学生時代、教師に言われて嫌だった言葉のひとつが「ノートとれよ」だった。
表立って反論したことはないけど、内心ではずっと反発していた。
ぼくは学生時代、ほとんどノートをとらなかった。
教師が「ノートとれ」と言う。そのとき黒板に書かれていることは、ほとんどが教科書や資料集に書いてあることだ。
だったら教科書を読めばいい。
教科書に載っていないことであれば教科書の余白にメモをとれば済むことだ。
わざわざノートにとる必要がない。
じっさい、授業中ずっと真剣にノートをとっているやつよりも、一切ノートをとっていなかったぼくのほうがずっと成績が良かったのだから、ノートの不要性が証明されたようなものではないか。
学生のとったノートのほうが、専門家がたくさん集まって作って検定を経ている教科書より理解しやすいなんてことがあるわけない。
ノートをとることは、「ちゃんと聞いてますよ」というアピールをして内申点を上げる以外には役に立たない。
大人になった今では、もっとそう思っている。
学校で「ノートをとれ」とでたらめな教育を受けたせいだろう、大人になっても手帳にメモをしている人がいる。
「10月31日の19時に〇〇で会食」ってな内容ならわかる。
それはメモにとっておいたほうがいい。
でも、たとえばぼくがExcel関数の使い方を教えたときに、その内容をメモにとるやつがいる。
あほちゃうか、と心の中で思う。相手によっては口に出して言う。
検索したら出てくるものをなんでメモるんだよ、と。
そんなものメモしてるひまあったら覚えろよ。覚えられないんだったら検索のしかたを覚えろよ。
メモをとれば記憶しなくてすむわけじゃない。
書いたことを役立たせるためには、「どのメモに書いてどこに保存したか」を覚えとかないといけない。
テストをするんだったらテスト前に全部のメモを見かえせばいいが、仕事ではそんなわけにはいかない。
「どのメモに書いたか」の記憶に少ない脳のメモリを使うぐらいだったら、メモの内容をおぼえたほうがずっと効率がいい。
すでに書いてあること、ちょっと調べればわかることをメモするのはまったくの無駄だ。
見返さないノートをとってる人は、すぐそのノートを破棄しなさい。
これすごく大事。
すごく大事なこと書いたから、ちゃんとノートとっとけよ。
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