生まれてバンザイ
俵 万智
妊娠中、出産後、子育ての間に詠んだ短歌を集めたオムニバス。
俵万智さんは好きなので『プーさんの鼻』は読んだことがあったはずだが、当時は子どもがいなかったのであまりぴんとこなかった。
五歳と〇歳の二児の父となった今では、同じ短歌を読んでもやはりいろいろ感じるものがあっておもしろい。
子どもが生まれる前は、子守歌ってほのぼのした優しい気持ちでうたう歌だとおもっていた。
でもじっさいはそうじゃない。
頼むから寝てくれ。おい早く寝ろよ。切迫した懇願であり脅迫であり祈りである。
子守歌をうたっている時間は、こちらの睡眠が削られている時間。戦いの時間なのだ。
子どものとき、怖い夢を見るたびに母親のところに行っていた。「そうか、こわかったの。もうだいじょうぶだよ」となぐさめてくれた。
今、娘が「こわいゆめをみた」とぼくをおこしにくる。眠いのに起こすなよ、と思う。めんどくせえな、と思う。でも「そうか、こわかったの。もうだいじょうぶだよ」となぐさめてあげる。
そうか。母親もこんな気持ちだったのか。
子どもにいろんなことをしてあげながら、「どうせこいつはおぼえてないんだろうな」と思う。
〇歳児はとうぜんだし、五歳児だって今ぼくと遊んだことや行った場所をほとんどぜんぶ忘れてしまうかもしれない。
子どもを持つ前のぼくなら、だったら意味ないじゃんと思っていたかもしれない。でも今はそうは思わない。
ぜんぶ忘れられたっていいさ。だってこっちはずっとおぼえてるからな!
子どもと歩いていると、それまで気づかなかったことに気づく。
タンポポが咲いていることや、街路樹に鳥が巣をつくっていることや、小さい段差があること。
ひとりで歩いているときは目に入ってもまったく意識をしない。だけど、子どもに世界を教えるつもりで歩いていると、タンポポが鮮明に意識される。まるで自分も生まれてはじめてタンポポを見たかのように。
それを「話しかけてくるなり」と表現するのはさすが。
赤ちゃんの歌を集めたオムニバスのはずなのに、なぜか後半には恋の歌が集められている。しかも初期の『サラダ記念日』や『チョコレート革命』などから。
子どもとの関わりを詠んだ歌の後に「恋の歌」を読むと、ずいぶんうすっぺらく感じてしまう。
いやべつに子育てのほうが恋愛より崇高だとかいうつもりはないんだけど、やっぱり同じスタンスでは味わえないよね。なんでこれ収録したんだ。じゃまでしかない。
収録されている短歌は子どもが三歳ぐらいまでの歌ばかりなので、「恋の歌」を入れるぐらいなら幼児~少年期の歌ももっと入れてほしかった。
後半さえなければいい本だったのになあ。
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