2018年10月1日月曜日

作家としての畑正憲氏

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中学生のときぼくが好きだった作家のひとりが畑正憲氏だ。

……というと、たいていこう言われる。
「畑正憲? 知らないなあ」

「ほら、ムツゴロウさんだよ。知ってるでしょ」

……というと、たいていこう言われる。
「えっ、ムツゴロウさんって作家なの?」


今から二十年ぐらい前には『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』というテレビ番組があった。そのイメージが強すぎたので「動物たちと暮らしてテレビに出るのを生業としている変なおっちゃん」と思っている人が大半だった。
それはそれでまったくの間違いでもないのだが、畑正憲氏のおもしろさは著作にいちばん現われているとぼくは、テレビのイメージがひとり歩きしていることに不満だった。

たしかに畑正憲氏は奇人だ。
動物の身体をべろべろなめたり、動物のおしっこを飲んだり、飼っていた動物が死んだら食べたり、テレビで観る分には「イカれているおじさん」だった。
でもそれは一面しか表していない。
彼の著作を読むとわかる。「めちゃくちゃイカれているおじさん」だということが。

テレビで映されるのは彼のぶっ飛んだエピソードのうちほんの一握りにすぎない。その数倍の奇行や蛮行は、あまりに異常すぎてテレビで放送できなかったのだろう。


畑正憲氏のエッセイは、エロ、バイオレンス、ばかばかしさにあふれていた。
でもそれらはすべて科学的視点に基づいたものだ。
ばかな人がばかなことを言うのと、賢い人がばかなことをいうのはぜんぜん違う。畑正憲氏は圧倒的に後者だ。東大から理学系の大学院に行って研究をしていた人なので豊富な知識と優れた洞察力がバックボーンにある。それをもとにばかを書いているのだからおもしろくないわけがない。

彼のエッセイはどれもおもしろかった。金がなかった中学生時代、古本屋をめぐって数十冊集めていた。
似たようなタイトルの本を何十冊も多く出していたので、まちがって買わぬよう、ぼくの財布には「まだ買っていない作品リスト」を書いたメモがしのばせてあった。

特に好きだったのが『ムツゴロウの博物誌』シリーズだ。
これは初期の傑作で、エッセイとフィクションが絶妙にまじりあったふしぎな話が並んでいた。エッセイのような書き出しなのに急に訪ねてきた客人がナマコだったり、魚が突然を口を聞いたり、自然とフィクションへと移行するのだ。
息をするようにほらを吹く畑正憲氏の技法はすごく好きだった。

ああいうエッセイ(というか半分ほら話)を書く人は他にちょっと知らない。
まったくのでたらめというわけでもなく、豊富な知識に裏打ちされたばか話だからこそおもしろいんだろうな。

畑正憲氏の著作がほとんど絶版になっているのは寂しいことだ。
学生時代に読んでいた本の多くは手放したが、畑正憲作品はすべて実家の押し入れに眠っている。

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