無業社会
働くことができない若者たちの未来
工藤 啓 西田 亮介
データとインタビューを通して、仕事に就いていない若者(といっても30代まで含む)の状況についてまとめた本。2014年刊行なので少し内容が古いが。
ぼく自身、かつては無業の若者だった。新卒で就職した会社をすぐに辞めた。
一応表向きの理由は「体調不良」ということにしていた(実際、微熱が続いた)が、じっさいは「働きたくなかった」が最大の理由だった。
学生時代、愚かにも「なにかしらの分野でぼくの才能が世に認められて若くしてクリエイティブな仕事につく」とおもっていたので(もちろん何の行動も起こさないまま)、就活自体がすごくイヤだった。
けれど大学院進学をする気はなかったので就活をしないわけにもいかない。親の金で四年大学を通って「フリーターでもやるわ」というわけにもいかず、嫌々就活をした。そんな態度が透けて見えたのだろう、コミュニケーションが得意でなかったこともあり、受けた会社はことごとく不採用だった(というよりえり好みをしてそもそもあまりエントリーしなかった)。
自慢じゃないが、いや自慢だが、かなりの高学歴なのにことごとく落とされたのだから(実際書類では落とされたことはほぼなかった)よっぽど面接がひどかったのだろう。
「才能あふれる自分」という自己イメージと、「就活市場でまったく評価されない自分」のギャップに苦しみ、最初に内定をもらった会社にとびついた。今おもうとその会社に行きたかったわけではなく、就活を終わらせたかっただけだった。
そんなわけで、入社した会社でうまくいくわけもなく。おまけにその会社はかなりのブラック企業で、日付が変わるまでの残業があたりまえ、給与も事前に聞いていた条件とちがい、社長はパワハラ体質。なにもかもがいやになって、体調が悪くなったのを「いい口実ができた」とばかりに退職した。
それから一年ばかりは実家で何もせずに過ごした。ほんとに何もしなかった。
月一ぐらいで通院はしていたが、それほど体調が悪いわけでもなかったので、同じく無職の友人とサッカーをしたり、プールで泳いだり、朝からマラソンをしたり、体調不良を理由に無職になったくせにやたら健康的な日々を送っていた。
はじめは「体調不良!? 大丈夫? ゆっくり休んで治しなさい」と心配していた両親も、息子が頻繁に遊びに行っているのを見て、「もう働けるでしょ」とプレッシャーをかけてくる。
仕方なく書店でバイトをはじめ、一年ぐらいして「正社員にならないか」と声をかけられた。「まあだめだったらまたフリーターか無職に戻ればいいや」と正社員になり、それから二回転職はしたが十数年間なんとか正社員として働いている。運よく無職を脱出したわけだ。
ほんとうに運がよかった。あのときバイトをしていなかったら、あのとき正社員採用の声をかけてもらえなかったら、今も無職(またはフリーター)だったかもしれない。自分の意思というより、なりゆきで無職を脱出しただけだ。
今にしておもうと「就職なんてもっと気軽に考えればいいのに」とか「だめだったらすぐ転職すればいい。さほどブラックじゃない会社なんていくらでもある」とか「会社との相性なんて入ってみないとわからないんだから、すぐ辞めたっていい」とか「『新卒で少なくとも三年は続けないと次がない』とかあれ完全にウソだから」とかわかるんだけど、当時は就職って一世一代の大勝負だったんだよなあ。まだ終身雇用制というフィクションがぎりぎり信じられていた時代だったし。
無職だった期間はたしかに何も生まなかったけど、あれはたしかにぼくにとっては必要な期間だった。あのときのぼくは、どの会社に入社していたとしても、きっとすぐに辞めていただろう。
そこそこ経済的に恵まれた実家を持ち、自分の能力を過信していたぼくが働けるようになるには、「無職のつらさ」を一定期間味わう必要があったのだ。
若い人が無職でいることは、損だ。
当人や家族にとってはもちろん、国全体にとっても。
ずっと仕事をせずに将来生活保護を受けるのと、働いて毎年税金を納めてくれるのでは、国家の財政にとって、ひとりにつき数億円の違いがある。
ということは、無職でいる若者を職場復帰させるためなら一人につき一億円かけても(長期的には)損じゃないということだ。どんどん税金を使って救済したほうがいい。
「働け。やる気になればなんでもできる。選ばなければ仕事なんていくらでもある」と口を出して金を出さないのは馬鹿のやることだ。言う側がすっきりするだけだ。
「無職期間の長い人を○年以上雇用した会社には五百万円の助成金をあげます」とかやったほうがいい。安いもんだ。(そうすると助成金欲しさのブラック企業が数年雇ってその後はひどい扱いをして切り捨てたりするだろうからそんな単純な話ではないだろうが)
ところが、政府の就業支援は貧弱だ。まるで目先の収支しか考えていないかのように。
就業支援は、「個人の責任」「家族の支援」に依存している部分が大きい。自助、共助が好きで公助が嫌いなこの国らしい。
最近も生活保護受給にあたり、親戚の経済状況を確認するかどうかが話題になっていたが、大人の生活を考えるのに「実家にお金があるか」なんてまったく考える必要がないよね。みんながみんな実家に頼れるわけじゃないし。
さすがに昔ほどではないが、やっぱり今でも「働かないのは甘え。仕事なんて選ばなければいくらでもある」論が幅を利かせてるもんね。そりゃあ「命や精神を削る仕事でも、ギリギリ食っていけるぐらいの収入しかない仕事でもいいから働きたい」ってんなら仕事はあるけどさ。それって「その気になれば土でも石でも食える」ってのと同じぐらいの暴論だよね。
いい暮らしをするために働くのに、働くためにいい暮らしを捨ててどうすんだよ。
ぼくは無職として過ごした時間があったおかげで、今はそれなりに働いて子育てもして、人並みに暮らしている。無職だった時間はぼくにとって必要な時間だった。
赤ちゃんの時期は何も生みださないし周囲の手も煩わせるけど、赤ちゃんの時期をすっとばしていきなり大人になれるわけじゃない。大きくなるために必要な期間だ。
同じように、ある人たちにとっては「何もしない期間」も人生において必ず必要な期間だという認識が広まってくれればいいな。
運よく何もしない期間を経ずに社会人になれた人にはなかなか理解されないんだけど。
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はじめましてほりーと申します。わりと犬犬さんと新卒で似たような状況で療養しています。
返信削除質問したい事があるのですが、質問は受け付けていらっしゃいますか?
めちゃくちゃ返信遅くなりましたが質問は受け付けています!
削除ここでも、Twitter( @dogdogfactory )でも。
すいませんプライベートな質問になってしまうのですが、クリエイティブな仕事につかれているのでしょうか?今後の就活の参考にしたくて。
削除Webマーケティングの仕事をしています。
削除ちょっとしたバナーをつくったりはしますがクリエイティブではないです。
主にパソコンに向かって数字を動かしたりしています。華やかな仕事ではないですが私の性にはあってます。
返信ありがとうございます。そうなんですね。参考になりました。
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