女の子はどう生きるか
教えて、上野先生!
上野 千鶴子
男として生きてきたのでほとんど気にしてこなかったけれど、自分が女の子の父親になってはじめて「女の生きづらさ」を意識するようになった。男はたいへんだけど、トータルで考えると今の日本では女のほうがたいへんなことのほうが多いとおもう。
以前、NHKのテレビ番組で「男になったり女になったり自由に変えられるとしたらどうする?」という質問をいろんな出演者に訊いていた。おもしろいことにその結果はだいたい同じで、十代後半~二十代前半ぐらいまでは女性のほうがよくて、三十歳ぐらいからは男性のほうがいいと答えた人がほとんどだった(男も女も)。
そう、二十歳ぐらいは女のほうがちやほやしてもらえる。もちろん危険な目に遭うこともあるが、恩恵のほうが大きそうだ。逆に二十歳ぐらいの男なんて、金もないし、権力もないし、性欲をもてあましてたいへんだ。力もなければかわいがってももらえない。
ところが中年になるとそれが逆転する。歳をとってからもちやほやしてもらえる女性は少ないし、権力を手にする女性も少ない。仕事も男性以上に選べなくなる。家事の負担も女性のほうが大きいことがほとんどだ。
そして、人生においては中年以降の期間のほうが圧倒的に長い。
この本は、十代ぐらいの女性からの質問に答えるという形で、女性の生きづらさ、男女差別の歴史、差別にあったときの戦い方、身を守るためのふるまいなどが紹介されている。
特に3章の『リア充になるのってけっこうたいへん?!』は性のことについて書かれ、そう遠くない将来娘に性教育をしなければならないと考えているぼくにとってはたいへん参考になった。
彼氏にキスをせがまれ、断ったのにむりやりキスをされたという人への回答。
これは女の子よりも男の子に対して教えなきゃいけないことだ。 と、かつて同じように「嫌がっているのは恥ずかしがっているだけ」だと考えていたぼくとしてはおもう。
これねえ。ほんとに勘違いしてるんだよ、多くの男は。バカだから。
そして、こう教わったからってはいそうですか我慢します、というわけにはいかないのが若い男なんだよね。いやほんと若い男の性欲なめちゃいけませんよ。ごちそうを目の前に置かれた犬と同じくらいの自制心しか効かなくなるからね。だってこういっちゃあ悪いけど、男子が女子とつきあう理由の95%が「ヤりたい」だからね。
「交際はするけどセックスはなし」ってのは、二十歳前後の男からしたら「寝不足のときに布団の上に横たわって目を閉じてもいいけど寝ちゃだめよ」って言われてるようなもんよ。
だから上野さんが書いているのはきわめて正しいんだけど、現実に男と交際しているときにそれを貫き通せるかというと、なかなかむずかしいんじゃないだろうか(貫けないから悩んでるわけで)。
「セックスまでする気がないならキスもハグもするな。ふたりきりになるな」のほうが現実的なアドバイスなんじゃないかとおもう。
正論なんだけど。わかってることなんだけど。「やめましょう」と言われてもやめられないからこその悩みなんだとおもうけどなあ。
この本、いいことも書いているのだが、著者自身が強烈な差別主義者なせいですべてを台無しにしている。
たとえばこんな言説。
偏見と差別意識だらけのひっどい文章。この文章と「女は物事を単純にしか考えられないから責任ある役職にはつけられない」という発言と、どう違うんだろう?
東大男子を十把一絡げにして「こういうもの!」と決めつける姿勢もひどいが、もっと俗悪なのが後半の文章。
とってつけたように「ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません」と書いているが、だったらなぜ一般的に中高年男性を差す言葉である〝オッサン〟をわざわざ使うのか。まったく新しい言葉を生みだせばいいじゃない。
逆に「身勝手でヒステリックで他人に迷惑をかけまくる人間のことをオバサンと呼びます(ここでいうオバサンとは、中高年のオバサンのことではありませんよ)」と書かれても平気なのか? 「中高年のオバサンのことではありません」って書いてあるから女性差別じゃないよねー、とおもえるのか?
