2019年12月9日月曜日

【読書感想文】失業率低下の犠牲者 / 池上 正樹『ルポ ひきこもり未満』

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ルポ ひきこもり未満

レールから外れた人たち

池上 正樹

内容(e-honより)
派遣業務の雇い止め、両親の多重債務、高学歴が仇となった就職活動、親の支配欲…。年齢も立場も、きっかけも様々な彼らに共通するのは、社会から隔絶されて行き場を失ってしまった現状である。たまたま不幸だったから?性格がそうさせているから?否。決して他人事ではない「社会的孤立者」たちの状況を、寄り添いながら詳細にリポート。現代社会の宿痾を暴き出し、解決の道筋を探る。制度と人間関係のはざまで苦しむ彼らの切実な声に、私たちはどう向き合うことができるのか…。

ひきこもり、あるいはそれに近い状態の人たちの事例が紹介されている。
この本で紹介されている人たちのケースは様々だ。うまく問題を克服して社会に出られた人、今ももがき苦しんでいる人、そしてひきこもりの末に自殺した人……。

以前、久田 恵『ニッポン貧困最前線 ~ケースワーカーと呼ばれる人々~』という本の感想でこんなことを書いた。

生活保護を受けている多くの人にとって、お金がないことは「結果」であって「原因」ではない。
現代日本では“あたりまえ”とされていることをできないことが原因だ。

だからお金を支給するだけでは解決にならない。

羽が折れたせいでエサがとれない鳥に対して、エサを与えて「次からは自分でエサをとれよ」と言っても何も解決しないのと同じように。

「ひきこもり」の問題も同じだ。
外に出られないことには原因がある。「出てきなさい」というだけで解決するような問題ではない。ただ仕事を与えて外に出すだけではだめだ。

ぼく自身、いっとき半ひきこもり状態だった。
気心の知れた友人とであれば出かけるが、それ以外の人とは会いたくない。一週間のうち五日か六日は終日実家にいるなんてこともあった。

あれはつらいものだ。「出たくない」とおもっているわけではない。
常に「出たくない」と「でも出なきゃだめだ」が闘っている状態だ。外に出なきゃいけないことは自分がいちばんわかっている。けど動けない。
そんな状態の人に「まず一歩外に出てみよう」と言ったって無駄だ。羽が折れた鳥に対して「さあ外に出ておいでよ。襲いかかってくる犬も猫もいるけど怖がらなくていいよ」と言うようなものだ。まずは身を守る方法を身につけさせなくては。

ぼくの場合は一年ぐらい半ひきこもりを続けた後、「バイトぐらいはしなくちゃな」ということでバイトをするようになり、そのまま正社員登用されてひきこもりを脱することができた。
でもこれはたまたま運が良かっただけだとおもっている。
実家に経済的余裕があったから一年の休息をとることができたけど、その余裕がなく無理して外に出ていたら心を壊していたかもしれない。
一念発起して受けたバイトの面接に落ちていたら意欲をなくしていたかもしれない。
正社員登用されていなかったらそのまま中年フリーターになっていたかもしれない。

いろんな「ラッキー」が重なっただけで今はそこそこ落ち着いた暮らしをできているけど、ほんの少し歯車がずれていたらぼくも『ルポ ひきこもり未満』に載る側だったかもしれない。



