未来の年表
人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司
ちょっと前によく売れていた本を今さら。
これからの日本はどんどん人口が減る、ってのは知っていても、こうして「何が起こるか」を並べられると背筋が冷たくなる。
介護離職が大量発生、ひとり暮らし社会が本格化、社員の平均年齢が上がり人件費だけが増える、東京も人口減少、認知症患者急増、医療機関や商業施設やインフラが立ちいかなくなる、自治体の半数が消滅の危機に、食糧不足……。
しゃれにならない。
「人口が減るのはいいことも多い!」という声も耳にしたことがあるが、とんでもない。
全体的にまんべんなく減っていくのならそれもいいかもしれないが、問題は「若い人がいなくなって高齢者だらけになる」ことなのだ。
じっさい、上に挙げた問題のほとんどは「高齢者が増える」ことに起因するものだ。
「少子高齢化」なんて言葉をよく耳にするが、少子化と高齢化はまったく別の問題だ。
くっつけていっしょに語ること自体がおかしい。
まず認識しなければならないのは、「少子化」はもう止めようがないということだ。
二十代三十代が全員結婚して、全夫婦が三人ずつ子どもを産んだとする。それでも人口は増えない。だってそもそも二十代三十代が少ないんだから。
全夫婦が六人ぐらい子どもを産めばやっと増えるが、そんなのは非現実的すぎるし、そうなったらなったでまた別の問題が生まれるだろう。
今後は子どもが減るし、総人口も減る。働き手も減りつづける。これはもう絶対に避けられない。
そしてこれも大事なんだけど、「少子化」ですぐに困る人はそんなにいない。教育産業ぐらい。
だって子どもは働き手じゃないもの。どっちかっていったら社会のお荷物なんだもん。とりあえず今は。
だから少子化は、一時的には社会にとってプラスだ。
問題となるのは「高齢化」のほうだ。こっちはほぼマイナスでしかない。
ちなみに、いまだに「高齢化社会」なんて言葉を使う人がいるが、日本は1994年には「高齢化社会」を脱して「高齢社会」になり、2007年には「高齢社会」すら通りすぎて「超高齢社会」になっている。
「高齢化社会」という言葉を使う人は、認識が30年遅れている。
正確にいえば、高齢者が増えることによる社会全体の「生産性の低下」と「社会負担の増加」が問題になる。
「高齢者を強制的に減らす」が不可能である以上、打てる手は「高齢者にも働きつづけてもらう」「高齢者への医療・年金などの支給を減らす」しかない。
移民の受け入れ、女性労働力の活用、AIの利用などいくつか対策は検討されるが、どれもまったくの無意味ではないものの焼け石に水といったレベルだ。
鍋の底に大きな穴が開いて水漏れしてるのに「だったら鍋に入れる水の量を増やそう」「水の流れを変えたら水漏れのスピードが落ちるんじゃないか」「水の代わりにべつの液体を注ぐのはどうか」とか言ってるようなものだ。
肝心の穴をふさがないとどうしようもない。
でも、保守も革新も含め、どの政党も「高齢者への過剰なサービスは止めよう」という話をしない。
ぼくはそれが納得がいかない。
今の年金・医療費の制度を維持できないことは誰もが知っているわけじゃない。このままだといつかは破綻する。
だったら早めに手を打たないといけない。でも誰も手を付けようとしない。先延ばしにすればするほど後の世代が困るのに、それを先延ばしにしている。
目先の票が欲しいから「年金給付を減らします。高齢者の医療費負担を上げます」と言わない。
それはすなわち「現役世代の年金給付を減らします」「現役世代が歳をとったときの医療費負担を増やします」と言っているのと同じことなのに。
なんでどの政党も問題を先送りにするのかね。
べつに、今の高齢者だけが苦しいおもいをしろなんて言ってるわけじゃないんだよ。
「今の高齢者が楽して、その分他の人が苦しいおもいをする」のをやめようって言ってるだけなんだよ。
そこにちゃんと切り込む政党が現れたら票を入れるのに。
あーあ、地域別の比例代表制じゃなくて年代別の比例代表制にならないかな。平均余命に応じて議席数を配分して。
移民受け入れの話をすると「外国人に日本が乗っ取られる!」みたいなことを言う人がいるけど、ぼくはべつにそれでもいいとおもう。
アメリカやオーストラリアなんかそうやって繁栄してきたんだし。
〝生粋の日本人〟なんてそもそもがフィクションに近い概念だし、そんなものなくなったってぼくはいっこうに困らないけどな。どうせその頃には全員死んでるんだし。
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