2026年1月2日金曜日

【読書感想文】ダライ・ラマ『ダライ・ラマ自伝』 / 汝の敵を愛せる人

ダライ・ラマ自伝

ダライ・ラマ(著)  山際 素男(訳)

内容(e-honより)
チベットの宗教的、政治的最高指導者として精力的に平和活動をつづけ、ノーベル平和賞を受賞した第14世ダライ・ラマが、観音菩薩の生れ変わりとしての生い立ちから、長きにわたる亡命生活の苦悩、宗教指導者たちとの交流、世界平和への願いなどを、波乱の半生を振り返りつつ語る。チベットとダライ・ラマを知る恰好の入門書。

 

 3歳のときにダライ・ラマと認められ、中国軍に侵攻されたことで亡命政府の長となり、後にノーベル平和賞を受賞するという波乱万丈な人生を送っている第14代ダライ・ラマによる自伝。

 高野秀幸さんが『未来国家ブータン』の中でおもしろい本だと絶賛していたので読んでみた。

 ダライ・ラマといえばチベット仏教の最高位であり、チベット国の元首でもある。国民にとっては精神的支柱である。いわば大日本帝国における天皇ぐらいの大権力者だ。

 それなのに、ぜんぜん飾らない人柄であることが文章からもにじみ出ている。ダライ・ラマになった後も清掃係たちといっしょにいたずらをしたことを書いていたり、大事な式典のときに時間がかかるからトイレが大丈夫だろうかとばかり考えていたと書いていたり。

 ちなみに、ダライ・ラマは生まれたときからダライ・ラマなわけではない。先代のダライ・ラマが亡くなったときに、高僧である摂政が“視た”光景をもとに使者が国中を探しまわり、その光景通りの家を探し当て、そこに住んでいた子どもに先代の遺品とそれにそっくりな偽物を見せ、その子がことごとく本物を選んだためにダライ・ラマの化身であると認めたという。それが第14世ダライ・ラマ。まるで神話。今でもこんなやりかたが生きる世界もあるんだね。ローマ法王がコンクラーベという投票制で決まるのとえらい違いだ。



 1948~1951年に、チベットは中国共産党軍に攻め込まれて占領された。今なおチベットは自治権を失っており、中華人民共和国のチベット自治区となっている。ある日突然中国軍が攻め込んできて植民地になったわけだ。当然チベット民衆は抵抗し、中国軍はチベット人に対して残虐の限りを尽くした。多くの人が虐殺され、拷問され、経済的自由や教育の機会を奪われた。

 祖国と同胞を踏みにじられたにもかかわらず、ダライ・ラマ氏の文章からは中国に対する怒りはまるで感じられない。いや、そんなわけないだろとおもってしまう。憎しみや怒りがあふれて当然だろう。それでも憎悪や恨みは微塵も感じさせない。さすがは高僧である。


 わたしは中華人民共和国との提携の可能性を本気で考えはじめた。マルキシズムを考察すればするほど気に入ってきた。それは、万人の平等と正義に基づく制度、世界の悪への万能薬を宣言している。理論的観点からいえば、その唯一の欠点は、人間的存在を純粋に物質的側面からのみとらえようとする面に思え、これには同意しがたかった。また彼らの理想追求のために用いる手段も気にかかっていた。その硬直さがあまりに目立ちすぎる。それでもわたしは共産党員になりたいという気持すら表明した。仏教と純なマルキシズム理論との統合によって政治を導く効果的方法を編み出しうるのではなかと考えたのであり、今でもその可能性を考えている。

 祖国の敵である中国を憎むどころか、そこから学ぼうという姿勢まで見せる。

「汝の敵を愛せよ」という言葉があるが(聖書の言葉だが)、言うは易くても行うは難し、自分の愛する人を殺した国を愛することはなかなかできない。

「中国にはあれだけ多くの人がいるんだから、一部残虐なことをする人がいたとしても、大半の国民は我々と同じ平和を愛する人のはず」なんてことを書いている。よくその境地に達することができるものだ。



 ダライ・ラマ氏による平和への提言。

 チベット、中国両国民の関係改善に、何よりも必要なのは信頼の確立である。過去三十年にわたる大量殺戮によって、信じがたいだろうが、百二十五万ものチベット人が、飢餓、処刑、拷問、自殺などで死に、数万人が強制収容所に閉じ込められており、中国軍隊の撤退のみが、真の調停交渉の道を開くことができるのである。チベットにおける強大な占領軍の存在は、チベット人の嘗めてきた辛苦と抑圧をつねに思い起こさせる。軍隊の撤退こそが、友情と信頼に基づいた有意義な関係を中国との間に将来打ち樹てうる最も大切な要素なのだ。
 残念ながら中国は、わたしの提案の最初の部分を、わたしはそうは考えていないのだが、分離に向かう動きと解したようだ。わたしの意図するところは、両国民間に真の調和があれば、どちらかが、あるいは双方が歩み寄り、少なくとも妥協的態度をとるべきなのが論理的帰結だということだ。しかもチベットが権利を侵害されている側─われわれはいっさいを奪われているなのだから、中国に提供すべきものは何もない。それゆえ、相互信頼的空気を生み出すために、武器を持っている(それらが隠されていようといまいと)者がそれを引っ込めるのは理の当然である。これがわたしの平和地域という意味である。つまりだれも武器を振りまわさない地域ということだ。このことは、 両者間に信頼を生むだけでなく、中国側に大きな経済的プラスとなるはずだ。チベットに駐留する厖大な軍隊の維持費は、開発途上国にとって大変な損失だからである。

 こんな冷静な思考ができるのはすごい。(特に被害者の側は)自分の側の要求を叫びたくなるものだが、相手側のメリットを訴えることができる。

 なんと大人な対応だろう。昨今、自国の利益ばかり求める人ばかりが各国のトップに立っている。そんな態度で相互に利益のある共同関係が築けるはずがない。ダライ・ラマ氏のような人が首脳になってくれたらしいのになあ。


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