」に天才的なひらめきが訪れた。このタイムマシンで昨日に戻って、壊れる前のリモコンを持ってくればいい!小津たちが昨日の世界を勝手気ままに改変するのを目の当たりにした「私」は、世界消滅の危機を予感する。『四畳半神話大系』と『サマータイムマシン・ブルース』が悪魔合体?小説家と劇作家の熱いコラボレーションが実現!

おもしろ!

森見登美彦の小説『四畳半神話大系』も映画『サマータイムマシン・ブルース』も大好きな作品だ。
どちらも伏線回収が見事で、見終わった直後にまた見返したくなる作品だ(じっさいどちらも二回ずつ見た)。

そんな二作品が夢のコラボ!

奇しくもぼくは数年前、『四畳半神話大系』の感想文で『サマータイムマシーン・ブルース』について書いている。

「なくなったクーラーのリモコンを取りに行く」ためだけにタイムマシンを使う『サマータイムマシーン・ブルース』という映画がある(奇しくもこれも頽廃的な大学生の物語だ)。『四畳半神話大系』では並行世界の自分の存在を感じとることができ、『サマー・タイムマシーン・ブルース』ではタイムマシンで過去に戻ることができるが、どちらもたいしたことをしない。うまくいかないことは何度やりなおしてもうまくいかないし、付きあう友人は自分の身の丈にあったやつらになる。

ちゃあんとこの二作品の共通点に気づいていたのだ。
えらいぞぼく! いよっ先見の明!


だがこのコラボ作品の存在を知り、おもしろそうと期待すると同時に一抹の不安もおぼえた。

世の中にある「夢のコラボ」はたいていおもしろくないからだ。
両方が遠慮してどっちつかずの無難な内容になったり、片方の持ち味が損なわれてしまったり。へたすると両方の持ち味が失われて「もうこれ誰も得してないじゃん……」になったり。

そんなわけでおそるおそる読んでみた『四畳半タイムマシンブルース』だが、ぼくのつまらぬ心配は杞憂だった。
ちゃんとおもしろい。

両方の良さがちゃんと発揮されている。



オリジナルである舞台版は観たことがないので知らないが、映画『サマータイムマシン・ブルース』はまちがいなくおもしろい作品だ。だが、欠点がある。

それは「前半がとにかくつまらない」ということだ。

大学生の退屈な生活がだらだらと描かれる。
何も起こらない。みんな覇気がない。
伝わってくるのは夏のけだるい空気だけ。観ているこちらまでぐんにゃりしてくる。
おまけにわけのわからないことがちょこちょこ起こる。大きな事件というほどではないのだが、ちっちゃな不可解が積みあげられていくのでもやもやだけが残る。

だがこれは「必要不可欠な伏線」だ。
ただ退屈だった前半が、タイムマシンの登場によって一気に様変わりするところは大きなカタルシスを与えてくれる。
あのつまらないシーンもあのくだらない会話もあの理解不能な行動もぜんぶこういう意味があったのか! と、世界が一変する。

『カメラを止めるな!』に近いものがある。
伏線がつまらないからこそ回収段階がスカッとするんだけど、でも世の中には伏線段階すらおもしろい作品もあるからなあ。


しかし『四畳半タイムマシンブルース』では、その「前半がとにかくつまらない」が解消されている……ようにぼくにはおもえた。
まあこれは『四畳半神話大系』を読んで、「私」、明石さん、小津、樋口師匠、城ヶ崎氏、羽貫さん、相島……といった面々のキャラクターを知っているからでもある。
おなじみのメンバーがどたばたとやっているので「必要不可欠なつまらない前半」もそこまで退屈なものではない。

だからこの小説を読む前に、できたら『四畳半神話大系』だけでも読んでおいたほうがいい。そっちのほうがだんぜん楽しめるはず。

映画版だと、登場人物のキャラクターや関係性が所見でわかりにくかったので、おなじみのメンバーが動き回っているのは助かる。

キャラクターは『四畳半』だが、物語は『サマータイムマシン・ブルース』のストーリーを忠実になぞっている。

つくづくおもうのは「いい脚本だなあ」ということ。
ほんとによくできている。
タイムトラベルというむずかしいテーマを扱いながらも矛盾がない。それでいてやっていることは「クーラーのリモコンを過去や未来に運んでるだけ」なので、ばかばかしさとのギャップがおもしろい。

映画版だとそのストーリーの良さをじっくり味わうひまがなかったんだけど、小説だとじっくり噛みしめることができた。
舞台版は観たことないけど、もしかしたら小説や漫画のほうがマッチしているストーリーなのかもしれない。



ストーリーはちゃんと『サマータイムマシン・ブルース』でありながら、ところどころに『四畳半』をにおわせてくれるファンサービスがあるのもうれしい。あ

「それは君がまだ自分の可能性を試していないからなんだよね。もしもうちの大学へ入学することになったら、新歓の時期に時計台下へ行ってみるといい。そこではありとあらゆるサークルが新入生を迎えようとして待ってますから。無限の未来への扉が開かれている。学生時代を有意義に過ごしたいならサークルに入りなさい。傍観者みたいに外から眺めていたって未来は切り拓けない」
「でも僕、とくに興味のあるサークルなんてないんですけど」
「興味なくてもいいから入りなさい」
 相島氏は眼鏡を光らせてビシャリと言った。
「さもないと君は不毛きわまる四年間を過ごすことになる。たとえばこんな四畳半アパートの一室にひとりで籠もっているとしよう。こんなところにどんな可能性がある? ここには恋も冒険もない。なーんにもない。昨日は今日と同じで、今日は明日と同じ。まるで味のしないハンペンのような毎日ですよ。それで生きていると言えますか?」

下鴨幽水荘がかつて沼だったとか、後付けにしてはよくできたエピソード。

あと『サマータイムマシン・ブルース』では失恋を予感させるオチになっていたのに対し、『四畳半タイムマシンブルースは恋愛成就を予感させる(というかほぼ断定している)のも、個人的には好き。

こういうばかばかしいお話にはとってつけでもいいからハッピーエンドあったほうが収まりがいいとおもうんだよね。

オリジナルの「たぶん無理だけどまだあきらめんぞ!」という印象のラストの台詞も好きだけどね。


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