ダライ・ラマ自伝
ダライ・ラマ(著) 山際 素男(訳)
3歳のときにダライ・ラマと認められ、中国軍に侵攻されたことで亡命政府の長となり、後にノーベル平和賞を受賞するという波乱万丈な人生を送っている第14代ダライ・ラマによる自伝。
高野秀幸さんが『未来国家ブータン』の中でおもしろい本だと絶賛していたので読んでみた。
ダライ・ラマといえばチベット仏教の最高位であり、チベット国の元首でもある。国民にとっては精神的支柱である。いわば大日本帝国における天皇ぐらいの大権力者だ。
それなのに、ぜんぜん飾らない人柄であることが文章からもにじみ出ている。ダライ・ラマになった後も清掃係たちといっしょにいたずらをしたことを書いていたり、大事な式典のときに時間がかかるからトイレが大丈夫だろうかとばかり考えていたと書いていたり。
ちなみに、ダライ・ラマは生まれたときからダライ・ラマなわけではない。先代のダライ・ラマが亡くなったときに、高僧である摂政が“視た”光景をもとに使者が国中を探しまわり、その光景通りの家を探し当て、そこに住んでいた子どもに先代の遺品とそれにそっくりな偽物を見せ、その子がことごとく本物を選んだためにダライ・ラマの化身であると認めたという。それが第14世ダライ・ラマ。まるで神話。今でもこんなやりかたが生きる世界もあるんだね。ローマ法王がコンクラーベという投票制で決まるのとえらい違いだ。
1948~1951年に、チベットは中国共産党軍に攻め込まれて占領された。今なおチベットは自治権を失っており、中華人民共和国のチベット自治区となっている。ある日突然中国軍が攻め込んできて植民地になったわけだ。当然チベット民衆は抵抗し、中国軍はチベット人に対して残虐の限りを尽くした。多くの人が虐殺され、拷問され、経済的自由や教育の機会を奪われた。
祖国と同胞を踏みにじられたにもかかわらず、ダライ・ラマ氏の文章からは中国に対する怒りはまるで感じられない。いや、そんなわけないだろとおもってしまう。憎しみや怒りがあふれて当然だろう。それでも憎悪や恨みは微塵も感じさせない。さすがは高僧である。
祖国の敵である中国を憎むどころか、そこから学ぼうという姿勢まで見せる。
「汝の敵を愛せよ」という言葉があるが(聖書の言葉だが)、言うは易くても行うは難し、自分の愛する人を殺した国を愛することはなかなかできない。
「中国にはあれだけ多くの人がいるんだから、一部残虐なことをする人がいたとしても、大半の国民は我々と同じ平和を愛する人のはず」なんてことを書いている。よくその境地に達することができるものだ。
ダライ・ラマ氏による平和への提言。
こんな冷静な思考ができるのはすごい。(特に被害者の側は)自分の側の要求を叫びたくなるものだが、相手側のメリットを訴えることができる。
なんと大人な対応だろう。昨今、自国の利益ばかり求める人ばかりが各国のトップに立っている。そんな態度で相互に利益のある共同関係が築けるはずがない。ダライ・ラマ氏のような人が首脳になってくれたらしいのになあ。
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