小説を読んでいて、夢のシーンが出てくるとげんなりする。
おもしろい小説でも夢が出てきたとたんに評価はがた落ちだ。
たとえばこんな描写だ。
はい、へたくそ。
はい、安直。
はい、ダメ小説。
心中描写のために都合の良い夢を見せるんじゃない!
夢に主張をさせるんじゃない!
夢は夢だ。ツールとして使わないでほしい。
「悩みがあるときにその状況を暗示するような夢を登場人物に見せる」という使われ方が多い。
だが、はたして悩んでいるときに悪夢を見るだろうか。
ぼくが悪夢を見るときの状況は、たいてい決まっている。
「激しい運動をしてすごく疲れている」「暑くて寝苦しい」「体調が悪い」など、つまり身体的な疲労があるときだ。
身体が疲れている ⇒ レム睡眠で身体を休める ⇒ 頭は活性しているので夢を見る ⇒ 肉体的な不快感と脳の活性により悪夢を見る
という仕組みだと思う。
逆に、悩みや心配事があるときはノンレム睡眠が多いのであまり夢を見ない。見ても覚えていない。
そういう点でも「悩みごとがある登場人物が暗示的な夢を見る」は嘘くさい。
しかも、すごく単純だ。
嘘をついているときに追われている夢とか、ピンチのときに深い穴に落っこちてゆく夢とか、人を探しているときに探し物が見つからない夢とか、まったくひねりが利いていない。
小説内で夢の描写をするのであれば、これぐらいリアリティを出してほしい。
実際、夢ってこんな感じでしょ?
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