2020年11月13日金曜日

【読書感想文】男から見ても女は生きづらい / 雨宮 処凛『「女子」という呪い』

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「女子」という呪い

雨宮 処凛

内容(e-honより)
男から「女のくせに」と罵られ、常に女子力を求められる。上から目線で評価され、「女なんだから」と我慢させられる。私たちは呪われている?!「男以上に成功するな」「女はいいよな」「女はバカだ」「男の浮気は笑って許せ」「早く結婚しろ」「早く産め」「家事も育児も女の仕事」「男より稼ぐな」「若くてかわいいが女の価値」…こういうオッサンを、確実に黙らせる方法あります!


 男として生まれ、男として生きてきたので、「女性の生きづらさ」について深く考える機会はほとんどなかった。

 だが娘が生まれ、彼女の将来を案ずるうちに遅ればせながら「女性の生き方」について真剣に考えるようになった。
「娘が大きくなったときに生きていきやすい世の中だろうか」という目で今の日本社会を見渡してみると、お世辞にも女性が生きやすい世の中とは言えない(男も生きづらい世の中だけどね)。

 昨年、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説を読んだ。ふつうの女性がふつうの人生を送るだけなのだが、それだけなのに「女の生きづらさ」が浮かびあがってくる。小説の舞台は韓国だが、日本の状況と大きく変わらない。




 ぼくらの世代は、ちょっと上の世代とは違い、「男女は平等である」と言われつづけて育った。
 ぼくの通っていた中学校では男女ともに技術と家庭科をやり、名簿も男女混合で、体育祭では男子もダンスをして女子も組体操をした。
 ぼくにはひとつ上の姉がいるが、親から「男の子なんだから」「女の子らしくしなさい」と言われたこともない。「これからは男でも家事をできなきゃいけないよ」とは言われたが。

 本音はともかく、タテマエとしては「男女平等」に異を唱えることなど許されない時代に育った。

 だから「女は家で家事と子育てをしとけ」なんてことを言う人は、今の三十代以下にはほとんどいない。
 ぼくがいた会社でも「女性がお茶を出すように」なんて言うのは1960年代生まれまでだった。

 じゃあ女性が生きやすくなったかというと、そんなことはないんじゃないかとおもう。
 むしろ「男女平等」というタテマエがある分、「女性だけが損をしている」という声を上げづらくなったんじゃないだろうか。
 現実問題として「女のほうが平均給与が低い」という明確な格差があるのに、「今は雇用機会均等法もあって男女平等の世の中だよ」というタテマエがあるせいで、「あなたの給与が低いのはあなたが女だからではなくあなたの能力が低いからでしょ」と言われてしまうというか。




 この国では、男は経済的自立さえしていればそうそう責められることはない。しかし、女はその上で家事や育児まで完璧にこなすことを求められ、「男を立てる」ことまで要求される。仕事を続けたら続けたで「旦那さんの理解があっていいわね」なんて言われ、育児に手がかかったり介護を必要とする家族がいたりすれば仕事を続けていることを責められ、やむを得ず仕事を辞めて育児や介護に専念すれば、誰もねぎらってくれないどころか「気楽な専業主婦」扱いされる。
 一方で、結婚しない女、子どもがいない女は、時に無神経な言葉に晒される。

 ぼくは子どもと過ごすのが好きなので、休みの日はほぼずっと子どもといっしょにいる。
 妻が外で遊ぶのがあまり好きでないことや、ぼくががさつなこともあって、我が家では自然と「ぼくが子どもを連れて外で遊んでいる間に、妻が掃除や料理をしてくれる」という役割分担になった。

 子どもと遊んだり、子どもを連れて買物に行ったりしていると、けっこう「おとうさんえらいねえ」と声をかけられる。声をかけてくるのはほぼまちがいなくおばちゃん・おばあちゃんだ。「うちの旦那なんかなんもしてくれへんかったわ」と愚痴をこぼされることもよくある。

「ご主人子どもと遊んであげてえらいねえ」と言われることはあっても、「奥さん家事をしててえらいわねえ」「おかあさん、子ども連れて買物に行っててえらいねえ」と言われることはない(そして「ご主人仕事しててえらいわねえ」とも言ってもらえない)。

