2025年3月21日金曜日

【映画感想】『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』


『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画44作目で、「映画ドラえもん」シリーズ45周年記念作品。絵の中の世界に飛び込んだドラえもんとのび太たちが、幻の宝石を巡って時空を超えた冒険を繰り広げる。
数十億円の価値がある絵画が発見されたというニュースを横目に、夏休みの宿題である絵に取り組んでいるのび太。そんな彼の前に、突然絵の切れ端が落ちてくる。ひみつ道具「はいりこみライト」を使い、その絵の中に入って探検をしていると、不思議な少女クレアと出会う。彼女の頼みを受けて「アートリア公国」を目指すドラえもんとのび太たちだったが、そこはニュースで話題になっていた絵画に描かれた、中世ヨーロッパの世界だった。その世界には「アートリアブルー」という幻の宝石がどこかに眠っているという。幻の宝石を探すことになったドラえもんとのび太たちだったが、やがてアートリア公国に伝わる世界滅亡の伝説がよみがえってしまい、大ピンチに陥る。

 映画館にて視聴。

 事前にレビューサイトをちらっと見たらかなり評判が良かった。「ドラえもん映画史上最高傑作」とまで書いている人もいた。期待しながら鑑賞。

 うん、これは噂にたがわぬ名作。史上最高傑作を決めるのはむずかしいが(ドラえもん映画のNo.1はたいてい子どものときに観た作品になる)、上位に入ることはまちがいない。

(以下、わずかにネタバレを含みます)



そんなに新しいことはしていないのがいい

 何がいいって、そんなに新しいことはしてないんだよね。

 ドラえもんの道具を使って非日常の世界に行って、そこで友だちができて、その世界になじんできたところで悪いやつが現れて、みんなで力を合わせて、ドラえもんの道具を使い、強大な敵と立ち向かう。最後は知恵と勇気で敵をやっつけてめでたしめでたし。

 典型的なドラえもん映画のパターンだ。40年以上前から大枠は変わっていない。

 でもこれでいい。制作者は、観客が何を求めているかをわかっている。

 ドラえもん映画を観にいく人は“ドラえもんの映画”を観たいのだ。脚本家や監督のクリエイティビティを見せつけられたいんじゃない(わかってる? 『のび太の×××××』を作った人たち)。

 いつものキャラクターたちが、いつものように行動し、いつものようにドラえもんが道具を出して解決する。そういう映画を観たいわけよ。「のび太が努力を重ねて演奏を上達させて音楽の力で敵をやっつける話」なんてやったら『ドラえもん』じゃないのよ(あっ書いちゃった)。

 ちゃんと『ドラえもん』の枠組みを守った中でおもしろい話を作ってほしい。『空の理想郷』や『絵世界物語』はそれができることを証明してくれた。マンネリと言われようと、同じところは同じでいい。なぜならドラえもん映画のメインターゲットである子どもたちは数年で入れ替わってゆくのだから。

 制約の中でいいものを作るのが真のクリエイターだとおもうよ。


秀逸なオープニング

 オープニング映像がすばらしい。『夢をかなえてドラえもん』に合わせて、のび太たちが名画の中で躍動する。いやがおうでもこれから始まる大冒険への期待をかきたてられてわくわくする。この映像だけくりかえし見たいぐらい。

 そして謎の少女、空から現れた欠けた絵。このミステリアスな導入をコミカルに描いているところもすばらしい。これからのストーリー展開に必要な導入をただの説明で処理せず、楽しいシーンとして見せてくれる。丁寧な仕事だ。

 中盤の水加工用ふりかけで家を作るシーンも、音楽ベースで楽しく見せてくれる。セリフはないけど何を言っているかがちゃんとわかる。いい仕事だ。


おなじみの道具

 原点回帰というか、今作では映画ドラえもんでおなじみの道具が数多く登場した。

 グルメテーブルかけ、着せ替えカメラ、とうめいマント、空気砲、ヒラリマント、瞬間接着銃……。

 今作のキーアイテムであるはいりこみライトは『ドラビアンナイト』などでおなじみの絵本入りこみぐつとほぼ同じ。

 ストーリー上重要な役割を果たす水加工用ふりかけ、かるがるつりざお、ころばし屋、本物クレヨン、モーゼステッキなども原作にも登場したことのある道具で、すぐに機能が理解できる。

