2018年3月1日木曜日

【読書感想】アンソニー・プラトカニス他『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロパガンダ

広告・政治宣伝のからくりを見抜く

アンソニー・プラトカニス  エリオット・アロンソン

内容(e-honより)
現代に生きる私たちは、大衆操作の企てや集団規模の説得の標的となっている。それらの圧倒的なパワーは、私たちの日々の買い物や選挙での投票や価値観に影響を与えようとしている。本書は、プロパガンダの歴史と社会心理にもとづきながら、私たちがそれらからいかに身を守るかを教えてくれる。

単行本で333ページという分量、3,456円というそこそこする価格、そしてこの愛想のないタイトルと表紙。
政治・軍事的なプロパガンダを研究した学術的な本かと思いきや、意外とソフトな内容で、マーケティング的な内容が大半。後半は宗教団体やナチスの話も少し出てくるけど。
「さあ読むぞ!」と気合いを入れて読みはじめたので(難解な本に取りかかるのには気合いがいる)肩透かしを食らった。
時代劇の撮影に使う発泡スチロール製の岩を持ち上げたときの気分。

もっとも、こっちが勝手に想像していた内容とちがうというだけで中身はおもしろい。
心理学、マーケティングの知見がふんだんに載っている。
ぼくはWEBマーケティングの仕事をしているので、いくつかは参考になった。経費で買っとけば良かったぜ。


いちばん印象に残ったのは、サブリミナル効果の話。
”映画の合間に一秒未満の短いカットでコーラとポップコーンの映像をさしこんだら、その後コーラとポップコーンの売上が爆発的に伸びた”
という話を聞いたことない?
ぼくもずっと昔にこの話を聞いて「へえ。サブリミナル効果ってすごいなー」と思っていた。

ところがこのエピソード、まったくのでたらめなんだって。これを広めた人も「あれは嘘だった」と認めているし、その後に同様の調査をした人もいたけど信用に足る結果は出なかったらしい。
完全にだまされてた……。すごくもっともらしい話だ。サブリミナル効果以上に人に影響を与えた嘘かもしれんね。




フェイクニュースがなくならないどころか増える一方なのは、それが効果があるからなのだろう。さっき書いたサブリミナル効果の話も、いまだ真実として語られているし。

少し前に「〇〇に募金するとそのお金が北朝鮮に行く」というデマをツイートした人がいて、それがあっという間に拡散されていた。デマツイート自体は一日で六万回リツイートされたらしい(閲覧されたのはその数百倍だろう)。
このデマの発信者は後日訂正していたが、訂正するツイートはほとんどリツイートされていない。デマのほうしか見ずにいまだに信じている人もいることだろう。

泉に毒を流すのはかんたんでも、泉から毒を取り除くのはほとんど不可能だ。通信手段の発達により、泉に毒を入れる行為がたやすくできるようになっている。


明らかなデマだけでなく、不正への関与を匂わされただけでもイメージが悪くなるのだそうだ。

 この十年間、ダニエル・ウェグナーの研究グループは、新聞の見出しに対する人びとの反応を調べる一連の実験を行っている。彼らの研究では、被験者たちは新聞の見出しを読んで、候補者に対する好みの程度を評定するように言われた。参加者に呈示された見出しは、直接関与を主張するようなもの(「ボブ・タルボート、マフィアと関与」)、関与をにおわせるもの(「カレン・ダウニングは不正寄付に関係したのか」)、不体裁な行為を否定するもの(「アンドリュー・ウィンタースは横領事件と無関係」)、あるいは中立的なもの(「ジョージ・アームストロング氏、△△市に到着」)のいずれかであった。
 さて結果であるが、まず、直接、関与を主張するような見出しと結びつけられた候補者は、当然のことながら他よりも否定的に評価されていた。しかし驚くべきことに、望ましくない行動との結びつきを示唆するよう見出しや、望ましくない行動との関係を否定しただけの見出しの場合でも、直接関与を主張する見出しよりも多少は肯定的な方向ではあるにせよ、候補者に対する評価はかなり否定的なものだった。もちろんこのことは、候補者が不体裁な活動と結びついていることを単に示唆するだけでも、候補者の公的なイメージが大きなダメージを受けることを示している。さらに、この研究では、見出しの出処はほとんど影響を及ぼさないことも明らかにされた。すなわち、見出しの出処があまり信頼できない新聞(『ナショナル・インクワイア』や『ミッドナイト・グローブ』)でも、『ニューヨーク・タイムス』や『ワシントン・ポスト』の場合を同じように、候補者は否定的に評価されたのである。否定的内容の政治宣伝や中傷キャンペーンの類は、やっただけの効果が得られることが多いのである。

事実かどうかに関係なく「〇〇が不正か!?」と書かれるだけでイメージダウンになる。さらにそれを発信したのが全国紙であってもまとめサイトであっても。

なんとも恐ろしいことだ。嘘でもなんででも、言ったもん勝ちってことだもんね。

核兵器をできたことに対して「人類はとんでもなく危険なものを持ってしまった」と思った人も多いだろうが、誰でも手軽に世界中に情報発信できるインターネットというツールも、原爆に劣らず危険な道具かもしれない。



『プロパガンダ』を読むと、人間って意外とばかなんだなあと思う。

 どうしてイエスといえるのだろうか。フィリップスの研究グループは、テレビニュースや特別番組で自殺が報道されることが、十代の男女の自殺件数にどのような影響を及ぼすのかを検討した。報道の前後の自殺件数を比較することによって、その変動を調べたのである。すると、放送後一週間以内に生じた自殺者の増加は、偶然の要因だけで説明しうるよりもはるかに大きいものだった。また、主要なテレビ局の放送地域が広いほど、自殺者は大きく増加する傾向があった。この増加は、他の可能な原因を考慮に入れて分析しても、なお明白に認められた。こうしたことから考えると、メディア報道の後に生じる十代の自殺者の増加に対しては、報道が実際に模倣自殺の引き金になったという説明が最も妥当ということになるだろう。