ひきこもりに対しては行政も対策を立てている。
が、あまり機能していない。

ひとつには、年齢制限を課していることがある。
これまでの公的支援が上手くいかなかった理由は、このように支援対象者を年齢や状態などで線引きしてきたことにある。勇気を出して、藁にもすがるような思いでたどり着いた最初の相談窓口の担当者から「あなたは支援の対象ではない」「あなたはここではない」などと冷たく突き放され、あるいは一方的な関係性の支援によって、社会に出ることを諦めてしまう――そんな経験をしてきた当事者たちは少なくない。
 こうした支援のあり方は、話題になっている「8050問題」のひきこもり長期高齢化や、地域で家族ごと潜在化していく大きな要因にもなっていて、当事者たちから「排除の暴力」と批判されてきた。
 柴田さんとやりとりしていた当時、ひきこもり支援の国の施策は、内閣府の「子ども・若者育成支援推進法」が法的根拠とされてきた。そのため、現場の自治体でも、「ひきこもり支援」のゴールは「就労」とされ、「三九歳以下の若者就労支援」に重きが置かれた。その支援の対象から弾かれた本人や家族は、せっかく相談にたどり着いても、せいぜい精神医療へと誘導されるのが実態だった。
せっかく支援制度があっても「二十代・三十代のひきこもりの人が対象」などと制限を設けてしまう。

まあ救いやすいほうから救うという考えもわからんでもないが、しかしより深刻なのは中高年のひきこもりのほうだ。
若ければ本人の意志次第でなんとかなることも多いが(その意志を奮いおこすのがたいへんなんだけど)、中高年の場合は本人の意志だけではどうにもならないことも多い。
正社員はもちろんアルバイトや派遣の職すらなかなか見つからない。周囲の目は厳しくなるどころか認知すらされなくなる。

ほんとはここにこそ行政が手を伸ばすべきなんだろうけど、成果が上がりづらいからか、放置されてしまう。
本人だけでなく、社会にとっても大きな損失なのだが。


『ルポ ひきこもり未満』に出てくる人の経歴を見ると、「たまたま運が悪かっただけ」の人も多いようにおもう。
たまたま最初に入った会社がブラック企業だった、たまたま直属の上司がパワハラ体質だった、たまたま会社の経営が傾いた。
本人の意思でどうにもならない事情が大きい。
もちろんどんな逆境でも乗りこえられるスキルや精神力を持った人もいるが、そんなのは少数派だ。
些細なきっかけでひきこもり生活に転落してしまう。そして一度道を外れると復帰するのはすごくむずかしい。

役所で非正規雇用をされている人の話。
 さらに、濱口さんが何よりも苦痛だったのは、仕事がないのに採用され続けていたことだという。何もすることがないのに職場にいることは、とても耐えがたかった。
 何をしていればいいのかわからないまま、時間が過ぎるのを待つ。指示も何もない。指示があっても、「何もしなくていいよ」と言われる。濱口さんは、生きている価値を否定されているような感覚に襲われた。
 そんなひどい状況であっても、「政治的な約束」を実行するために、その後も非正規は、採用され続けた。
 そもそも濱口さんは、失業対策のために雇われているから仕事がない。仕事を与えられないけど、自分も何かしなければと思っていた。雇わなければいけないことになっているから、給料も支払われる。
 同僚の中には、「仕事しないなら、私、行かない」と言って辞めてしまった人たちもいた。とにかく仕事がなかった。
 一方で、残業するほど忙しくしている部署もあった。しかし、職場側は、同一賃金を払わなければならなくなるため、非正規には仕事をさせようとしない。「働き方改革」が言葉の響きだけで骨抜きになるのではないかと懸念されるのは、まさにこの点である。当初、もらっていた仕事も、途中から来なくなることもあった。
 失業率の数字を下げるといっても、構造的な面での「からくり」に過ぎない。仕事がないために、スキルを付けないまま歳を取っていく。すると、求人欄で足を切られて応募ができなくなるという、負のループにハマっていく。
非正規雇用を増やし、一人でやっていた仕事を二人で分ければ数字上の失業率は低下する。
だけど出せる金は限られているから一人あたりの給料は減る。
「ギリギリ生活できる人」を増やしたにすぎない。

公務員はどんどん非正規化されていっている。
政府が「失業率が下がった!」と喧伝するためだけに弱い立場の人が犠牲になっているのだ。

一億総活躍時代の実態は「みんなで貧しくなろう」だ。


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