 なので言葉による道具の説明がほとんどない。これがいい。

 小さい子にもすぐにわかるし、ストーリー進行のじゃまをしない。時空間チェンジャーみたいに「過去24時間内に行ったことがある場所と時間と範囲を指定して、現在いる空間と入れ替えることができる」なんてややこしい道具は出てこない。なんだそのごちゃごちゃした設定。『ドラえもん』読んだことあるのかよ(また『地球交響曲』の悪口になってしまった)。

「いちいちキャラクターや設定の説明をせずに済むのでストーリー展開に時間を割くことができる」というシリーズものの利点をうまく生かしている。


伏線のうまさとわざとらしさ

「わらわは風呂は嫌いじゃ」のセリフや流しそうめんのシーンが、結末に関するヒントになっているのがニクい。

 “後の展開への伏線になっているけど、それに気づかなくてもおもしろい”のがいい伏線だ。

 一方で、ボスとの戦闘で起死回生の役割を果たす道具については、少々わざとらしい。かなり強めに印象付けようとしてくるので「あ、これは終盤で使うやつだな」とわかるし、「あの道具さえあれば」なんて不自然なセリフまで出てくる。いちばんカタルシスを得られる場面だっただけに、もっとさりげなく提示してほしかったな。


 あと、ちょっと省略が効きすぎていた。

 しずかちゃんが二回目に絵世界に来たシーンとか、ジャイアンたちが眠りから覚めるシーンとかが省略されていたので、うちの子(11歳)は観終わった後に「いつジャイアンたちは目覚めたの?」となっていた。

 絵世界についての説明も短く、子どもが一度観ただけですべてを理解するのはかなりむずかしいんじゃないかとおもう。

 次から次にいろんなことが起こり、ストーリーのボリュームがあるので観ていて楽しいが、その代償として「子どもがすんなり理解できる」点が損なわれているように感じる。

 ディズニー映画もそうだけど、ターゲットが広がると同時にどんどんストーリーが複雑化して、本来のターゲットであった子どもが置いてけぼりになっているようにおもえる。少子化だからしかたないのかな……。


ほどよいメッセージ性

 ほとんどのドラえもん映画は、ただのエンタテインメントだけでなく、若干のメッセージ性も持っている。

 ほどよいメッセージは物語に深みを持たせてくれるが、それが強すぎると説教くさくておもしろくない。またメッセージが作品にあっていなくてはならない。「努力は大切だよ」というのはメッセージとして間違っていないが、それを『新恐竜』や『地球交響曲』のようにのび太が努力している姿で表現したら『ドラえもん』でなくなる。

『絵世界物語』から発される(とぼくが感じた)メッセージは、『ドラえもん』の世界にあったものだった。

 マイロが友だちとしてのび太に語る言葉、ラストシーンでテレビに映った下手な絵を見たのび太のパパのつぶやき。決して押しつけがましいものではなく、とことん優しい。教訓ではなく、ダメなものに対する肯定。

 よく落語は“業の肯定”の芸だと言われる。愚かでも、怠惰でも、狡猾でも、強欲でも、それが人間の性だとして否定しない。ぼくは『ドラえもん』も同じだとおもう。

 のび太は愚かで怠惰で狡猾で強欲だ。何度も同じ過ちをくりかえし、努力も反省も成長もしない。けれどドラえもんはとことんのび太を甘やかす。何度裏切られても、のび太の「努力せずにいい目を見たい」という欲求を叶えてやろうとする。

 穂村弘は、母親の無償の愛情を「自分に無償の愛を垂れ流している壊れた蛇口みたいなもの」と表現したが、のび太にとって、そして読者にとってドラえもんは“壊れた蛇口”だ。

 ダメでもいい。ダメだからいい。ラストのパパのセリフは、『ドラえもん』に通底する精神をきちんと汲んだものだった。


最古参のファン

 ぼくが映画館で『絵世界物語』を観たのは日曜日のお昼。当然、周りはファミリー客ばかりだった。

 その中で目を引いたのが、近くの座席に座っていた客。70歳ぐらいのじいさん二人連れだった。

『ドラえもん』の連載開始が1969年。ひょっとするとあのじいさんたち、当時からの『ドラえもん』ファンかもしれない。

 いいなあ。ぼくもじいさん同士で『ドラえもん』を観にいくようなじじいになりたいぜ。


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