 説得の際に使われるヒューリスティックは他にもある。たとえば、カプルズとオウグルビは論拠がたくさん含まれる長いコピーが用いられている場合に、広告が最も効果を発揮すると述べている。メッセージがきちんと読まれるのであれば、そのようなメッセージが、弱い論拠しか含まない短いメッセージより効果があるのは当然であろう。しかし、メッセージがいい加減に読まれたり、まったく読まれない場合はどうなるだろう。社会心理学の研究によれば、人びとがその問題について注意深く考えていない場合には、含まれる論拠の質に関係なく、長いメッセージを用いた方が説得力がある。どうも私たちは、「メッセージの長さはメッセージの論拠の正しさに等しい」という原則に立って判断しているらしい。メッセージが長ければそれだけ重要なのだろう、というわけである。

 最近、テレビコマーシャルの製作者は、視聴者の注意を逸らせることでメッセージの処理を妨害する巧妙な方法を使い始めた。時間を圧縮するのである。メディアにかかる費用を抑えるために、広告者は、たとえば通常の速さよりも二割スピードアップして広告を放映する。そうすると、三六秒のテレビコマーシャルを「圧縮」して三〇秒のタイムスロットに押し込めることができる。心理学的に見ると、時間を圧縮された広告に対しては反論することが困難である。車の運転にたとえれば、広告者は時速一〇〇キロで説得を試みているのに、あなたが制限速度を守って時速六〇キロで自分自身の立場を弁護するようなものである。まず、あなたに勝ち目はないといってよいだろう。

自殺のニュースを見たら自殺が増える、内容よりもメッセージの長さのほうが重要、早口でしゃべる広告のほうが影響されやすい……。
うーん、人間ってばかだなあ(二度目)。

わかっていてもだまされるのが人間という生き物らしい。

 こうした疑念は、成人の間でも一般的である。ある世論調査によると、圧倒的多数の成人が、テレビコマーシャルには真実でない主張が含まれると考えている。また、教育程度が高いほど懐疑的になること、懐疑的な人は自分のそうした考え方が説得への抵抗力となると考えていることも明らかにされている。
 こうした立場に立てば、送り手が提供する情報に偏りがあるという事実を知っていさえすればメッセージに影響されずにすむ、という結論に至るかもしれない。しかし、先に指摘したように、これはすべての場合にあてはまるわけではない。説得から免れていると思うこと、実際に免れていることとは違うからである。たとえば、子どもたちに広告のしくみや目的を教えると、その子どもたちは広告に対して懐疑的になることが知られている。しかし、疑念が形成されたからといって、広告に出てくる商品を買いたくなる気持ちが弱まることはまずない。同じように、成人の多くは、ある特定の商品がよく広告に出てくるという理由だけでその商品を買う傾向がある。そこで、説得の意図が前もって警告されていることが、説得にどのような影響を及ぼすのか、この点について考えておくのがよいだろう。

まともな大人であれば「テレビコマーシャルには嘘・誇張が含まれてる」ってことはよく知ってるけど、じゃあ影響されないかって言ったらそんなことはなく、ちゃんとCMで見た商品は買ってしまうのだ。

ぼくは広告運用の仕事をしているけど、ふつうの人は「自分がいかに広告に引っかかっているか」を自覚していない。

広告からホームページにやってきて問い合わせをしてきた人に「広告なんか意味ないでしょ。あんなのクリックする人いないでしょ」と言われたことがあった。
こっちは苦笑するしかなかったけど、それが標準的な認識なんだろう。
「自分はコマーシャルに影響されない」と思ってる人ほど影響されちゃうんだよね。

株式会社電通『2017年 日本の広告費』によると、2017年に投じられた日本の広告費は6兆3,907億円。影響を与えないものにそんなにお金が使われるわけがないのにね。


「人間がいかにだまされやすいか」を知っておくのは大事だね。
重要なのは「自分はだまされない」と思うことではなく、「自分はだまされやすい」と知ることなんでしょう。



もっとも身震いしたのは、
「情報が過剰になると、膨大な情報を整理することができなくなり、目にした情報を感情や短略的な思考で処理してしまう」
という説明。

 民主主義社会にとって、これは悲惨な結果をもたらすかもしれない。宣伝者たちが単純な説得術を使えば使うほど、さらに競い合うように単純な方法が使われるようになる。そして、単純な方法が使われれば使われるほど、人びとは社会問題について無知で鈍感になる。大衆が無知になればなるほど、宣伝者はよりいっそう単純な説得方法を使う必要に迫られる。その結果は、無知の悪循環である。ひねくれた大衆は、よりいっそう分別も節操もない宣伝の攻撃にさらされる。そうなると、宣伝を消化して理解する能力も気持ちも、ますます衰えていく。「大衆は無知である」というアドルフ・ヒトラーの信念は、このようにして現実のものになるのである。

『プロパガンダ』の原著が発行されたのは1992年刊行。

現在は当時と比べ物にならないぐらい大量の情報があふれている。はたして、大衆は無知になっているんだろうか。じっくり考えることをやめているのだろうか。

残念ながら「そのとおり」と言わざるを得ないな……。


【関連記事】

辻田 真佐憲 『たのしいプロパガンダ』




 その他の読書感想文はこちら



このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