文庫の巻末のお楽しみ
世に文庫好きは多いと思うが、あまり語られないのが巻末の宣伝ページだ。
本編があって、あとがきや解説があって、その後にあるやつ。
同じ出版社から刊行されているさまざまな文庫本を、3行ぐらいの解説とともに紹介しているページ。
ぼくはあれが大好きだ。正確にはなんていうのか知らないけど、とりあえず「巻末のお楽しみ」と呼ぶことにする。
昭和58年の今月の新刊 |
巻末のお楽しみの効用
電車の中で思っていたより早く本を読み終えてしまうことがある。
今日読みおわるとおもっていなかったから、次に読む本を持ってきていない。
読む本がない。どうしよう。うわあああ(常に本が手放せない人間にとってはこれぐらいの緊急事態だ)。
こんなとき、巻末のお楽しみがあると助かる。
あの3行解説をじっくり読んで、紹介されている1冊ずつに対して「この本はどういう内容なのだろうか?」と沈思黙考すれば、けっこう時間がもつ。
広告としてもよくできている。
同じ著者の作品、同ジャンルの別の作家の作品、中には出版された時期が近いだけのまったくカテゴリ違いの本も紹介されたりしていて、それぞれおもしろい。
何十年も前の "今月の新刊" を見ると妙に感慨深いものがある。
鳴かず飛ばずだった本なのに「文壇を揺るがす問題作!」みたいな鳴り物入りで発表されていたのか、とか。
Amazonが「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とやるよりずっと前から、文庫業界では巻末のお楽しみという形でレコメンド広告(関連する商品をお薦めする広告)を出していたんだよね。
映画好きの中には、予告編を楽しみにしている人も多いだろう。
だが映画の予告編が残念なのは、本編の前にやっていることだ。あれによって観客は広告を観ることを強制されてしまう。もちろん広告主としては全員に観てもらったほうがいいんだろうが、それによって嫌われてしまっては元も子もない。
広告には「ご迷惑でなければ見てやってください」というたしなみがなくてはいけない。巻末のお楽しみには、ちゃんとつましさがある。
文庫の終わりのシンフォニー
本編を読んで本の中身に引きこまれて、あとがきや解説を読んで「なるほど、そういう解釈もあるのか」と感じ入って、最後に巻末のお楽しみを読んでクールダウンする。
おもしろい本だと本の中に引きこまれすぎる。著者の意向か知らないけどたまにあとがきも解説もない文庫があって、そういう本だと読み終わった後に気持ちの整理がつかない。うまく現実世界に帰還できない。巻末のお楽しみがあればそういう事態を防げる。
海外から帰国したときって変な感じしない? 頭の中では日本に帰ってきたってわかってるんだけど、でも身体はまだ海外にいるようなふわふわした感じ。
でも、空港という日本でも海外でもないような場所をうろうろして土産物屋とか見ているうちにだんだん慣れてくる。少しずつ「ああ、日本に帰ってきたんだな」って日常を取り戻していく。身体の切り替えって時間がかかるんだよね。
巻末のお楽しみは、空港の土産物屋みたいなどこか異次元の時間を提供してくれる。
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