2019年12月6日金曜日

保育士の薄着至上主義と闘う

このエントリーをはてなブックマークに追加

六歳の娘が熱を出した。
一日休ませたら元気になったので保育園に行くことに。
さすがに今日はあったかくしときなさい、長袖長ズボンで行きなさい(これまで半袖半ズボンだった。どうかしてる)というと、娘は泣いて抵抗する。
イヤだイヤだ、半袖半ズボンじゃないとイヤだ、と。

で、どうしてそんなに長袖長ズボンを嫌がるんだとくりかえし訊くと、娘が口を開いた。
「だって先生が長袖長ズボンはダメって言ってた……」


娘の言葉を鵜呑みにしたわけではない。
保育士が「長袖長ズボンはダメ」とはっきり言うとはちょっと考えられない。
だが、それに近い保育士からのメッセージはぼくも受信していた。

保育士たちがやたらと薄着を礼賛すること。

おたよりでも「冬でもなるべく薄着で過ごすよう指導しています」などと書いていること。

他の保護者が「うちの子はおなかこわしやすいんで長袖を着せていったら『なるべく半袖にしてくださいねー』と言われた」と語っていたこと。

少し前に子どもたちがみんな半袖半ズボンだったので「みんな寒くないん?」と訊いたら、子どもたちが口をそろえて「長袖なんか着るわけないやん!」と言ったこと。


矯正まではしなくても、園の方針として「なるべく薄着で過ごさせる」というスタンスでいるらしいこと、そしてその方針を子どもたちがまるで金科玉条のように絶対視していることを前々から感じとっていた。



くだらない。ほんとくだらない。

そのくだらなさがぼくにはよくわかる。
なぜならぼく自身、「一年中半袖半ズボンで過ごした子ども」だったから

「半袖半ズボンは元気の証」と信じていたぼくは、小学二年生のとき、親からどんなに言われても長袖長ズボンを着なかった。
もちろん寒かった。がたがた震えていた。家に帰ったらストーブの前に直行した。風邪もひいた。
他の大人たちから言われる「こんなに寒いのに半袖半ズボンなんてすごいねー」という言葉を、文字通りの褒め言葉として受け取っていた。本音は「ようやるわ。あきれた」なのだと理解していなかった。

そんな経験のあるぼくだからこそわかる。
無理して薄着でいることのメリットなんて何もないということが。



しかし多くの保育士が「薄着でいると元気になる」と信じているように見える。
保育士は、自分の経験から「薄着で遊んでいる子は元気な子が多い」とおもってしまうのかもしれない。

あほらしい。
典型的な[前後即因果の誤謬]だ。
薄着でいるから元気になるんじゃない、元気だから薄着で外で遊べるのだ。

その理屈で言うなら、「病院にいる子は公園にいる子より不健康な子が多い。ということは病院に行くと不健康になる」ということになってしまう。

ぼくが子どもの頃は「おひさまの下でいっぱい遊んで真っ黒になるまで日焼けした子は元気になる」と言われていた。
これも同じだ。元気だから外で遊べるだけの話だ。
現代において「紫外線をたっぷり浴びると元気になる」なんていう人はまさかいないだろう。
なのにまた同じ失敗をくりかえそうとしている。


いや知りませんよ。
もしかしたら、ほんとうに薄着で過ごすことが免疫力を高めるのかもしれませんよ。

でもそれを科学的に検証しようとしたら、多数の子どもを集め、ランダムに二つのグループに振り分けて、片方のグループには防寒具を着せ、片方のグループの子どもたちはどんなに寒がっても半袖半ズボンしか着せず、その二つのグループの数年後、数十年後の健康状態にどれだけ差が出たかを検証しないといけない。
そんな非人道的な実験が今の日本で認められるとは到底おもえないから、たぶん検証不可能だろう(仮に他の国で実験したとしてもそれはその国の気候でしかあてはまらない話だ)。

だから薄着で過ごすことが健康にいいかどうかを議論するのがそもそも無駄だ。
だったら「快適なほうを選ぶ」でいい。



仮に、子ども数百人を用いた非人道的実験がおこなわれて「半袖半ズボンだと元気になる」という結果が得られたとする。

それでもぼくは真冬に薄着で過ごさせることには賛成しない。

健康がすべてに優先するわけではない。

もしも「パンツ一丁で過ごすと元気になる」というデータが出たら、どうだろう。
男も女もパンツ一丁で過ごすか。パンツ一丁で往来を歩くか。
そんなバカなことはしない、と誰もがおもうだろう。
なぜならパンツ一丁で歩くことは健康云々に関係なく、非常識だからだ。

社会常識を教えるのも教育の役割だ。

「冬でも半袖半ズボン」は社会常識からは外れている。
たまにいるけどね、真冬でも半袖のおじさん。
あれを見て、たいていの人は「ああアレな人なのね」とおもう。
そりゃ冬でも半袖半ズボンのおじさんから「私の恰好見てどうおもいますか」と訊かれたら、面と向かって「ばかじゃないかとおもいます」とは言えないから「あ……えー……健康的ですごいなーと……おもいます……」と答えるだろうけど、それは本心ではない。

「冬には冬にふさわしい恰好があります。寒い中で半袖半ズボンで過ごすのはおかしなことです」と教えてやるのが保育士の仕事だろう。

子どもは「少し肌寒いからもう一枚着ていこう」などと判断する力がないからこそ、大人が先回りして防寒対策をしてやらねばならない。
(中学校などで衣替えの時期が決まっているのも同じ理由だとおもう)



いくら「あったかい恰好をしなさい」と言っても娘が「でも長袖長ズボン着てる子は弱いって言われるから……」と渋っていたので、洗脳を解くためにかなりきつい言葉で言い聞かせた。

「いい? 長袖長ズボンをダメってのは先生のウソなんだよ。ウソ! だから信じちゃダメ! その証拠に先生たちは長袖長ズボン着てるでしょ! 先生も適当に言ってるだけ!」

「寒いときに我慢して半袖半ズボンにする人はバカなだけ! バカなの! 先生が言ってることはバカなこと!」

娘が持っている保育士への信頼感を壊すようなことはできればしたくなかったが、強固に「薄着至上主義」を信じこまされていたので仕方がない。

何度も言うことで、ようやく娘も長袖長ズボン+コートを着てくれた。
洗脳が解けたかどうかはわからないが、まずは呪縛を解く行動をとることが必要だ。



……みたいなことを、二十分の一ぐらいに希釈して保育士への連絡ノートに書いた。

「いつもお世話になっております。ふざけたことをぬかさないでいただくようお願いいたします」みたいな感じで。

そしたらすぐ連絡があって、すんませんまちがってましたすぐ改めます、とめちゃくちゃ丁重に詫びられた。

……なんだかなあ。
それはそれで腑に落ちないというか。

「いやあなたはそういいますけどやはり薄着で過ごすことが大事だと私たちは考えるんですよ!」みたいな気概はないのかよ。
おまえら確固たる信念もなしに、他人に薄着で寒い中過ごすことを半ば強要してたのかよ。それただの虐待じゃん。

プロの保育士として信念があるんだったらちゃんとそれを主張しろよ、と。
信念がないんだったらはじめっから他人に自分の価値観を押しつけんなよ、と。

そんなふうにおもうわけです。
我ながらめんどくせえ保護者だなあ。



このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