2021年3月30日火曜日

【読書感想文】なんと見事な切り口 / 佐藤 大介『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』

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13億人のトイレ

下から見た経済大国インド

佐藤 大介

内容(e-honより)
インドはトイレなき経済大国だった!?携帯電話の契約件数は11億以上。トイレのない生活を送っている人は、約6億人。マニュアル・スカベンジャーだった女性がカーストを否定しない理由とは?差別される清掃労働者を救うためにベンチャーがつくったあるモノとは?経済データという「上から」ではなく、トイレ事情という「下から」海外特派員が迫る。ありそうでなかった、トイレから国家を斬るルポルタージュ!

 おもしろかったなあ。トイレの話かとおもったらトイレの話じゃない。
 インドのトイレ事情について語りはじめるんだけど、そこから話がどんどん広がっていって、政治、経済、貧困、犯罪、宗教対立、民族問題、環境問題、そして今なお根深く残るカーストなどについて斬りこんでいく。

 この手法、すごくいい。あまり見たことのない手法だ。
 いきなり「インドの政治は……」「インドの水道事情は……」と語りだしても「そんなの知らねえよ」となる。
 でも「インドはいまやIT大国なのにトイレを使ってない人が6億人もいるんだって!」というとっつきやすい話題から入ると「えーじゃあみんな外で用を足してるの?」と一気に関心が湧く。

 そう、じっさい外で用を足しているのだ。大人も。女性も。

 単に「恥ずかしい」だけの問題ではない。外で用を足すせいで、野生生物に襲われたり、レイプ被害に遭ったりして、命の危険にさらされているのだ。
 さらに排泄物が外に放置されることで疫病が蔓延する原因にもなる。また排せつ物がそのまま川に流されることで深刻な環境問題も起きている。

「トイレがない」ことがいろんな問題を引き起こしているのだ。



 じゃあトイレを設置すればいいのかというと、そんなかんたんな問題ではない。
 インド政府は「スワッチ・バーラト(きれいなインド)」を掲げてトイレ設置に補助金を出すことを決めたが、それにより、補助金受給詐欺が蔓延するなど新たな問題が起こっている。

 だが、より深刻なのは、トイレを建設しない人に対する生活面での「差別」が行われていたことだろう。r.i.c.e.の調査では、ラジャスタン州の公立学校で、トイレを設置していない家庭の子どもは学籍名簿から外すと、教師が発言していた。貧困世帯に対して行われる食料の配給が、トイレのない世帯には行われなかったという報告は複数の州で散見されている。ウッタルプラデシュ州では、トイレをつくったのに使っていない人に対して、村の有力者が五〇〇ルピーから五〇〇〇ルピー(八〇〇円から八〇〇〇円)の「罰金」を徴収していたという。そのような「罰金」に何の根拠もないのは、言うまでもない。
 もちろん、こうした強要や圧力は、中央政府や州政府から何らかの「指令」があって行われたわけではない。だが、二〇一九年一〇月という「スワッチ・バーラト」のゴールが設定されている以上、州の職員たちにとっては、期限までに成果を示さなくてはならないプレッシャーがのしかかる。トイレ設置の実績は村や集落から地区、市、そして州へと上がっていくが、見えない圧力はその逆方向で働いていった。結果として、トイレのない「現場」である村や集落に「忖度」の力が集中し、人々に対する強要や圧力が横行してしまったのだ。「スワッチ・バーラト」が成功したとするモディの発言は、こうしたモディの顔色をうかがう人たちの「忖度」によって成り立っているとも言える。

 お上の気持ちを忖度するのは日本だけじゃない。インド人も政府の顔色をうかがうのだ。

 2020年、日本では「自粛警察」があちこちで幅を利かせていた。緊急事態宣言下で外を出歩いている人に私刑を施すやつらだ。警察どころか犯罪者集団だ。
 同様にインドでも「トイレ警察」が跋扈していたらしい。どの国もやることはたいして変わらない。

