三十代後半になって、急速に性欲が衰えた。
生物としては衰えなんだろうが、文明人として生きていく上では圧倒的にいいことだ。性欲の衰えはメリットだらけだ。
なんといっても、若いうちは性欲に振りまわされすぎた。
男性諸氏ならわかるとおもうが、夜ごと性を求めて悶々とし、明るいうちも悶々とし、ことあるごとにやらしいことを考え、エッチな本やエッチなビデオを鑑賞するために多くのお金と時間を使い、西に女性との出会いがあると聞けばバイトを休んで駆けつけ、東にかわいい女の子がいると聞けば授業をサボり、その結果何を生みだしたかというと多くの使用済みのティッシュだけだ。地球環境にもよくない。
万にひとつ合体に成功したとしても、後に得られるのは虚しさだけ。生殖に関わらない性行為など何の生産性もない(かといって望まないタイミングで妊娠することがプラスになるともかぎらない)。
合体に成功した場合でさえ得られるものがないのだから、失敗して己を慰めることになったときは虚無の一言に尽きる。
性交に成功しても虚しく、失敗しても虚しい。
とかく過剰なる性欲は百害あって一利なしなのだ。
だが三十代も半ばをすぎ、がくんと性欲が落ちた。
もちろんエロを求める気持ちがなくなったわけではないが、「絶好の機会があればコトに至るにやぶさかではないが自分から積極的に求めるほどではない」という心境だ。
ましてや、ぼくは結婚して子どももいるのでアバンチュールを求めるのはリスクが大きすぎるし、なにより「めんどくせえ」という気持ちのほうが性欲を凌駕する。かといって妻を相手に事をいたすのもまた面倒だ。なぜかは詳しく書かないけど。
性欲の衰えは年齢のせいもあるが、子どもが生まれたという要因も大きい。
「遺伝子を残さねば!」という生物としての使命はすでに果たしたし、子どもをだっこしておんぶして、いっしょに風呂に入って、隣で寝ていると、スキンシップ欲も満たされる(人間には性欲だけじゃなくてスキンシップ欲もあるとぼくはおもう)。
性欲が減衰した結果、ぐっと生きやすくなった。
わずかな性交の機会を求めて東奔西走することがなくなった。性欲処理に使っていた時間を他のことに使えるようになった。
いやほんと、医学部入試で(大学側の不正がなければ)女子のほうが合格率が高いという話を聞いたが、その差は男子が貴重な時間を性欲処理に費やしてしまうからだとおもう。
『伊勢物語』には
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
という歌が出てくる。
世の中に桜がなければ春に心穏やかに暮らせるのに、という意味だ。
この気持ち、よくわかる。
ぼくは、
世の中にたえて性欲のなかりせば男の心はのどけからまし
人間も、桜が咲くシーズンだけ発情期を迎えるようになったらいいのに。そうなったらどれだけ世の中が平和になることか(その代わり花見の時期は修羅場だろうな)。
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