2018年6月20日水曜日
地震の一日
6月18日午前7時58分に地震があった。
大阪府内では死者も出る大きな地震。大阪では阪神大震災以来の大規模な地震だった。
ぼくの住んでいた地域は震度4だったが、それなりに混乱したのでその日のメモ。
7時50分頃、娘と一緒に保育園に向かった。地震が起こったのは、ちょうど保育園に着いたときだった。
門を開けようと手を伸ばすと、鉄の扉がガタガタガタっと震えだした。「また子どもが遊んでるな」と思った。保育園ではよくあることだ。
だが園児の力にしては強すぎる。風で揺れているのだろうか、と思ったがそれほど風も強くない。そこでようやく「あっ地震か」と気づいた。揺れはじめてから地震だと気づくまでに3~5秒ぐらいかかった。
あわてて娘に目をやると、揺れに気づいていないらしく、さっきの続きでぼくのお尻を叩いて遊んでいる。
園内に入った。園長先生と会ったので「地震でしたよね?」と確認しあった。
屋内はかなり揺れたらしい。教室の中を見ると、ふたりの保育士さんが十人ぐらいの子どもたちを抱きかかえていた。村を焼かれたときの母親が「子どもたちだけは……」と懇願するときの光景だ。
保育士はおびえていたが、子どもたちは平然としていた。誰も泣いていなかった。何が起こったのかわかっていなかったのだろう。
いつも通り娘の着替えやタオルの準備をした。
べつのお父さんと会ったので「地震でしたね」と話しかけると、「そうみたいですね。でもぼくは自転車に乗ってたので気づきませんでした」と言われた。外に歩いている人がかろうじて地震に気づく、自転車に乗っている人は気づかない、それぐらいの揺れだった。
娘の担任の先生に会った。「もし何かあったら〇〇小学校に避難しています。そこが危険な場合は〇〇公園に行きます」と伝えられた。さっき地震が起こったばかりなのに的確な伝達だ。しっかりした先生だ、と感心した。
娘に「また地震があるかもしれないから、そのときは先生の言うことを聞くんだよ。先生の近くにいたら大丈夫だからね」と言い残して保育園を出た。
地下鉄の駅まで来たとき、異変に気づいた。駅の前が人でごった返している。
その時点ですっかり地震のことを忘れていたので「何かイベントでもあるのか?」と呑気なものだった。この近くにホールがあるのでときおり人で賑わっているのだ。
しかしスーツ姿の男性が多いのを見て「ああ地震で地下鉄が止まっているのか」と気が付いた。
運行状況を見ようとスマホを取りだし、そのときはじめて緊急地震速報が届いていたことに気づいた。かなり大きな音で鳴っていたはずなのに、鞄に入れていたのでまったく気がつかなかった。
大阪メトロ(市営地下鉄)のホームページを見ると、つい五分ほど前の時刻で「ただいま遅延は発生しておりません」というメッセージが表示されていた。嘘つけ。今現在止まってるじゃねえか。何もしなければ自動的に「遅延は発生しておりません」と表示されるシステムなのだろう。その結果、メッセージを打ちこむ余裕がないぐらい大きな事変が起こったときにも「遅延なし」と表示されてしまう。危機感のないシステムだ。
役に立たないホームページだな。ニュース検索をしようかと思うが、地震発生から十分ぐらいなのでまだニュースも出ていないだろう。
ふと思いついて、Twitterで「谷町線」と検索してみた。すると、いろんな人が「谷町線止まった」とつぶやいている。おお、こういうときはTwitter便利だな。Twitterが暇つぶし以外で役に立ったのははじめてだ。
ぼくの家から会社に行くルートはいくつかある。「御堂筋線」「大阪環状線」などでも検索してみるが、いずれも止まっているらしい。大きな地震だったことをようやく実感する。駅の行き先案内板が外れている画像がTwitterに流れていて、思わず「おお」と声が漏れる。
まだ駅の周囲には大勢の人がいたが、そんなとこに突っ立っていても仕方がない。地震で電車が止まったら復旧するまでに最短でも一時間はかかる。
自宅近くの公園まで歩いた。都会の公園なので、高いマンションに囲まれている。大きな地震が再び起こることを考え、中央のベンチに腰を下ろした。
社長にチャットで「地震で電車が止まっているので遅れます」と送った。社長からは「了解。必要であればタクシー使って来てください」といわれたが、いやけが人とか妊婦とかいるかもしれないのに、仕事みたいなくだらない用事のためにタクシー使ったらだめだろ、と思って無視した。
妻からLINEが来ていた。安否確認のメッセージだったので、娘も無事だと返す。
いろいろと情報収集もしたかったが、こんなことでスマホのバッテリーを消耗してしまったらいざというときに困る。電池長持ちモードというやつに切り替え、Kindleで本を読んだ。意外と集中して読むことができた。おろおろしていても何もやることができないし、こういうときには現実逃避するに限る。
自宅はマンションなのでなるべく帰りたくなかった。マンションはよく揺れるので怖い。
しかし小雨が降ってきた。しょうがない、どうせいつかは帰らなくちゃいけないんだ、と自らに言い聞かせて自宅に帰った。
マンションのエレベーターが止まっていたので階段を上がり、自宅に戻る。地震で閉じこめられないように少しだけドアを開けておいた。
トイレに行くと、床にトイレットペーパーが一個転がっていた。地震で棚から転げ落ちたらしい。我が家の唯一の被害だった。
万が一に備えてだいぶ前に準備していた防災バッグを引っぱりだした。水、消費期限切れ。イワシの缶詰、消費期限切れ。ミカンの缶詰、缶切りがないと開けられないやつ。なんで入れてたんだ。
とりあえず水のペットボトルだけ新しいものに入れ替え、貴重品の類とともに玄関に出しておいた。そうすると閉じこめ防止のために少し開けているドアが気になる。結局ドアを閉めた。
寝ようかと思ったがまだ九時前だ。おまけに気持ちが高ぶっているので寝られない。外で救急車のサイレンの音が聞こえる。
実家に安否報告をして、横になって本を読んだ。
十時半ぐらいにTwitterを見ると、地下鉄の一部区間が運行再開したらしい。今日はもう休もっかな、とも思ったが家にひとりでいるのも嫌だったので結局出社した。車内に閉じこめられることを想定して、ペットボトルのお茶を買って地下鉄に乗った。ぎゅっと力強くつり革を握りしめていた。
会社には半分くらいの社員が来ていた。多くの鉄道路線がまだ止まっていた。
電話で取引先の人と話して「どうですか」と尋ねると、「うちは冷蔵庫が倒れましたよ」と言われた。
「えっ、たいへんじゃないですか」
「そうそう、だから今うちの中ぐっちゃぐちゃ」
「それ出社してる場合じゃないでしょ」
「うーんでも家にいたってどうにもならないしね」
というやりとりをした。そういうものだろうか。平時と同じことをしているほうが精神的には気楽なのかもしれない。
やはりその日一日は何をしていても地震のことが頭から離れない。「今地震が起きたら……」と考えながら行動する。倒れそうな建物には近寄らない、落ちてきそうなもののそばには寄らない、非常階段の位置を確認する。小松左京『日本沈没』を読んでいるときもこんな気分だった。
電車に乗りながら「今電車が起きたら、まずは吊り革で身体を支えて……」などと考えていたらピーピーピーとけたたましい機械音が鳴りだした。「すわっ、緊急地震警報!」と身構えたが、隣のばあさんのばかでかい着信音だった。
年寄りの着信音はだいたいばかでかいけど、こんなに憎いと思ったのははじめてだった。
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