2021年10月13日水曜日

【読書感想文】河合 雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』

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未来の年表

人口減少日本でこれから起きること

河合 雅司

内容(Amazonより)
日本が人口減少社会にあることは「常識」。だが、その実態を正確に知る人はどのくらいいるだろうか? 第1部では「人口減少カレンダー」とし、2017年から2065年頃まで、いったい何が起こるのかを、時系列に沿って、かつ体系的に示した。第2部では、第1部で取り上げた問題への対策を「10の処方箋」として、なるべく具体的に提示した。本書は、これからの日本社会・日本経済を真摯に考えるうえでの必読書となる。


 ちょっと前によく売れていた本を今さら。

 あまり知られていないが、この社人研の推計には続きがある。一定の条件を置いた〝机上の計算〟では、200年後におよそ1380万人、300年後には約450万人にまで減るというのだ。世界的に見れば人口密度が非常に高かったはずの日本列島は、これからスカスカな状態になっていくということである。300年後というのは現在を生きる誰もが確認しようのない遠い未来の数字ではある。が、450万とは福岡県(約510万人)を少し小ぶりにした規模だ。日本の人口減少が地方消滅というような生易しいレベルの話ではないことはお分かりいただけよう。

 これからの日本はどんどん人口が減る、ってのは知っていても、こうして「何が起こるか」を並べられると背筋が冷たくなる。

 介護離職が大量発生、ひとり暮らし社会が本格化、社員の平均年齢が上がり人件費だけが増える、東京も人口減少、認知症患者急増、医療機関や商業施設やインフラが立ちいかなくなる、自治体の半数が消滅の危機に、食糧不足……。

 しゃれにならない。
「人口が減るのはいいことも多い!」という声も耳にしたことがあるが、とんでもない。
 全体的にまんべんなく減っていくのならそれもいいかもしれないが、問題は「若い人がいなくなって高齢者だらけになる」ことなのだ。

 じっさい、上に挙げた問題のほとんどは「高齢者が増える」ことに起因するものだ。




「少子高齢化」なんて言葉をよく耳にするが、少子化と高齢化はまったく別の問題だ。

 くっつけていっしょに語ること自体がおかしい。

 これは「2040年問題」で取り上げた〝常識のウソ〟の続きともなるが、「高齢化は地方ほど深刻」と誤解されていたのは、高齢者数の増加を意味する「高齢化」と、総人口に占める高齢者の割合が増える「高齢化率の上昇」とを混同していたことに由来する。つまり、高齢化率が上昇するのは少子化が原因という誤解である。こうした誤解は往々にして「高齢化問題を解決するには、少子化対策に全力で取り組むしかない」 という奇妙な理屈になる。
 だが、少子化対策が功を奏して出生数が劇的に増えたとしても、高齢者の絶対数が減るわけではない。そして、高齢者が多いから「子供が生まれにくい国」になったわけでもない。高齢者数が増える「高齢化」と、子供の数が激減することを表す「少子化」とは、全く種類の異なる問題なのである。

 まず認識しなければならないのは、「少子化」はもう止めようがないということだ。

 二十代三十代が全員結婚して、全夫婦が三人ずつ子どもを産んだとする。それでも人口は増えない。だってそもそも二十代三十代が少ないんだから。

 全夫婦が六人ぐらい子どもを産めばやっと増えるが、そんなのは非現実的すぎるし、そうなったらなったでまた別の問題が生まれるだろう。

 今後は子どもが減るし、総人口も減る。働き手も減りつづける。これはもう絶対に避けられない。

 そしてこれも大事なんだけど、「少子化」ですぐに困る人はそんなにいない。教育産業ぐらい。
 だって子どもは働き手じゃないもの。どっちかっていったら社会のお荷物なんだもん。とりあえず今は。
 だから少子化は、一時的には社会にとってプラスだ。


 問題となるのは「高齢化」のほうだ。こっちはほぼマイナスでしかない。

 ちなみに、いまだに「高齢化社会」なんて言葉を使う人がいるが、日本は1994年には「高齢化社会」を脱して「高齢社会」になり、2007年には「高齢社会」すら通りすぎて「超高齢社会」になっている。
「高齢化社会」という言葉を使う人は、認識が30年遅れている。

 正確にいえば、高齢者が増えることによる社会全体の「生産性の低下」と「社会負担の増加」が問題になる。

「高齢者を強制的に減らす」が不可能である以上、打てる手は「高齢者にも働きつづけてもらう」「高齢者への医療・年金などの支給を減らす」しかない。

 移民の受け入れ、女性労働力の活用、AIの利用などいくつか対策は検討されるが、どれもまったくの無意味ではないものの焼け石に水といったレベルだ。

 鍋の底に大きな穴が開いて水漏れしてるのに「だったら鍋に入れる水の量を増やそう」「水の流れを変えたら水漏れのスピードが落ちるんじゃないか」「水の代わりにべつの液体を注ぐのはどうか」とか言ってるようなものだ。
 肝心の穴をふさがないとどうしようもない。

 でも、保守も革新も含め、どの政党も「高齢者への過剰なサービスは止めよう」という話をしない。
 ぼくはそれが納得がいかない。

 今の年金・医療費の制度を維持できないことは誰もが知っているわけじゃない。このままだといつかは破綻する。
 だったら早めに手を打たないといけない。でも誰も手を付けようとしない。先延ばしにすればするほど後の世代が困るのに、それを先延ばしにしている。

 目先の票が欲しいから「年金給付を減らします。高齢者の医療費負担を上げます」と言わない。
 それはすなわち「現役世代の年金給付を減らします」「現役世代が歳をとったときの医療費負担を増やします」と言っているのと同じことなのに。

 なんでどの政党も問題を先送りにするのかね。

 べつに、今の高齢者だけが苦しいおもいをしろなんて言ってるわけじゃないんだよ。
「今の高齢者が楽して、その分他の人が苦しいおもいをする」のをやめようって言ってるだけなんだよ。

 そこにちゃんと切り込む政党が現れたら票を入れるのに。

 あーあ、地域別の比例代表制じゃなくて年代別の比例代表制にならないかな。平均余命に応じて議席数を配分して。




 外国人の大規模受け入れが新たな日本人の少子化を招くことも認識しなければならない。各国とも外国人は低賃金で厳しい仕事に就く傾向にある。割安な賃金で働く外国人が増えれば、日本人全体の賃金も押し下げるだろう。永住者は原則どんな仕事にも就けることも忘れてはならない。人手不足の業界が、〝後継者〟と期待して受け入れたのに、永住権を取得した途端、〝割の良い仕事〟に転職するというケースも生じよう。それは穴埋め要員どころか、日本人の職を奪う存在にもなりかねないということだ。
 不安定な雇用を余儀なくされる日本の若者が増えることになれば、ますます結婚ができないケースが増える。その結果、少子化が進み、さらなる外国人労働者の必要論になるのでは、まさに負のスパイラルである。

 移民受け入れの話をすると「外国人に日本が乗っ取られる!」みたいなことを言う人がいるけど、ぼくはべつにそれでもいいとおもう。

 アメリカやオーストラリアなんかそうやって繁栄してきたんだし。

〝生粋の日本人〟なんてそもそもがフィクションに近い概念だし、そんなものなくなったってぼくはいっこうに困らないけどな。どうせその頃には全員死んでるんだし。

 

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