2018年6月2日土曜日

動きのない文章

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学生時代の先輩から「おまえのブログ読んでるんだけど、ぜんぜん動きがないな」と言われた。記者をしている人だ。
「動きですか」
「そう、部屋から一歩も出ずに書いてるんだな、って思う。記者の文章とは真逆。おまえが書いてるのはエッセイだからそれでいいんだけど」

ふうむ。
たしかにそうかもしれない。改めて自分のブログを読み返してみると、なるほど、出てくる動詞は「思う」「考えた」「読んで」とかばっかりで、「行った」「会った」「駆けめぐった」「羽ばたいた」みたいな動きのある動詞が少ない。ぜんぜん羽ばたいてない。


それもそのはず、じっさいほとんど出歩かないのだ。
平日は家ー保育園ー職場のトライアングル内からほぼ出ない。バミューダトライアングルもびっくりの不可出トライアングルだ。
仕事はデスクワーク。客先に行くこともあるが一直線に行ってまっすぐ帰る。こないだ新幹線で名古屋に行ったが、業務が終わるとコメダ珈琲で食事をしてすぐに帰宅した。同僚から「せっかく名古屋まで行ったのに」と言われたが、ぼくとしては十分楽しんだつもりだ。本場のコメダ珈琲に行けたし(自宅近くの店舗とまったく同じ味だったが)往復の新幹線の中でたっぷり本を読めたから。

休日は娘とパズルをするか、娘とトランプをするか、娘と本を読むか、娘と図書館に行くか、家族でファミレスに行くか、娘と銭湯に行くか、娘とプールに行くか、娘やその友だちと公園で遊ぶか、娘の友だちの家におじゃまするか、それぐらいしかやってない。車も持っていないので遠出もしない。自転車すらない。幸いなことにファミレスも大型本屋も銭湯も電器屋も百貨店も図書館も病院も動物園も徒歩圏内にあるから必要ない。こないだ電車で三駅のところにある博物館に行ったのがぼくの中では小旅行だった。

大学生の頃、原付を乗りまわしてあちこちに出かけていた友人から「おまえも原付買えよ。世界が広がるぞ」といわれた。
ぼくは「本を読まない人間はあんなものに乗らないと世界を広げられないのか。効率悪いな」と思った。「おまえが原付に乗って隣町に行っている間に、本を読めば他の国にもべつの時代にも行けるのにな」と。
今でもそう思っている。旅行に出かけたら見聞は広がるし発見もある。本を読むだけでは手に入らない知識も得られる。そうなんだけど、逆に本を読むことでしか手に入らないものもある。いやそっちのほうが多い。寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』は本を読んでいる人に向けてのメッセージであって、本を読まないことを正当化するものではない。読んでないから知らんけど。えらそうなこといって有名作品も読んでないんです。

もっとあちこち出かけていろんな人と出会ったほうが「ネタ」は増えるだろうな、とは思う。きっとおもしろいことを書けるんだろう。読む価値のあることも書けるんだろうな。
でもぼくは職業的な書き手じゃないから書くために生きることも生きるために書くこともしない。

とりえあず記者じゃなくてよかった、とは思う。ぼくが記者だったら取材に行くのがめんどくさくて捏造記事を書いてしまうだろうな。


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