2025年12月10日水曜日

【読書感想文】高野 秀行『未来国家ブータン』 / 不自由が幸福の秘訣

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未来国家ブータン

高野 秀行

内容(e-honより)
「雪男がいるんですよ」。現地研究者の言葉で迷わず著者はブータンへ飛んだ。政府公認のもと、生物資源探査と称して未確認生命体の取材をするうちに見えてきたのは、伝統的な知恵や信仰と最先端の環境・人権優先主義がミックスされた未来国家だった。世界でいちばん幸福と言われる国の秘密とは何か。そして目撃情報が多数寄せられる雪男の正体とはいったい―!?驚きと発見に満ちた辺境記。

 ブータン探訪記。

 正直、高野秀行さんの他の著作と比べると、わりとふつうの旅行記に収まっているかな。高野さんのノンフィクションは「ほんとにそんな民族いるのかよ!?」「21世紀によくこんな国が成り立ってるな!」と我々とはまったく異なる文化を紹介してくれるのでおもしろいのだが、『未来国家ブータン』を読んでいておもうのは「ブータンってけっこう日本に似ているところがあるな」とか「昔の日本もブータンみたいだったのかもなあ」といったことで、あまり驚きはない。

 ブータンは「半鎖国国家」である。一般の旅行者は一日二百ドルも払う義務があり、基本的に観光ガイドを連れて、予定したルートしか回れないという。私は旅行者でなく政府と一緒に調査に来ている。「どこへ行ってもいい」と聞いていたから、おもしろい情報があればそこに行ってみるくらい当然できるだろうと思っていたのだが、それは間違いだった。
 行く場所は自由だが、それは前もって許可を申請しないといけない。それだけではない。その場所に到着する日にち、そこを出る日にちも申請し、その日程通りに動かなければいけない。
 要所要所に関所のような検問所があり、提出した書類の日にちとズレがあると通してもらえなくなるという。

 もしも明治維新が起きずに日本が鎖国を続けていたら、ひょっとしたらブータンみたいになっていたのではないか……。そんな想像もしてしまう。

 企業の依頼で生物資源探査に向かう、という(高野さんにしては)まっとうな目的があるのも、ルポルタージュとしてものたりない理由のひとつだ。



 ブータンは中国・インドという二大大国に挟まれる位置に存在している。人口は約87万人。世田谷区民より少ない。

 ブータンは小さな国だ。それは今までもさんざん見てきたが、ここタシガンに着いて改めて驚かされた。なにしろ、ブータンでも最も人口の多い土地の中心地なのに、呆れるほど小さい。端から端まで歩いて十分かからない。山の斜面に石造りとコンクリートの建物が数十軒へばりついていて、イメージとしては、箱根登山鉄道の一つの駅(例えば強羅)の周辺みたいだ。
 町の総人口が少ないうえ都市化も進んでいない。
 ホテルの部屋からタシガンの町を眺めていると、「どうしてブータンは国として認められているのか」という恐ろしい疑問をおぼえてしまう。
 別に国である必要はないんじゃないか。中国雲南省やタイ北部やインド東部の山奥の州や県であってもおかしくない。いや、そっちのほうがよほど自然だろう。
 私が思うくらいだから、ブータン王国を運営する人たちは、間違いなくそれを不安に思うはずだ。だからことある毎に「ブータンは一つ」「ブータン人は独自の民族」と訴えるわけである。
 なにしろインドと中国という人口十数億の二大超大国の間に挟まっているのだ。いつ、どちらかに飲み込まれるかわからない。現実にブータンと近しい二つのヒマラヤの国、シッキムとチベットはインドと中国にそれぞれ吸収されてしまった。
 シッキム王国はネパール系移民の数が元の住民を上回り、住民投票でインドに帰属することになってしまったし、チベットはご存じのとおり中国に侵略され、そのまま同化の道をたどっている。
 ブータンの独自路線というのは、環境立国にしても伝統主義にしても理想を追い求めた結果ではなく、「独自の国なんですよ!」と常にアピールしつづけないと生き残れないブータンの必死さの現れなんだとしみじみ思う。

 なるほど。このあたりはちょっとイスラエルにも似ている。イスラエルは(宗教的に対立する)アラブ諸国に囲まれているので、アメリカとの結びつきを強くしたり、諜報活動に力を入れたりしているそうだ。

 だがブータンは経済や軍事ではなく、「環境保護」「国民の幸福度」といった独自の路線で生き残る道を選んだ。これはいい戦略だとおもう。へたに軍備に力を入れたらかえって攻め込まれる口実を与えるだけだし、山ばかりの内陸国で経済発展はかなりむずかしいだろう。

 そして先進国が「経済成長ばかりじゃだめだ。物質の豊かさだけでは幸福にはなれない」と気づいたとき、気づけばブータンという理想的(に見える)国があったのだ。周回遅れで走っていたらいつのまにか先頭になっていたようなものである。

 ブータンがこの状況を完全に読んでいたわけではないだろうが、とにかく独自路線を貫いていたブータンは世界から注目される国になったのである。とりあえず今のところは作戦成功していると言ってよさそうだ。




 ブータンでは、1970年代に国王が提唱した「国民総幸福量」を提唱した。国内総生産のような物質的豊かさではなく、精神面での豊かさを強調したのだ。

 現にブータン国民は自身が幸福と感じている人が多く、結果、「世界一幸せな国」とも呼ばれるようになった(※ ただし2010年頃からはスマホの普及などで海外の情報が入ってきたこともあってブータン国民が感じる幸福度は低下してきている)。

 ブータン国民の「幸福」の原因を高野さんがこう考察している。

 そうなのである。ブータンを一ヶ月旅して感じたのは、この国には「どっちでもいい」とか「なんでもいい」という状況が実に少ないことだ。
 何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は「自由」はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だか個人に責任がなく、葛藤もない。
 シンゲイさんをはじめとするブータンのインテリがあんなに純真な瞳と素敵な笑みを浮かべていられるのはそのせいではなかろうか。
 アジアの他の国でも庶民はこういう瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくな
 教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。
 自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。
 でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。
 ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。
 それこそがブータンが「世界でいちばん幸せな国」である真の理由ではないだろうか。

 なるほどねえ。自由が少ないから、悩まない。情報が少ないから、迷わない。

 うーん。たしかに幸福なのかもしれないけど、なんかそれってディストピアみたいだよなー。知らないから幸せでいられる。大いなる存在が無知な人民を支配して、人々はぼんやりとした顔で幸福に暮らす、SFでよくある話だ。

 でも「幸福」ってそんなもんなんだよね。たとえば今の女性って(昔に比べて)いろんな生き方を選べるけど、じゃあ「女の幸せは結婚して子どもを産んで育てることよ」と言われていた時代と比べてハッピーになったのかというと、うーん……。幸福って相対的なものだから、「自分は70点だけど隣の人は90点」よりも「みんなが50点で自分が60点」のほうが幸福なんだよな。昔はせいぜい「隣の花は赤い」ぐらいだったのが、今では「SNSで流れてくるどっかの誰かの花は赤い」だもんな。


 人類は「便利になれば幸福になる」と信じて突き進んできたけど、実際は逆で、便利で自由になるほど不幸の種が増えていく。それでも便利への道を進むのを止められない。幸福立国ブータンですらも。


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