2018年6月10日日曜日

書店員の努力は無駄

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書店員の努力、について。

あえて乱暴な言い方をするなら、その努力はほとんど無駄だ。

ぼくが書店員を辞めて六年になる。
働いているときから感じていたこともあるし、辞めてから気づいたこともある。働いている当時に経営者から言われて意味が分からなかったが今になってわかることもある。

ぼくが書店員としてやっていた努力は、ほとんど売上に貢献していなかった。



たとえば、よく「本を紹介するポップを書きましょう」と云われた。文庫の帯なんかについている紹介コメントだ。
ぼくもポップを一生懸命書いた。
たくさん書いて、どんなポップを書けばどんな売上になるか、調べてみた。

たくさん書いて、その結果を追って、わかったのは「意味がない」ということだった。

多くの経験を積んで、ある程度は「売れるポップの書き方」を理解した。
ポップを書けばその本の売れ行きはよくなった(もちろんある程度売れそうな本を選ぶ必要はあるが)。
そして気づいた。全体の売上は増えない、と。

たしかに本を売るために効果的なポップの書き方は存在する。
だが「その本を売る」ために効果的だが、その本が売れれば隣の本の売上は減る。結果として、店全体の売上には何も貢献しない。

そもそもポップに頼って本を買う人はたいした本好きではない。そういう人が本屋に来るときは「なんか一冊買おう」と決めてきている。目を惹くポップがあればその本を買うし、そうでなければべつの本を買う。

「気になる本がなければ一冊も買わないし、おもしろそうな本があれば十冊でも買う」ような本好きはポップなんかに頼って本を買わない。

ヴィレッジヴァンガードがあらゆる商品におもしろおかしいポップをつけて成功したが、あれは特定の本を宣伝するためではなく店全体のブランディングに役立っていたからうまくいったわけで、やるならあそこまでやらなくては意味がない(当然ながらヴィレヴァンの後に同じことをしても無駄だけど)。



ポップは一例で、書店員がしている努力というのは「売上を増やす努力」ではなく「好きな本を売る努力」がほとんどだ。

ポップを書くのも、おすすめ本フェアをするのも、村上春樹の新刊をタワー状に積みあげるのも、本屋大賞を選ぶのも、(0,1) を (1,0) にする努力だ。あっちの売上を削ってこっちの売上を増やしているだけ。総量は変わっていない。

出版社はそれでもいい。「他社の本の売上を削ってその分自社の売上が上がればいい」は正解だ。
だが書店がすべき努力は、ふだん本を買わない人に買ってもらう(0を1にする)か、使ってもらう額を増やす(1を2や3にする)かだ。

たとえば書店に足を運ばない人に買ってもらえるようべつの業種の店にも本を置かせてもらうとか、本を買った人にべつの本も勧めるとか。
それが有効かどうかはわかんないけど、少なくともAmazonはそれをやった。

しかしそういう施策は書店においてはまったくといっていいほどおこなわれない。
ぼくが働いているときは他の書店に出向したり業界関係者と話したりしていたが、こういう話はほとんどされなかった。
みんな (0,1) を (1,0) にするために奮闘していた。



書店の売上が伸びるためにいちばんいいのは「世の中の人が本をたくさん読むようになること」だ。でもそんなことは現実的に不可能だ。

だったら、「客の読む時間は一定である」という前提に立った上で、「より単価の高い本を買ってもらう」とか「より早く読める本を買ってもらう」とかの方向性を考えなければならない。
売上や利益のことを考えるなら、めちゃくちゃおもしろい五百円の小説よりも、千円の低俗なエロ本が売れたほうがいい。
でもほとんどの書店員は前者を売ろうとする。

早く読める漫画、内容の薄いビジネス書、手軽に読めて定期的に買ってくれる雑誌。利益に貢献するのはそういう商品だ。
[費用/時間]という点で見たとき、売上パフォーマンスがもっとも悪いのが文芸書だ。
たった五百円で何時間も楽しめる。いい本だと何度も読み返したくなる。読者にとってはすばらしい読書体験だが、書店にとっては「安い金で読書時間を奪う」悪い商品だ。

