2018年3月6日火曜日

ゴリラのピッチングフォーム

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箱根駅伝を見ていると、ときどきすごく汚いフォームの選手がいる。
腕をわったわったと振りまわして、頭を右に左に動かしながら走っている。他の選手の足音が「タッタッタッ」なのに、その選手だけ「バタタンッバタタンッバタタンッ」という感じ。

ああ、ここにもぼくがいる。汚いフォームのせいで損をしている選手が。
「速いね」じゃなく「意外と速いね」としか言ってもらえない選手が。



ぼくは、運動が苦手なわけではない。

学生時代の通知表でいうと、だいたい10段階で「6」ぐらいだった。
「運動神経がいい」と言われることもないが、周囲の足を引っ張るほどでもない。体育の授業でサッカーをすると、点をとったりドリブル突破したりはできないけど、パスをつないだりセンタリングを上げるぐらいはできる。そんな感じ。

「運動神経がいい」とは言われないが「意外に運動できるんやね」はときどき言われる。
つまり運動できなさそうに見えるらしい。

金髪ピアスの若者がお年寄りに席を譲っただけでことさらに褒めてもらえるのと同じく、一見できなさそうだから中程度の出来でも「意外とできるんやね」と言ってもらえる。褒められてもうれしくない。



小学生のとき、50メートル走を走っていると級友から笑われた。ぼくは、足が速くはないが遅くもない。20人中10番ぐらい。決して笑われるようなタイムではない。
級友は笑いながら言った。「おまえ、今にもこけそうな走り方をするな」
どうやらフォームがすごく汚いらしい。

高校生のときには「ひとりだけ氷上を走ってるみたい」と言われた。



子どものときから友人たちとよく公園で野球をしていたおかげで「野球部じゃないわりには野球うまいな」と言われるぐらいにはなった。
ちゃんとした指導者がいなかったのですべて我流で身につけた。野球にはけっこう自信を持っている。まあまあ速い球も投げられる。あくまで「野球部じゃなかったわりには」という条件つきだが。

大学生のとき野球をした。旧友がビデオカメラを持ってきて、その様子を撮影した。
撮った映像を観て愕然とした。自分のピッチングフォーム、めちゃくちゃ汚い。
己の中ではダルビッシュのような流麗なフォームのイメージだったのだが、ビデオカメラに映っている自分は、ウンコを投げるゴリラだった。びちゃっ、という音が聞こえてきそうなピッチングフォームだった。
まさか、と思った。何かの間違いだろう。しかし何度見てもそこにはウンコを投げるゴリラが映っている。びちゃっ。

「こんなに変なフォームだったのか……」とショックを受けていると、友人から
「おまえのフォーム、昔からこんなんだよ。おれはもう見慣れたけど、たしかに変だよな」
と言われた。「いやでもこんなめちゃくちゃなフォームでけっこう速い球投げられるんだからすごいよ」とフォローされたが、自信を持っていただけに深く傷ついた心はまだ癒えない。

ゴリラががんばって人間のレベルに追いついたのだ。そこには並々ならぬ苦労があった。それはたしかにすごいことだけど、ぼくははじめから人間に生まれたかった。



箱根駅伝に出てくる、すごく汚いフォームの選手に親近感をおぼえる。

「このフォームでこれだけ速く走れるんだからフォーム修正したらもっと速く走れるだろうにねえ」
とみんな言うが、そうかんたんな話じゃない。

だってセルフイメージでは無駄のない美しい動きをしているのだから。自分がゴリラであることに気づかずに誇らしげに野球をやっていたぼくにはわかる。


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