 設置費用さえ出してもらえればトイレを使えるというものではない。トイレには維持管理が必要になる。日本のように下水道が整備されていないから、トイレから出たものはタンクに溜めて定期的に回収する必要がある。当然金がかかる。森でしたり川に流したりするほうがずっと安上がりだ。

 特に農村ではトイレを新たに設置するメリットが薄かった。
 そもそも農民には「数か月後に補助金がもらえるかもしれない」からといってトイレを設置できるほど経済的に余裕がない。

 インドでは、借金を苦にした農民の自殺が後を絶たない。肥料や農機具を動かすための燃料の価格は年々上昇するものの、作物価格は上がらず、農家の大半は借金に頼っているのが現状だ。カネがなければ土地改良やかんがい施設の整備に手が回らず、気象条件に対応できないまま、不作の連鎖に陥ってしまう。インド内務省のデータでは、二〇一五年にインドで自殺した農業関係者は一万二六〇二人にのぼっており、自殺者全体の九・四%を占めている。自殺した原因も、借金の返済や破産といった経済的理由が三八・七%と最も多い。借金苦による農民の自殺は社会問題にもなっているのだ。
 このため、選挙前になると農民たちは借金の帳消しを求めて、大規模なデモを行うのが常となっている。二〇一八年二月には、西部マハラシュトラ州の農民が帳消しを求めたデモを行い、州都ムンバイには約六万人が集まって気勢を上げた。BJP系の州政府は農民らの要求を受け入れ、農民一人当たり最高一五万ルピー(二四万円までの帳消しを約束している。BJPは帳消しを公約に掲げ、二〇一七年三月に行われたウッタルブラデシュ州の州議会選で圧勝している。だが、こうした借金帳消し策は、財政状況を無視して導入されたケースも少なくない。マハラシュトラ州政府は、帳消しによって二〇一八年度予算で一五〇〇億ルピー(二四〇〇億円)の歳入不足に陥ったと発表している。
 財政状況を無視したまま、大票田の農村票目当てに政治家が「徳政令」を出すことで、一時的に農民の負担は軽くなっても、脆弱なインフラや不安定な収入といった農村の抱える問題は何ら解決しない。インドのメディアは「(帳消しは)農民を苦境から救う最良の方法ではない」とする専門家の意見をたびたび伝えているが、同じことが繰り返されているのが現状だ。農村部の人たちがトイレの設置に必ずしも積極的ではないのは、致し方ないことなのかもしれない。

 徳政令って現代でも出されるんだ……。

 たしかに借金が棒引きになれば一時的には助かるだろうけど、そもそも毎年の収支がマイナスになっているんだったらどうせまたすぐに借金漬けになることは目に見えている。

 そんな状態で、金を生むわけでもないトイレの設置なんてやるわけないよな。



  下水道の整備がされていないインドでは、マニュアル・スカベンジャー(手作業で糞尿の処理をする人)がたくさんいる。

 シンは排水溝にまたがり、地下をめぐっているパイプの出口に竹の棒を突っ込み、流れを悪くしているゴミをかき出している。トイレなどから流れてきた排水は、やはり灰色に濁っており、近づくとひどい臭いがした。先ほどの衝撃ですこし鼻が慣れたのか、ハンカチを当てることはしなかったが、シンがかき出したゴミを素手で集め始めたのには驚いた。ゴミといっても、それは汚物そのもので、人間の排せつ物も混ざっている。私が驚いているのに気付いたのか、シンは「この方が早いから」と話し、黙々と作業を続けていた。手袋などをしないことの理由を尋ねた私に、素手で汚物をかき出している作業を見せることで、一つの答えを示そうとしたのだろう。
 乾季はパイプの詰まりも比較的少なく、一日当たりの作業は五、六件程度だが、マンホールの中に入るといった危険なことをしていることには変わらない。一日の稼ぎは二〇〇ルピー(三二〇円)ほどで、手袋やマスクなどを使おうとすれば、そのわずかな賃金を使って買わなくてはならない。雨季になれば仕事量も増え、稼ぎは五〇〇ルピー(八〇〇円)ほどになることがあるものの、それだけ危険も増すことになる。