じっさい、例示されているような男はいっぱいいるよ。だからって「東大男子は東大女子が苦手です」と書くのは、理系教科が苦手な女子が多いから「女子は理系教科が苦手です」と書くのとおんなじだ。
ステレオタイプで物を見て全体を語る人の話は聞く必要がない。男の傾向がAだからといって、ある男もAだと決めつけてはいけない。もちろん女にもあてはまる。
とまあ、こんな感じで随所に差別意識丸出し言説が垂れ流されている。
これでよくぬけぬけと〝差別や不公正は許さないから〟なんて書けたものだ。
いや、べつにいいんだよ。どれだけ身勝手で差別的な発言をしたって。それは自由だ。ぼくも、女性差別意識全開の井上ひさし『日本亭主図鑑』を楽しく読んだし。
でも、一方であからさまな差別をしといて、同じ口で「差別や不公正は許さないから」とか言ってるんだぜ。「私は差別と黒人が嫌いだ」のブラックジョークを地で行く人だ。
女性専用車両は逆差別か? という問いに対する回答。
これがまかりとおるなら、下の文章もオッケーと言うことになる。
そもそも、なぜ「外国人お断りのマンション」ができたか、考えてみてください。原因をつくったのは、外国人です。外国人が日本のマンションで犯罪をするから、日本人の自衛のために、外国人お断りのマンションが必要になったんです。「差別だ~」って騒ぐんなら、「ボクらは決して犯罪なんかしませんから」って、外国人全員に保証してほしいですね。「ほかの外国人は知らないけど、ボクは決してしないよ」って言うんなら、「逆差別」を受けてとばっちりを喰らっているのは、「ボク」と同じ国の他のけしからん外国人たちのせいですから、怒りは日本人にではなく、犯罪をした外国人に向けてください。「キミたちみたいな不埒な外国人がいるから、ボクらが迷惑をこうむるんだ」って。そして日本のなかで、外国人の犯罪を見つけたら、あるいは日本人が声を上げたら、ぜったいに無視しないで、「キミ、やめたまえ」って介入してください。外国人の敵は外国人、ですよ。外国人犯罪を野放しにするから、外国人全体の評判が落ちるんです。
「ある集団の一部が加害的だからといって集団全体を差別してもよい」ということになれば、部落差別だって人種差別だってすべて許されることになる。差別は被害者意識から生まれる、ということがよくわかる身勝手な論理だ。
「ウイグル人がテロ行為をしたからウイグル人全員を洗脳教育しなくちゃいけない」という中国共産党の論理とまったく同じだ。
ことわっておくが、ぼくは女性専用車両はアリだとおもっている。でも差別だともおもっている。「女性専用車両は男性差別だが、痴漢被害を防ぐという公益のほうが大きいからしかたなく採用している差別」だ。当然、もっといい方法があるのなら、すぐさま撤廃しなければならない。
だから女性専用車両には、法的な強制力はない。あくまで「鉄道会社から乗客に対して協力にお願いしてもらっている」だけだ。憲法に違反するから法制度化できないのだろう。
「しかたなく採用している差別」であることに無自覚であるのは、たいへんおそろしいことだ。
この本を読むかぎり、上野千鶴子さんは加害者になることに対して無自覚すぎる。差別されることには敏感だが、差別する側になることについてはまったく無頓着だ。
だからオッサンに対してはどれだけひどい言葉をぶつけてもいいとおもっているし、ある集団の一部が犯罪者であれは集団まるごとが迫害されるのも当然だとおもっている。典型的な差別主義者だ。
結局この人は自分が女だから女の地位向上のために闘っているだけで、もし男として生まれていたなら「女はだまってろ」側の人間になっていただろう。差別をなくしたいわけではなく、自分が差別される側でありたくないだけなのだ。
まあだいたいの人間がそうなので(ぼくもそうだ)、しかたないことではあるけれど。
こういう人が先陣を切っているのだから、フェミニズム活動が反発を食らう理由がよくわかる(また反発をされても「自分たちが正しいからこそ反発された」とおもってそうなのがタチが悪い)。
子どもの喧嘩じゃないんだから、自分が言われてイヤだったことを言い返したって事態は好転しませんよ。
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