2018年8月3日金曜日

大阪市吉村市長は学力低下の産物

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「学テ」結果、校長や教員のボーナス、学校予算に反映へ…最下位状態化に危機感 大阪市の吉村市長方針

http://news.livedoor.com/article/detail/15103783/


じっさい大阪市の教育水準低下は深刻だ。
なにしろ、重要なことを決めるにあたって少しも歴史やデータを調べようともしない吉村洋文のようなバカを生みだし、さらにはそのバカを大阪市長に選んでしまったのだから。
これは教育の失敗の結果といわざるをえない。

大阪市で何が起ころうとしているのか。
 大阪市の吉村洋文市長は2日、今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の総合成績が昨年度に続き、政令都市の中で最下位になったことを受け、「抜本的な改革が必要だ」として、学力テストに具体的な数値目標を設定、達成状況に応じて校長、教員のボーナス(勤勉手当)や学校に配分する予算額に反映させる制度の導入を目指す考えを明らかにした。 

どうやら吉村市長は「子どもたちの学力に応じて教員のボーナスを決めれば子どもの学力が伸びる」と考えているらしい。
ここには何重もの過ちがある。

まず、こんなことをしても教員はやる気にならない。むしろ逆効果だ。
ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』にこんな一節がある。
人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば、数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間あたり三〇ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし、その後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引きうけると答えた。
今、子どもたちに勉強好きになってもらおうとがんばっている教員たちはたくさんいるだろう。彼らはボーナスの査定のためにやっているのだろうか。そういう教員もいるだろうが、むしろ少数派ではないだろうか。
彼らの行為に対して報酬をちらつかせることは逆効果だ。もちろんがんばっていることは評価したらいいが「結果を出したらボーナスはずんでやるよ」ということで彼らがよりいっそうがんばるようになるかというと、まったく逆だ。

ほとんどの親は子どもの運動会で一生懸命走る。がんばっても何ももらえないのに。
ではレース前に「一等になったら百円あげます」と言ったらどうなるだろう。
百円のために一生懸命走っているようで恥ずかしい、みっともない、情けない。たいていの親はそう考えて手を抜くだろう。
吉村市長は金のためだけに市長職をやっているせいで理解できないのかもしれないが、ほとんどの教師は金のためだけに教えているわけではないのだ。

能力のある教師のやる気を奪い、金をちらつかせなければ動かない教師に報酬を与え、意欲ある未来の教師を遠ざける。吉村市長は大阪市の教育をぶっつぶそうとしているらしい。



全国学力テストは1960年代にもおこなわれていた。全国中学校一斉学力調査という名前で。
なぜなくなったのか。学校間、都道府県間の競争意識が高くなりすぎた結果、不正が横行するようになったからだ。
学力テスト対策のための授業をするようになる、問題や答えを生徒に教える、勉強の苦手な子どもをテスト当日欠席させる。
このような経緯と現場の教員の反対で昭和の学力テストは廃止された。

2007年になって全国学力・学習状況調査という名前で復活したが、その名の通り学力を調査するためだけのものとしてである。
学力テストの結果をもとに報奨を与えたり罰を与えたりすることがマイナスにしかならないことがわかったので、あくまで現状把握のためだけに使うことになったのだ。
ちょっと調べればこういう経緯はすぐわかるわけだが、市長は歴史から学ぶ気が少しもないらしい。

また、子どもの学力に影響を与える最大の要因は遺伝であることが数々の調査から明らかになっている。
他にも家庭環境や友人関係なんかも影響を与え、教師が与える影響というのはごくごくわずかだ。
 さらには、学力には遺伝の影響も大きいことがわかっています。私が行動遺伝学の専門家である九州大学の山形准教授らとともに行った研究では、中学3年生時点の子どもの学力の35%は遺伝によって説明できることが、明らかになっています。
 これ以外にも、生まれ月、生まれ順、生まれたときの体重など、どう考えても子ども自身にはどうしようもないようなことが、子どもの学力や最終学歴に因果効果を持っていることを示すエビデンスもあります。身もふたもありませんが、これが経済学の研究の中で明らかになっている真実です。「どういう学校に行っているか」と同じくらい、「どういう親のもとに生まれ、育てられたか」ということが学力に与える影響は大きいのです。先ほどの北條准教授が日本のデータを用いて教育生産関数を推計したところ、家庭の資源が学力に大きな影響を与える一方で、学校の資源はほとんど統計的に有意な影響を与えなかったことも明らかになっています。
(中室牧子『「学力」の経済学』)

