ぼくにとって北杜夫は『夜と霧の隅で』『楡家の人びと』で知られる芥川賞作家ではなく、「どくとるマンボウ」シリーズで知られるエッセイの名手でもなく、「ばかばかしくておもしろい小説を書く人」だ。
はじめて出会ったのは、図書館で手にした『さびしい王様』だった。
童話のようなタイトルとユーモラスな表紙を見て、ごくふつうの児童文学だと思った。
ところが読んでみて「なんじゃこれは」と思った。
物語が始まらないのだ。作者による「書けない言い訳」が延々と続く。言い訳が終わったと思ったらまた別の言い訳が始まる。本の一割か二割ぐらいは言い訳で埋まっていた。
そんな本読んだことがなかったのであっけにとられた。そして、めちゃくちゃおもしろかった。
物語本編もおもしろかった。続編の『さびしい乞食』『さびしい姫君』も借りて読んだ。ばかばかしいお話なのにふしぎとペーソスが漂っていた。子どもの王様と子どもの姫君がいっしょに寝て「子どもができない」と嘆くところは名シーンだ。今でも情景が目に浮かぶ。
すべて読み終えて図書館に返却した後、やっぱり手元に置いておきたくなった。本屋に行って買いそろえた。
他の本も読んだ。
「小説入門者に最適な一冊」として日本文学史に燦然と輝く『船乗りクプクプの冒険』をはじめ、
大怪盗の活躍と孤独を描いた『怪盗ジバコ』
ゴキブリを主人公にした『高みの見物』
ニッポンの悲しいヒーロー『大日本帝国スーパーマン』
どの話もばかばかしくて、それなのに品があった。主人公たちはそれぞれ活躍しながら孤独を抱えていて、そんなところも「大人の文学にふれた」ような気になれて好きだった。
中でも好きだったのは『ぼくのおじさん』と『父っちゃんは大変人』だ。北杜夫の小説にはヘンなおじさんが出てくる話が多い。たいてい、そのヘンなおじさんは北杜夫自身だ。『船乗りクプクプの冒険』にもキタ・モリオ氏が出てくるし、『高みの見物』にも作家や船医などそれらしき人物が登場する。
最近気づいたんだけど、氏の作品に出てくる「ヘンなおじさん」はぼくの理想の姿である。
ぐうたらで、ほらばかりふいて、子どもといっしょになって遊んでいるおじさん。「できる大人」とは対極のような存在。そういう人にぼくはなりたい。そしてじっさいなりつつある。
「かっこよくないおじさんってかっこいい」という歪んだ認識をぼくが持ってしまったのは、子どもの頃に北杜夫作品と出会ってしまったからなんだろうな。
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