2018年6月13日水曜日

船旅の思い出

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学生時代、船で中国に行った。
なにしろ金はなかったがひまだけはあった。
今はどうだか知らないけれど、ぼくが大学生のとき、夏休みは二ヶ月半もあった。春休みも二ヶ月近くあったから、それだけで一年の三分の一以上を休んでることになる。冬休みとか土日祝日とか入れたらたぶん半分以上は休日だったはずだ。狂った制度だったとしかいいようがない。それだけではあきたらず平日のうち一日は授業を入れずに自主休校にしていた。制度が狂っていると学生も狂うようだ。
そんな学生が週休一日で毎日残業の社会人生活に耐えられるはずもなく、数ヶ月で仕事をやめてめでたく無職になった。狂った学生生活のおかげである。社会人生活のほうも狂っている気もするが。


閑話休題。船旅の話に戻る。
ぼくと友人は蘇州号という船で中国へ渡った。神戸から天津まで片道五十時間かかる。移動だけで五十時間、往復で百時間。なんとも贅沢な時間の使い方だ。
ただし贅沢なのは時間だけで、金銭のほうは実にお手頃だった。たしか往復で三万円ぐらいだったはず。往復百時間で三万円。一時間あたり三百円。安すぎる。中国語でいうと太便宜。太い便が出たみたいな字面だ。
飛行機だと二時間ちょっとで到着して数万円だから時間あたり一万円を超える。はたしてこの計算にどんな意味があるのか知らないが、とにかく船旅は安い。

蘇州号には一等客室と二等客室があって、ぼくらはもちろん安いほうの二等客室を選んだ。あたりまえだ。一等客室を選ぶ理由があるのか。安くもないし速くもないのに。わざわざ一等客室を選ぶ理由としては「飛行機が飛ぶことを信じていない」「荷物がでかすぎる」ぐらいだろうか。

船を選んだのにはもうひとつ理由がある。
旅行の少し前に肺気胸という病気を患ったのだ。肺に穴が開くというおそろしい病気だ。
内視鏡手術を経て治ったのだが「肺気胸は再発しやすい病気です。高い山とか飛行機とか気圧の変化の大きなところにいくとまた穴が開きやすいので気を付けてください」と言われたのだ。
飛行機上で肺に穴が開いたら困る。人生において一度ぐらいは「この中にお医者さんはいらっしゃいませんか!?」の場面に遭遇してみたいものだが、そのとき横たわっているのが自分なのは嫌だ。


船のチケットを取ろうとしたら、ビザがいると言われた。二週間以上の滞在だとビザが必要なのだ。
京都華僑総会という怪しい組織の事務所へ行ってビザを取得した。大使館や領事館のような公的機関じゃなくても取得できるのか。さすがは華僑、力を持っているなと感心した。


船旅はなかなか楽しかった。
出発のタイミングで見送りの人が手を振っていた(残念ながらぼくらの見送りはいなかったが)。船旅はこれができるのがいい。飛行機だと離陸の瞬間はシートベルトをしているし、外なんかほとんど見えない。下が見えるようになったときには人間なんかもう豆粒より小さくなっている。船だと乗客は甲板に出て港を見ることができる。
また飛行機は離着陸の瞬間はものすごく揺れるのでぼくは毎回事故を起こさないかと怖くてたまらないのだが、船の場合はさほど怖くない。万一沈んでもまだここだったら泳いで岸に戻れるな、と思える。
出発の瞬間、映画みたいに紙テープを投げて別れを惜しんでいる人がいて、ほんとにやるんだと感心した。

蘇州号の乗客はぼくらのような学生と、バックパッカーと、中国人の家族ばかりだった。みんなお金がなさそうだった。あたりまえだがビジネスマンなんかひとりもいなかった。五十時間の船旅を許してくれる豪気な会社はないらしい。
二等船室は、二十人ぐらいが入れる大部屋だった。といっても客数は少なく、定員の半分もいなかったのでゆったりと使えた。布団と枕が置いてあるだけで後はなんにもなく、ここで雑魚寝するのだ。

船が出発して間もなく、避難訓練をするから全員集合せよというアナウンスがあった。
じっさいに救命胴衣を身につけ、沈みかけたらここから脱出して浮いて救助を待てと言われた。
飛行機は墜落したらまず助からないが、船なら沈んでもなんとかなりそうな気がする。救命胴衣を身につけてぷかぷか浮かんでいたら救助が来てくれるかもしれない。みんな真剣に説明を聞いていた。

船内の食事はめちゃくちゃまずかった。中国風のお粥や饅頭が出されたと記憶しているが、味がまったくしなかった。こんなにまずい食べ物があるのか、と感心した。
飯がまずかったからか、ひどく酔った。吐きはしなかったが(なぜなら食事がまずくてほとんど手をつけていなかったから)、終始胃がむかむかしていた。
気分転換に船内を散歩していると、ビールの自販機があった。缶ビールが一本百円ぐらいで売られていた。船内は免税なのでばかみたいに安いのだ。残念ながら絶賛船酔い中だったので飲む気にはならなかった。

そう大きい船でもないので見るところはさほどない。甲板に出ると風が気持ちよかったが、潮水をかぶるので長居はできない。
やることもないので船室で過ごした。
部屋の片隅にそう大きくないテレビが吊るされていて、そこで映画『リング』をやっていた。こういう不特定多数が見るような場所で流すものとして、ホラー映画はどう考えてもふさわしくないだろう。謎のチョイスだ。
中国人家族と一緒に『リング』を眺めた。

同室に、見るからにバックパッカーの若い男がいた。ぼくと同年代だ。
彼は「どこに行くの?」と話しかけてきて、こちらの答えを聞くか聞かないかのうちに自分のことを語りだした。中国から陸路でインドに渡るのだという。
「インド行ったことある? ぼくは何度もインドに行ったけど、インドはいいよ。人生観変わるよ」と語られた。
その、人生観変わったとは思えないほど薄っぺらい言葉にぼくらは内心失笑していたが、彼はうれしそうにインドの魅力を語ってくれた。乞食が群がってくるとか、ガンジス川で死体が流れてくるとか、「どこかで聞いたことのあるインド」を得意げに披露してくれた。

彼の絵に描いたようなインドかぶれっぷりは、ぼくらに道中の話題を提供してくれた。
ぼくらは中国に渡った後、そして帰国した後もしばらく「人生観変わったごっこ」をして楽しんだ。
「君は京都に行ったことがあるかな。あそこには人力車が走ってるんだ。人間の生きるパワーがまるで違うね。あれに触れたら人生観変わるよ」
「君はケンタッキーフライドチキンに行ったことがあるかな。あそこには鶏の死体がたくさんある。けれどいちいち騒いだりしない。死が生活と隣り合わせにあるんだな。あそこに行ったら人生観変わるよ」
と、インドかぶれ男の口調を真似てはげらげらと笑った。


五十時間の船旅は、ぼくの人生の中でもっとも贅沢だった五十時間かもしれない。
退屈でしかたなかったし、船酔いで気持ち悪かったし、飯はめちゃくちゃまずかったけど、それこそが贅沢な経験かもしれない。
楽しくて快適でおいしいものを食べる旅行なんて、金さえ出せばかんたんにできるもんね。


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