2022年8月17日水曜日

【読書感想文】せきしろ・又吉 直樹『まさかジープで来るとは』 / 故で知る

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まさかジープで来るとは

せきしろ  又吉 直樹

内容(e-honより)
「後追い自殺かと思われたら困る」(せきしろ)、「耳を澄ませて後悔する」(又吉直樹)など、妄想文学の鬼才せきしろと、お笑い界の奇才「ピース」又吉が編む五百以上の句と散文。著者撮影の写真付き。五七五の形式を破り自由な韻律で詠む自由律俳句の世界を世に広めた話題作『カキフライが無いなら来なかった』の第二弾。文庫用書き下ろしも収載。

 共作の自由律俳句集。


 自由律俳句といえば、高校の現代国語でちらっと習った程度だ。

 種田山頭火の

まっすぐな道でさみしい

 尾崎放哉の

咳をしても一人

などが有名だ。

 要するに、五七五という定型や季語にとらわれない俳句だ。と、授業で教わったぼくはおもった。「は? これのどこが俳句なの?」

 季語はともかく五七五のリズムも捨ててしまったら、もはや俳句でもなんでもないじゃん。「細長くもないし文字も書けないけど、この物体のことは鉛筆と呼ぶことにしましょう」って言われても納得できないよ。「まっすぐな道でさみしい」が俳句になるのなら、ありとあらゆる文章が俳句になっちゃうんじゃないの?


 ……とおもっていたのだが、この本に収められている俵万智さんの解説を読んでちょっと理解できた。要するに、無駄なものを一切そぎ落とした表現が自由律俳句なのだ。

 定型俳句は世界でいちばん定型詩などと呼ばれるが、それでも十七音使える。「や」や「かな」など、リズムを合わせるためにあまり意味のない音を入れたりもする。

 自由律俳句はもっと厳しい。無駄な文字が一文字もない。助詞ですら厳選されている。おまけにリズムが良くない。五七五だとリズムがいいので、下手な俳句でも声に出せばそれなりに聞こえるが、自由律俳句だとごまかしが聞かない。ほら、お笑い芸人のネタでもリズムに乗せてテンポよく言えば内容はいまいちでもそれなりに楽しく聞こえるじゃない。でも、ぼそっと一言ネタをしゃべるスタイルだと相当中身が良くないとおもしろくない。




『まさかジープで来るとは』には、ユーモアとペーソスがにじみ出る自由律俳句がたっぷり収められている。

 特に感心したのがこれ。

故で知る (又吉)

 なんとたった四文字(かなにしても四文字)! それなのにちゃんと意味がわかるし、心情も伝わってくる。

 新聞などで「故〇〇氏」と書かれているのを見て「ああ、あの人亡くなってたんだ」と知る。しかも「故」と書かれるということは死んだのはけっこう昔で、自分が知らなかっただけで亡くなったときはちょっとした話題になったのだろう。亡くなったこと以上に、自分だけが知らなかったことに対する一抹の寂寥感。それがこの四文字の句から伝わってくる。




楽しそうに黙とうの真似をする子供 (せきしろ)

 これもいい。子どもからしたら、大人たちが一斉に黙って同じことをする黙祷ってなんか楽しいんだよね。非日常的なイベント感があって。法事は長くてしんどいけど、黙祷はせいぜい一分だから子どもでもなんとか耐えられる。

 悲しいはずの行為である黙祷が楽しいイベントになるおかしさが伝わってくる。




自分の分は無いだろう土産に怯える (又吉)
自分が注文した料理が余っている (又吉)

 こうした句を見ると、いかに又吉氏が他人に気を遣いながら生きているかがよくわかる。

 近くの席で誰かが親しい人だけにお土産を渡しはじめたら緊張する。どんな顔をしていいのかわからない。じっと見たら物欲しげに見えて相手に気を遣わせてしまうし、かといって目を背けるのもそれはそれで不自然だ。何かに集中していて気づかないふりをするしかない。

 自分とは無関係なのに、だからこそドキドキしてしまう。まさに「怯える」だ。




孫にグーしか出さない祖母が又勝ってグリコ (又吉)

 ああ、わかるなあ。ちっちゃい子と「グリコ・チヨコレイト・パイナップル」の遊びをしたことのある人ならわかるはず。

 じゃんけんは運だから、自分ばかりが勝ってしまうことがある。こどもに勝たせてあげたい。せめて圧勝だけは避けたい。だからグー。勝っても三歩しか進めないグー。大勝ちしないためのグー。なのにそんなときにかぎって、子どもはチョキを出す。勝ちたくないのに勝ってしまう。申し訳ない。

 勝ちたくないのに勝ってしまってつらいおばあちゃんの心情が手に取るようにわかる。




こつが解ったから早くやりたいと焦っている (又吉)
筆箱を整理しなければと前も思った (又吉)

 あるよね。たしかにある。こういう心境。よくこんな些細な心の揺れをとらえられるなあ。些細すぎてあるあるネタにもならないぐらい。

「こつが解ったから早くやりたいと焦っている」は、子どもに何かを説明しているとよく味わう感覚だ。説明していると、子どものほうは途中である程度理解して、最後まで話を聞かずにうずうずしている。もうほんとに「うずうず」という文字が見えるぐらい早くやりたそうにしている。

 そしてこういうときって確実に失敗するんだよね。最後まで注意事項を聞かないから。




他の場所で会うと小さい大家 (又吉)

 いいねえ。おかしさと悲哀がまじりあっていて。

 契約をするときとか家賃を払うときには大家さんは大きく感じる。なんたって不動産オーナーなんだし、この人の機嫌を損ねたら自分は住むところを失ってしまうわけだから。

 ところが、そうじゃないところ、たとえば駅やスーパーでたまたま会ったときはごくふつうのおっちゃんだったりおばあちゃんだったりする。あたりまえだけど。あれ、この人こんなに存在感のない人だったっけ。

 その感覚を「小さい大家」と表現するあたりが絶妙。これが「小さく感じる大家」ではおもしろくない。小さい、という言い切りが気持ちいい。

「小さい大家」の字面もいい。矛盾をはらんでいるようで。

「他の場所で」も言葉足らずなのにちゃんとわかる。いやあ、いい句だ。これまた「アパート以外の場所で」ではおもしろくない。よくわからないのにわかる、それこそがおかしさを生む。




 自由律俳句だけでなく、句の背景となったエッセイも収録されていてそっちのほうも楽しめた。

 又吉氏の散文は町田康に影響を受けている香りが強くて好きじゃなかったけど(せきしろ氏のほうが好き)、自由律俳句のほうは又吉氏のほうが圧倒的に好みだったな。


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