 とんでもなく過酷な仕事だ。世の中にこれ以上きつい仕事はほとんどないだろう。

 汚いだけでなく、危険でもある。マンホールに落ちて命を落とす労働者も多く、ろくな道具も持たずに手で作業するため衛生面の危険も大きい。これで一日三二〇円しかもらえないのか……。

 あたりまえだが、マニュアル・スカベンジャーは好きこのんでこの仕事をしているわけではない。インドに今なお根付いているカースト制度のせいで、他の仕事につくことができないのだ。

 建前上はカーストによる差別は禁止されているが、じっさいには今も存在している。マニュアル・スカベンジャーは先祖代々その仕事をしている。他に選択肢がないのだ。

 日本にもきつい仕事に従事している人はたくさんいるが、一応選択肢はある。もちろん家庭の経済状況などによって限定はされるが、そうはいってもいくつか選べる。最低賃金が定められているし、労働者の安全も守られている(ことになっている)。

 インドのマニュアル・スカベンジャーは「3K(きつい・きたない・危険)」どころじゃない。「安全を確保できない」「どれだけ努力をしても抜けだすことができない」と、絶望的な条件が加わっている。


 M.K.シャルマ『喪失の国、日本』という本に、日本に来たインド人であるシャルマ氏が「日本ではよその家に上がるときに靴をそろえるのがマナーです」と言われて困惑する姿が描かれている。彼はインドでは高いカーストなので、靴を手でさわるなんて召使いのやることだとおもっていたのだ。
 シャルマ氏は柔軟な思考の持ち主だが、それでも染みついたカースト制度からはなかなか抜けだすことができず、靴をさわることにたいへんな抵抗をおぼえる。

 この本の中には、自身はバラモン(カーストの最高位)でありながらマニュアル・スカベンジャーの労働環境を良くするために行動する人も登場するが、彼自身も「低いカーストの人が安全にトイレ掃除をできるようにしよう」とは主張するが「カーストを廃止しよう」とは主張しない。
 きっとインド人にとってカーストとは生まれたときからあたりまえにあるもので、インドで生まれ育っていたらカーストをなくすことなんて想像すらできないんじゃないだろうか。たとえとしては悪いけど、ぼくらが「犬もヒトと同じように扱いましょう」と言われても「いやそれってヒトにとってはもちろん犬にとっても不幸なんじゃないの」とおもうのと同じで。

 前にも書いたけど(「差別かそうじゃないかを線引きするたったひとつの基準」
「差別」と感じるかどうかって、明確な基準があるわけじゃなくて、「今あるかどうか」だけなんだよね。

 今ある区別だから男子校や女子校や日本人学校や朝鮮人学校はOK、でも白人専門学校や女子だけ入試で減点するのを差別だと感じるのは「今までやってないから」。
 男子校がよくて白人専門学校がダメな理由を論理的に説明できる人なんていないでしょ。

 結局、あらゆる区別は差別にもなりうるし、慣れてしまえば差別とは感じない。
 たとえば今は大学入学者を学力試験で決めているけど、冷静に考えれば「今勉強ができる」からといって「学力で劣る者より優先的に学問をする権利がある」ことにはならない。
 いつか「学力試験で合格者を決めるなんてバカ差別だ!」という世の中になってもぜんぜんおかしくないよ。

 何が言いたいかというと、我々はインドのカーストを「なんて前近代的な差別的な制度だ!」と感じるけど、きっとどの文化にもカースト的なものはあるんだろうなってこと。



 くりかえしになるけど、ほんとにすばらしい切り口の本だった。もちろん内容もいいんだけど、これが『インドの今』みたいなタイトルだったら手に取ろうとおもわなかっただろう。

 ワンテーマを軸にして、いろんな問題に切りこんでいくこの手法、もしかしたら今後のノンフィクションの主流になっていくかもしれない。
 それぐらい革命的な発明だとおもうよ、この手法。

 

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