2018年4月12日木曜日

【読書感想】森見 登美彦『四畳半神話大系』

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『四畳半神話大系』

森見 登美彦

内容(e-honより)
私は冴えない大学3回生。バラ色のキャンパスライフを想像していたのに、現実はほど遠い。悪友の小津には振り回され、謎の自由人・樋口師匠には無理な要求をされ、孤高の乙女・明石さんとは、なかなかお近づきになれない。いっそのこと、ぴかぴかの1回生に戻って大学生活をやり直したい!さ迷い込んだ4つの並行世界で繰り広げられる、滅法おかしくて、ちょっぴりほろ苦い青春ストーリー。

八年ぶりぐらいに再読。
はじめて読んだときは衝撃だった。いくつかの並行世界が絶妙に絡みあう構成、さりげなく散りばめられていた伏線が最後に一気に回収される展開、そして何よりそれが森見登美彦氏によって書かれていたことに驚いた。
これが伊坂幸太郎さんの作品だったらべつに驚かなかったんだけどね。「伊坂作品だったらこれぐらいのことはやってくるよね」ってな感じで。
でも『太陽の塔』を読んで古めかしい文体と幻想的な世界感のイメージが強かったから、「森見登美彦はこんな緻密な構成の先鋭的な作品も書けるのか」と良い意味で裏切られた。

で、ひさしぶりに読み返してみての感想。
展開は知っているから驚きはないが、「並行世界」という仕掛けを彩るディティールが見事であることに改めて気づく。猫ラーメン、もちぐま、ラブドールの香織さん、コロッセオ、蛾の大群(読んだことない人には何が何やらわからないだろうな)。
本格派SFだったらこういう演出は最小限に抑えて「並行世界」を説明することにもっと時間をかけるだろうが、『四畳半神話大系』はあくまでも大学生の日常に起こるどうでもいいことに重きが置かれ、大きな仕掛けよりも小さなどうでもいい仕掛けが描かれている。
半径数メートルの私的な物語に終始することで、「もしあのときああしていたら……」をいくら試そうが狭い世界の中をうろうろするだけ、というメッセージを伝えようとしているのかもしれない。可能性は無限だが、そのどれもが四畳半のように狭い世界の中の話なのだ。

大学生時代はいちばん選択肢が多い時期に感じられる。できることは高校生までに比べて格段に増え、やろうと思えば何にだってチャレンジできるように思える。
ぼくも大学に入ったときは、『四畳半神話大系』の主人公のように希望に満ちあふれていた。英語の雑誌を購読してみたりした。勉強に遊びに恋にバイトに創作に大忙しだぜ! と思っていた。ああ、懐かしい。同じく京大で学生生活を送っていたので、賀茂大橋、デルタ、糺の森、下鴨神社、御影通りといった地名が出てくるたびにあの頃の感覚を思いだした。映画サークルに入ろうとして結局やめた経験もあった(「みそぎ」ではない)。

でも結局誇れるような学問もしてないし外国語も身についてないし、入学時と卒業時で何が変わったかというと四年歳をとっただけのようにも思う。得たものより失ったもののほうが大きかったかもしれない。
「もし大学入学時に戻ったら……」と考えたことがあるけど、戻っても大差はないんだろう。どうせソリティアとかやって時間を無駄にしてしまうのだ。


「なくなったクーラーのリモコンを取りに行く」ためだけにタイムマシンを使う『サマー・タイムマシーン・ブルース』という映画がある(奇しくもこれも頽廃的な大学生の物語だ)。『四畳半神話大系』では並行世界の自分の存在を感じとることができ、『サマー・タイムマシーン・ブルース』ではタイムマシンで過去に戻ることができるが、どちらもたいしたことをしない。うまくいかないことは何度やりなおしてもうまくいかないし、付きあう友人は自分の身の丈にあったやつらになる。

かつて『四畳半神話大系』を読んだときは「どうせおまえはおまえだよ」と言われているようで残酷な物語だと感じたが、おじさんになって読むとこれは救いなのかもしれないと思えるようになった。後悔したって過去には戻れない以上、「どうせ同じような道をたどってたさ」と思って現在に居場所を見つけるほうが幸せだよね。


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