小田嶋 隆 『超・反知性主義入門』にこんな記述があった。
最後の結論はべつにして、ぼくも「大学は実用的なものを学ぶ場じゃない」と思っている。
本屋で働いていたときに、外国語大学に通う学生バイトがいた。
「なんで外大選んだの?」と訊くと、
「オープンキャンパスに行ったんですよ。
××大学(総合大学)の文学部は、英語の理論とか文法とかが中心的だったんです。でも外大の授業は外国人の先生との会話が中心で、これなら実践的な英会話が身につくな、と思って外大を選びました」
と彼女は語っていた。
「だったら大学じゃなくて英会話スクール行けよ!」とぼくは心の中で思った(いい大人なので口には出さなかった)。
英会話を身につけたいなら英会話スクールのほうが早いし安い。
大学は実用的な道具を買うところじゃない。電器屋さんに単3電池2本を買いにいくのとはちがう。
しかし、映画館でまだ観たことのない映画を観るとか、大学で何かを学ぶということは、効用が事前に予見できない類のものだ。
ハラハラドキドキする2時間かもしれないし、退屈なだけの4年間かもしれない。
ある人にとってつまらない映画が、べつの人にとっては人生最良の1本になるかもしれない。
「これをやることで何にどう役に立つかわかりません。というか役に立つ可能性は低いです」
というプロジェクトは、ビジネスマンには受け入れられない。マネーの虎たちはお金を出してくれない(古いね)。
でもそういったプロジェクトが100倍の利益を生んでくれることがある。
教育とか芸術とか医療とか福祉とかインフラとかの分野は、ビジネスマインドとの相性が良くない。
ビジネス向きではないからこそ国が率先してお金を投じないといけないのに、今や国の中枢にまでビジネスマインドは入りこんでしまっている。
いくら投資したらどれぐらいのリターンがあるか、とそろばんをはじいている人ばかりだ。
たとえばオリンピックでも「限られた予算内でより多くのメダルを獲得する」という目標を立ててしまったがゆえに、柔道とか水泳とか体操とかの「比較的ローコストで多くのメダルを稼げる」競技ばかり日本は強くなった。
大学もまちがいなくそうなっていくはずだ。
「TOEICで高得点を取れる大学」とか「司法試験の合格率が高い大学」ばかりになっていって、できるかぎり低予算でTOEICの点数を買う「買い物上手な大学」ばかりになるのだろう。
こういう話は教育の世界にいる人はうんざりするぐらいしつこく言っているはずなのだが、それでも「コスパ」ばかり求めている人たちの耳には届かない。
今後日本の大学教育はどんどん没落していくばかりだ。
ぼくとしては、自分がビジネスとは無縁だった時代の最後に大学に通えたことを、ただ感謝するばかりだ(ぼくが大学4年生のとき、通っていた大学が国立大学法人になった)。
ぼくは「大学の4年間で何を学んだか?」と問われたら「いや、なんでしょうね……。なんかあるかな……」としか答えられないし、だからこそ大学に通って良かったと思う。
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