『13・67』
陳 浩基(著) 天野 健太郎(訳)
香港の作家が書いたミステリ小説。重厚かつ繊細な物語でおもしろかった。
ミステリには「本格」「社会派」というジャンルがある。ざっくりいうと謎解き自体を楽しむのが本格派、事件が起こった社会的背景を描きだすのが社会派だが(すごく雑な説明です)、短篇集である『13・67』はひとつひとつの作品は謎解きメイン、しかし六篇すべてを読むことで香港警察という組織がどのように社会と向き合ってきたかという歴史が見えてくる。短篇としては本格派、短篇集としてみると社会派ミステリになっているという変わった趣向だ。
変わった趣向といえば、第一話で「主人公が死を前にして言葉も発することもできずにベッドに横たわっている」という設定から入るのもおもしろい。主人公がスタートした状態で幕を開ける落語『らくだ』のような導入だ。
ここからどう続けていくのだろうと思っていたら、時系列を逆にして(リバースクロノロジーというらしい)、徐々に主人公クワンが若い時代の話が語られてゆく。
物語の舞台は、第一話は2013年、第二話は2003年、第三話は1997年、第四話は1989年、第五話は1977年、そして最終第六話は1967年である。この間、租借地であった香港ではイギリスや香港警察に対して暴動が起こり、少しずつ民主化が進み、イギリスから中華人民共和国へと変換され、そして再び政府や警察に対する不満が募る時代へと変わってきている。
こうした時代の変化が、『13・67』ではさりげなく、しかし丁寧に描かれている。
ちょうどこないだ読んだ『週間ニューズウィーク日本版<2018年3月13日号>』の『香港の民主化を率いる若き闘士』という記事に、こんな記述があった。
返還当初は「香港は香港がこれまでやってきたやりかたを維持していいよ」と約束していた中国だったが、少しずつその約束は反故にされ、イギリス統治下の香港に根付いていた民主主義は奪われていった。それを指示したのは中国共産党だったが、手先となり実際に民衆を抑圧したのは香港警察だった。
民衆の味方ではなくイギリス(作中の言葉を借りるなら「白い豚」)の手先であった香港警察が徐々に市民から信頼されるようになり、そして今度は中国共産党の手先となってまた信頼を失ってゆく姿がミステリを通してありありと描かれている。
描かれている事件はフィクションだが(事実を下敷きにしているものもあるらしいが)、まるでルポルタージュを読んでいるような気分になる。
イギリス、中国共産党、犯罪者、警察組織、そして市民。それぞれの間で葛藤する香港警察官の苦悩が伝わってくるようだ。
なるほど、これはたしかに読みごたえ十分のミステリだ。
このような骨太のミステリが日本でもアメリカでもなく、香港で生まれたということに時代の移り変わりを感じる。
ミステリとしてはやや粗も目立つ(第一話『黒と白のあいだの真実』などは都合よく展開しすぎだし、第六話『借りた時間に』ではそれまでの短篇と語り口が変わってしまうのでラストのどんでん返しを察してしまう)。しかしエネルギーがみなぎっているため細かい粗は吹きとばしてしまう。それぐらいパワフルな筆力だ。
訳もいい。訳者はミステリの訳には慣れていないらしいが、香港に関する知識の乏しい読者でも抵抗なく読めるようよく工夫されている。
主人公クワンの大きな正義のために小さな悪には目をつぶるというハードボイルドさが痛快だ(平気でおとり捜査や不法侵入もしてしまう)。
これが日本警察を題材にしていたら「こんなめちゃくちゃな捜査する刑事いねえよ。完全に違法捜査じゃねえか」と思うけど、香港というなじみの薄い舞台のおかげで細かい点も気にならない。
そんなまさか、と思いつつも、いや香港ならひょっとしたらありうるかもしれないという気になる。なにしろジャッキー・チェンが『ポリス・ストーリー/香港国際警察』をやってた街だからね。その他の読書感想文はこちら
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