教師の鼻先にニンジンをぶらさげ、それによって仮に教師のやる気に火がついたとして(まずない話だけど)、短期間に全体の学力が向上することはありえない。

ボーナスで釣ってもマイナスにしかならないことを示す歴史もデータもいくらでもあるのに、そこから市長が何も学ぼうとしないのだから大阪市の教育はもうだめかもしれない。



ぼくは音痴だ。まるっきり音程がとれない。歌は超へただ。
でもそれは小中学校の音楽の先生のせいじゃない。原因を求めるにはもっと昔にさかのぼらなければならない。ぼくの親のせいかもしれないし、胎児のときに胎教で聴いた歌のせいかもしれないし、もしかしたら遺伝子のせいかもしれない。

音楽教師に「合唱コンクールのうまさによってボーナスを決めます」といったらどうなるだろうか。
もし音楽教師がボーナスを欲しがるならば、合唱コンクールの日にぼくを休ませるか、「口パクしなさい」と命じるだろう。それがもっとも手っ取り早く合唱のレベルを上げる方法だ。ボーナスの多寡に釣られる賢しい教師であればそうする。合理的な判断だ。
ちょっとマシな教師であれば、合唱コンクールの課題曲だけをまともに歌えるようにうんざりするぐらいぼくに居残り練習をさせるだろう。ぼくが歌うことを大嫌いになるまで。

学力もそれと同じだ。努力でなんとかなる部分はあるが、大部分は遺伝子と生まれ育った環境で決まってしまう。
全国学力・学習状況調査は小学六年生と中学三年生を対象におこなわれる。小六や中三で勉強が苦手なのは、まずまちがいなく小六や中三のときの教師のせいではない。できなかったことの積み重ねなのだ。

たしかに教師がめちゃくちゃ努力して生徒本人もやる気になれば、一年である程度リカバリーすることは可能だろう。だが数十人のクラス全員にそれをするにはリソースが圧倒的に足りない。



吉村市長は短絡的に「学力が低いのは教師がさぼっているせいだ」と考えているらしい。大阪市は生活保護受給率が全国の政令指定都市中ワーストワンだが根っこにある。こういう原因には目をつぶって「監督者の頬を札束でビンタすればすべて良くなる」と考えているらしい。
上の記事にはこうある。
成績の低迷は長年常態化しており、吉村市長は「強い危機感を持っている」と強調。児童生徒の学力向上に向けて、市教委や学校の意識改革の必要性を指摘し「結果に対して責任を負う制度へ転換しなければならない」とした。
もしほんとに結果に対して責任を負う制度へ転換したいのであれば、責任をとるのは現場の教師ではなく制度設計をしている機関の長、すなわち大阪市長だ

「学力テストで全国ワーストワンになったら大阪市トップであるぼくちんの報酬全額返納します! その分を教育に使うお金に充ててください!」というのがスジじゃないのか。

それだったらまだ「ああ、バカなりになんとかしようと考えたのね。はっきり言って無駄だけど心意気だけは評価するわ」という”愛すべきバカ”キャラ扱いだったのに、「大阪市の子どもの成績が悪いのは教員のやる気がないからだ!」と他人に責任を押しつけるようではただの”迷惑なバカ”でしかない。

世の中が悪いのはすべて公務員がさぼっているからだ、という維新の会マインドがこの方針にはとてもよく表れている。誰かのせいにすることほど楽なことはない。なんたって自分は頭を使わなくていいんだから。



ちなみにぼくは大阪市民である。今までのんきに「うちの子は公立校でいっか。お受験とか面倒だし金もかかるしな」と考えていたけれど、バカが頭を使わずに考えたバカな政策が本気で通るようなら、本気で公立校を避けることを考えなくてはならない。

かくして教育熱心な親は大阪市の公立校を避け、大阪市の学力テストの結果はますます下がるんだろうな。


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