速水 融
あまりなじみのない「歴史人口学」なる学問の日本における第一人者による、歴史人口学入門書。
人口、世帯、出産、死亡、転入転出などの時代ごとの変遷を追う学問だそうだ。
今の日本は、人口に関する問題に直面している。人口減、少子化、高齢化、働き手の不足、都市への人口集中、社会福祉費の増大。そんな問題解決への糸口に、ひょっとしたら歴史人口学がなってくれるかもしれない。
江戸時代の中期以降はほとんど人口が増えなかった、という話を聞いたことがある。江戸時代は人口の面では停滞期にあった、というのが一般的な認識だが、細かく見るとそんなことはないそうだ。
たしかに十八世紀の日本の人口は大きな増減はない。だがそれはあくまで日本全体の話であって、地域ごとに見るとダイナミックな変化が見えてくる。
なんとなく「江戸時代、町人はいい暮らしをしていて、農村は貧しさにあえいでいたのだろう」とおもっていたが、実態はむしろ逆で、都市部のほうが死亡率が高かったのだそうだ。農村は乳幼児と老人は死ぬが、若い人はそんなに死んでいない。都市のほうがばたばた死ぬ。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』にも書いてあったが、人口密度が高まると伝染病の流行率がぐっとはねあがるのだ。江戸時代の都市は住環境も悪かっただろうし。
それでも、地方の若者(次男坊、三男坊)は都市(江戸、京都、大坂)に出てくる。だって田畑がないもの。都市は若者が増える。だが都市の死亡率は高く、結婚・出産の数も地方より少ない。都市は死亡が多くて誕生が少ないので自然人口減になるが、地方からの流入によって人口が保たれる。地方は出産数が多いが若者が都市に流出するのでこちらも大きな人口の増減はない。
現代日本と同じことが江戸時代から起こっていたのだ。今も昔も、都市は出産・育児をするのに適した場所ではなかったわけだ。
なんとなく、江戸時代の農村で生まれたら、家と田畑を継いで、死ぬまでずっとその村の中で生きていくのかとおもっていた。
でもそんなのは長男だけ(そして江戸時代はきょうだいが多いので長男が今よりずっと少なかった)。若者の三分の一ぐらいが村の外に出ていた、というケースもあったようだ。奉公、出稼ぎ、身売りなどで男女問わずけっこう他の村や都市へ移動していたようだ。
また、都会に働きに出た経験のある女ほど結婚・出産の年齢が遅く、生涯に産む子どもの数が少なかったそうだ。このへんも今とおんなじ。
「地方には若者が就く仕事がないから都会に出る」「都会に出てきた若者は結婚が遅く、子どもも作らない傾向にある」ってのはここ数十年の話ではなく、数百年間にわたってずっとくりかえされてきたことなのだ。
今も昔も、都市の生活は多くの人々の犠牲の上に成り立っている。
現代の日本においては、世代や個人による人生観の差はあれど、地域による差はさほどないんじゃないかとおもっている。北海道から沖縄まで同じ教科書で学び、同じものを読み、同じテレビ番組や同じウェブサイトを見ているから、大きな差は生まれにくそうだ。
でも江戸時代は、地域によって考え方がぜんぜんちがったのではないかと著者は書く。
東北では早く結婚・出産をおこない、けれどひとり当たりの出産数は少ない傾向にあった。逆に西日本では晩婚の傾向があり、東北ほど産児制限をしている様子はなかった。そして南から来た人は家族規範から自由で、人口制限もさらに少なかった。そんな傾向が江戸時代の資料から読みとれるそうだ。
まだ「日本人」という意識もなかった時代。今の日本人がおもうよりずっと、当時の日本人は地方によって異なる生活をしていたんだろうね。
その他の読書感想文は
こちら
0 件のコメント:
コメントを投稿