変人にあこがれていた。
「変なやつ」というのがぼくにとって最大の褒め言葉だった。
冬でも浴衣で出歩いたり、ホイッスルを首からぶらさげたり、ひとりだけ古い帽子をかぶって登校したり、調理実習のときにエプロンの代わりにカンドゥーラ(アラブ人が着てる白くてずどんとした服)を着たり、携帯扇風機を首からぶらさげたり(今でこそときどき見るが当時は誰もそんなことしてなかった)、学ランの胸ポケットににポケットチーフをしたり、ドラえもんお出かけバッグで高校に行ったり、教室で鍋をしたり、野球部でもないのにグローブを持って校内をうろうろしたり、授業中に無駄に元気よく手を挙げて「先生、質問があります!」と優等生みたいにハキハキとしゃべったり、とにかく人とちがうことをした。
カンドゥーラ |
特に、〝どう考えても異常な行為だけどやってることは悪いことじゃないから教師が注意するにできない〟行為が大好きだった。
「先生、質問があります!」とハキハキ言うのもそうだし、国語の音読で感情たっぷりに読むとか、避難訓練のときにひとりだけ本気の演技で「みんな落ち着け!」なんて言いながら避難するとか。
教師が困って苦笑いを浮かべるのが楽しかったのだ。趣味が悪い。
その甲斐あって、「変なやつ」「個性的なやつ」という評価を周囲からいただいた。
でも、ぼくの奇行はぜんぶ計算ずくだった。「こうやったら変なやつとおもわれるだろうな」という考えに基づくものだった。内からあふれてくるものではなかった。
ぼくは〝変人〟ではなく〝変人あこがれ〟だった。
まあ「変人にあこがれて変なことをする」ということ自体が変といえば変なのだが、ぼくの場合はうわべだけの奇行だから、ふつうにふるまうこともできる。親戚と会うときとかひとりで買い物に出かけるときとかはごくごく常識的な身なりをしていた。
「損をしない範囲で変人をやっている人」だった。
なぜ変人にあこがれていたのだろう。
たぶん、ぼくがつくづくふつうだったからだ。
平凡な家庭に育ち、平凡な街で暮らし、平凡な容姿と平凡な能力を持った人間。それがぼくだった。
学生時代、いろんな作家のエッセイをよく読んだ。波乱万丈な人生がうらやましかった。両親が離婚して苦労していたり、放蕩生活を送っていたり、人とはまったく違う趣味嗜好を持っていたり。そういう人生がまぶしかった。
だから変人になりたかった。変人としてふるまうことで、変人になれると信じていた。
もうひとつの要因として、自慢になるが、成績優秀だったこともある。中学時代は120人中5番ぐらいだった。高校に入ってからはさらに成績が良くなり、300人以上いる中でトップだった。
これは喜ばしいことであると同時に、恥ずかしいことだった。
公立校に通っていた人ならわかるとおもうが、勉強ができるやつというのはちょっとダサい。嫉妬もあるのだろうが、がり勉野郎、いい子ちゃん、そんな感じでバカにされる。スポーツができるやつが無条件で称えられるのとは大きな違いだ。(この感覚については前川ヤスタカ氏の『勉強できる子 卑屈化社会』を読んでいただければよくわかるとおもう)
そういう「勉強できるダサいやつ」という視線を回避する方法が、ぼくの場合は変人としてふるまうことだった。
常に変ないでたちをしていると「変なやつ」という評価になる。「変なやつ」は「勉強できるやつ」より強い。よりわかりやすいからだ。それどころか、「勉強ができる」というステータスは「変なやつ」を強化する要因になる。
「変なことばっかりしてるのに勉強できるなんて、やっぱり変なやつ」になるのだ。
「あいつは頭おかしいんだな。だから勉強もできるんだ」となってやっかみの対象にならない。変なやつはうらやましくないのだ。
ぼくの奇行は大学に入ったぐらいですっかり落ち着いた。
大学はみんな入試をくぐり抜けて入っているので自分の成績が良いことに負い目を感じることなんてないし(そもそも他人の成績なんて誰も気にしない)、人とのつながりが薄くなった分「自分のキャラクター」が気にならなかったこともある。
それに、中学高校は服装やら髪型が細かく決められているからそこからはみだすことで個性を主張できるが、大学ではどんな服でどんな髪型でもいいのでかえって個性を打ちだしにくいのだ。着物で大学構内を歩いている人もそうめずらしくもないし(いやめずらしいけど)。
今でも変人に対するあこがれは残っているが、もう自分が変人になろうとはおもえない。つくづく自分が凡人だと思い知ったから。
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