 2020年になっても「夫は仕事がメインで家事はオプション、妻は家事がメインで仕事はオプション」は根強く残っている。




「女は楽でいいよな」と言う男もいる。ぼくもかつてそうおもっていたが、最近気づいた。「女は楽でいい」なんてごく限られた時期の限られた人だけのことだ。

 二十歳ぐらいの女の人はだいたいちやほやされる。それはそれで悪いこともあるが、トータルで考えれば得のほうが多いとおもう。
「二十歳ぐらいで金もないし顔もよくない男」なんて誰にも相手にされなかったもん、ホント。世の中から「単純労働力」としてしか期待されてなかった。

 でも、黙っていてもちやほやされる時期はごくごく限られている。
 美人であっても歳をとったら、同年代の男より生きるのは大変だ。そして大変な時期のほうがずっと長く続いてゆくのだ。

 例えば一人親の貧困率が50%を超えるのは、この国の社会保障制度の設計に問題があるからだ。すでに時代遅れの「正社員の夫と専業主婦の妻、プラス子ども」みたいなものが標準世帯とされているので、標準世帯からもれる一人親世帯は貧困となるリスクが一気に高まる。当然、結婚していない単身女性の貧困リスクも高まる。単身女性の三人に一人が貧困(月の収入が約10万円以下)というのは有名な話だが、これが高齢者になるともっと大変なことになっている。65歳以上の単身女性の貧困率は52.3%(07年)で二人に一人だ。
 女性は、子どもの時には「父」という男が、そして大人になってからは「配偶者」という男がいなければ貧しくなるリスクが高まるのだ。そしてそれをカバーする制度は今のところ、ない。

 男女平等だのといっても、歳をとった独身女性が生きていくのは(歳をとった独身男性よりも)大変だ。社会のシステムが、女性が独身で生きていけるようにできていないのだ。

 娘の幸せを願う父親としては「娘にいい人と結婚してほしい」と願わざるをえない。もしぼくに息子がいても、そこまで強く「いい人と結婚してほしい」とは願わないだろう。
 令和の時代になってもまだ、女性の幸せは夫によって決まる部分が大きいのだ。

 この国では、なんて「普通に大人になる」ことが難しいのだろうと。例えば、カビさんの〈子供でいた方が両親は可愛がってくれると思ったから 大人になってはいけないと思っていた〉という一文。この言葉に、共感できる人は多いのではないだろうか。
 一方で、社会も「女の子」の「成熟」に変に敏感だ。年相応に、恋愛や異性や性的なことに興味を持つと「親」や「教師」的な存在からは全否定される。しかし、突然「大人の男」は「お前の性を売れ」という圧力を直接的・間接的にかけてくる。同時に「未熟であれ、成熟などするな」というメッセージも投げかけてくる。自分が成熟したほうがいいのか悪いのか、自分が何かトンデモなく隙だらけだから変なオッサンに声をかけられるのか、心も体もいつも傷ついてちぐはぐで、常に欲望の主体ではなく客体として扱われるので、自分は本当は何がしたいのか、当たり前にある自らの欲望と折り合いがつけられなくなる。そんな無限ループ。そして「女」であることから降りたくなる。

 恥ずかしい話だが、ぼくもやはり女を一方的に品定めしていた。男友だちと「あの女はアリ/ナシ」と語ったこともある。ひとりの人間としてではなく、顔と身体だけを見て。

 そして自分の娘が同じ眼にさらされるのだと想像してやっと、女性の置かれる状況の厳しさを思い知る。自分の娘が……という立場に置かれて想像をしないと気づけない。

 やっぱり大変ですよ、女のほうが。
 美人でも不美人でも男好きでも男嫌いでも仕事ができても仕事ができなくても生きづらい。
「ふつうぐらいの器量で、ふつうの性格で、ふつうに仕事ができるぐらいであってほしい」と我が子に対して臨んでしまうのだが、これがもう〝呪い〟だよな……。




 ところでこの本、4章構成なのだが、2章と3章は「メンタルを病んだ女性の生きづらさ」について書かれており、これは蛇足だったようにおもう。

 心を病んだ原因は「女であること」に由来するのかもしれないが、リストカットをくりかえしている人やAVで処女喪失したライターが飛び降り自殺をしたことを引き合いに出して「女は大変」って言われても、「大変なのはわかるけど〝女の生きづらさ〟を語るための例としては極端すぎるだろ……」としか思えない。
 ガソリンかぶって焼身自殺をした男がいるからって「ほら男って大変でしょ?」とは言えないでしょ。

 

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