けれど書店員はおもしろい小説ばかり売ろうとしている。ぼくもそうだった。本が好きだから。

文芸書をなくせとは思わない。利益率の低い商品で客を釣るのはよくある手法だ。だが売上を稼ぐのは文芸書ではない。

やはり本好きに書店員は向いていない。



日本の出版業界には再販制度というものがあり、一部の商品を除き、売れ残った本はそのままの金額で返品できる。
この制度が経営感覚を狂わせるのかもしれない。

仕入れた金額で返品できるとはいえ、本を入荷して開梱して棚に並べ、長期間売場をつぶして、しばらくしてまた箱に詰めて取次に送りかえすのは無駄なコストだ。

輸送費も人件費もかかるし、その本を置かなければ他の本が売れたかもしれないという機会損失も生んでいる。キャッシュフローも悪化させる。
であれば返品は極力減らさなくてはならないのだが、大半の書店員はそんなことを考えていない。「売れ残ったら返品できるんだから売り切れにならないように多めに仕入れよう」と思っている。

そもそも、毎日毎日書店には取次から新刊が勝手に配送されてくる。頼んでもいない本が続々と入ってくる。「どうせ返品できるんだからいいでしょ」という具合に。

ぼくが働いていたときは、この件でよく本部や取次と喧嘩をしていた。
「このジャンルではこの出版社の本は一切いりません」と再三伝えていた。しかし要望は聞き入れられず、相も変わらず頼んでもいない本がどんどん送りつけられてくる。そういう業界なのだ。
ぼくは一度も売場に並べることもなく即座に返品にまわしていた。なんと無駄なコストだろう。
他の業界だったら考えられない話だ。勝手に商品を送りつけておいて「金払ってくださいよ」だなんて、そんなことするのは詐欺師とNHKだけだ。


出版社はばかみたいに新刊書を作って送りつけてきた。
たとえば料理の本。毎年春になると、ひとり暮らしを始める人が増えるので料理の入門書が刊行される。

それ、新刊で出す必要ある?
十年前と今とで、初心者向け料理の方法がどれだけ変わった?
客は新刊かどうかで買っていない。実用書に関して、客が求めているのは新刊ではなく「多くの人が買っている実績のある定番書」だ。

PCやファッションみたいに日進月歩の分野はともかく、料理や洋裁だったら十年同じでもいい。どうせ買う人は毎年違うのだ。それなのに輪転機の停止ボタンが壊れたのかと思うぐらい新刊が出つづける。
出版社は競合他社に負けたくないから他社のヒット商品をパクった本を次々に出してくるが、誰もそんなものを求めていない。

取次はごまんとある内容の"新刊"を送ってきて、書店員はそれを店頭に並べて、ほぼ同じ内容の"既刊"を返品する。
何かをやった気にはなるが、売上に対しては何も貢献していない。
書店員の作業はこういう「プラスにもマイナスにもならないこと」であふれている。

書店の仕事はハードワークだが、原因の大半は入荷にある。
余計な本のせいで品出しや返品に追われている。
それでポップを書くとか本をタワー状に積むとか売上につながらないことをがんばっている。
雨漏りで家の中が水浸しになっているのに、屋根を直そうとせずに一生懸命床を拭きつづけるようなものだ。



ぼくが書店を辞めて六年。
詳しくは知らないが、まちがいなく当時よりも内情は悪くなっているだろう。

本が好きだから書店はずっとあってほしい。

だから、だからこそ、一度みんな潰れたらいいのに、と思う。
そして取次がなくなれば、書店も「無意味な新刊をどんどん出す」ことから脱却できるだろう(オンライン書店では既刊がよく売れる)。

そしてその後に再び書店が立ちあがってほしい。もっと時代にあったやり方で。もっと書店員の努力が正しく実るような形態で。


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