2022年4月4日月曜日

【読書感想文】リチャード・セイラー&キャス・サンスティーン『実践行動経済学 ~健康、富、幸福への聡明な選択~』

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実践行動経済学

健康、富、幸福への聡明な選択

リチャード・セイラー(著) キャス・サンスティーン(著) 遠藤 真美(訳)

内容(e-honより)
市場には何が足りないのだろう?ごく凡庸な我々は、様々な人生の決断において自らの不合理性とひ弱さに振り回され続ける。制度に“ナッジ”を組み込めば、社会はもう少し暮らしやすくなる。“使える”行動経済学の全米ベストセラー。世界的な金融危機を読み解いた「国際版あとがき」も収録。


 古典経済学では合理的な人間(エコノ)を想定して理論を組み立てる。エコノは、1円でも得をする方を選び、情や惰性には一切流されない。常に冷静かつ正確に損得勘定できる。

 だが、我々はエコノではない。目先の得や楽なほうに流される。「損をしたくない」よりも「めんどくさい」のほうが先に立つ。全員がエコノであれば銀行に預金する人も、宝くじを買う人も、ギャンブルをする人も存在しないはずだが、そんなことはない。我々は朝三暮四の猿とそんなに変わらないのだ。

 そこで、不合理な行動をとる存在(ヒューマン)を想定して経済を考えるのが行動経済学だ。


 我々は頻繁に間違う。朝に三個、夕方の四個のエサをもらうよりも、朝に四個、夕方に三個もらうほうがお得だとおもってしまう。

「まちがうやつが悪いのさ。情報弱者は損をしてもしょうがない」という自由主義的な考え方もある。

 でも、人々が選択を誤って不幸になるのは、当人だけでなく社会全体にとっても損失である。選択を誤って失業者が増えたり、生活保護受給者が増えたり、病人が増えたりするのはいいことじゃない。

 そこで、政府などの公共機関が個人の選択に介入してやる必要がある。

 ただしこの塩梅がむずかしい。職業選択、資産運用、購買行動、衣食住、すべてを強制すれば間違う人はいなくなるだろうが(もしくは全員間違うか)、それが幸福につながるとはおもえない。パターナリズム(父権主義。国家などが個人の幸福のために行動に介入すること)を嫌う人も多い。


 そこで著者が提唱するのが、「ナッジ(nudge)」だ。ナッジとは、法律や罰則のように強制的なものではないが、多くの人にとって良い選択をできるよう道筋をつけてやる行為だ。

 たとえばドナー(臓器提供者)登録について。臓器提供は増やしたいが、個人が己の身体を自由に扱う権利は侵害するわけにはいかない。信仰上の理由で臓器提供をしたくない人にまで臓器提供を強制するわけにはいかない。

 今の日本の制度だと、ドナー登録をするには健康保険証や運転免許証の裏にチェックを入れる必要がある。チェックを入れなければ登録されない。
 だが一部の国ではこれが逆で、何もしなければ死後に臓器を提供することに賛同したものとみなされる。提供したくない人がチェックを入れる必要がある。

 やっていることはほとんど変わらない。「提供する人はチェック」か「提供しない人はチェック」だけで、個々人に与えられた自由は同じだ。

 だが、「提供しない人はチェック」の国は圧倒的に登録率が高くなる(信仰されている宗教が同じ国で比べても)。

 この「提供しない人はチェック」の仕組みが「ナッジ」だ。




 人間は自分の意思で行動しているようで、実際は環境によって行動が大きく左右される。

 同じことはスープにも当てはまる。ワンシンクが行ったもう一つの画期的な実験では、被験者はトマトスープが入った大きな皿の前に座り、好きなだけ飲んでいいと告げられた(Wansink[2006])。被験者には知らされていなかったが、スープ皿は自動的に注ぎたされるようになっていた(皿の底はテーブルの下にある機械とつながっていたのだ)。被験者がどれだけスープを飲もうと皿は空にはならない。たくさんの人が実際には大量のスープを飲んでいることに気づかないまま、実験が終了させられるまで(まったく慈悲深いことだ)、ひたすらスープを飲み続けた。皿が大きかったり容器が大きかったりすると、食べる量は増える。これは選択アーキテクチャーの一形態であり、重要なナッジとして作用する(読者諸氏への助言――体重を減らしたいなら、皿を小さくし、好物はすべて小さなパッケージのものを買い、思わず手が伸びてしまうような魅惑的な食品を冷蔵庫に入れておかないことだ)。

 これはぼくも経験がある。特に飲み会のようにアルコールが入っているといけない。眼の前に食べ物があると、空腹でなくてもついつい食べすぎてしまう。

 またぼくは結婚式に招待されるとたいてい飲みすぎる。これも環境によるものだ。結婚式での会食というのは、グラスが空きそうになるとすかさずウェイターが寄ってきて「お飲み物お注ぎしましょうか」と訊いてくる。飲みたいわけではないが断るのも面倒だ(断る、という行為はけっこう脳のエネルギーを使うものだ)。そこでついついお代わりを頼んでしまう。グラスにシャンパンやワインが入っていると「残すのも悪いな」とおもいついつい飲んでしまう。飲むとまたウェイターが音もなく忍びよってきて「お飲み物お注ぎしましょうか」と訊いてくる……。これもナッジだ。


「割れ窓理論」というのを聞いたことがあるだろうか。割られた窓ガラスをそのままにしていると、他の窓ガラスまで割られることが増えるという理論だ。同様に、何もないところにポイ捨てをするのは気が引けるが、すでにごみが多いところにポイ捨てをするのは抵抗なくできるのも同じ。これも(負の)ナッジだ。




 日本人は周囲に流されやすい、とよく言われるが、それは日本人だけではないようだ。

 納税協力の文脈では、ミネソタ当局によって行われた現実世界での実験で、行動の大きな変化が生みだされている。実験では、納税者を四つのグループに分け、四種類の情報が与えられた。あるグループには、自分たちが納めた税金は、教育、防犯、防火など、様々な良い仕事に使われると告げられた。別のグループは、税金を納めない場合には罰せられる危険があると脅かされた。さらに別のグループは、納税申告書の書き方にとまどったり、よくわからなかったりする場合にはどこに問い合わせればよいかという情報を与えられた。最後のグループには、ミネソタ市民の九割以上が既に税法に基づく義務を完全に果たしているとだけ告げられた。
 こうした介入のうち、納税協力に著しい効果を上げたものが一つだけある。最後の介入だ。一部の納税者が税法を遵守しないのは、納税協力の水準はかなり低いと誤認されているのが原因である可能性のほうが高いようだ。これはメディアなどで税金逃れが報じられているためだろう。協力水準は実は高いのだという情報を与えられると、税金逃れをする可能性は低くなる。だとすると、ほかの人がどうしているかに一般市民の関心を集めることによって、望ましい行動も、望ましくない行動も、少なくともある程度は促せることになる(政党への注――投票者を増やしたいと考えているなら、投票しない有権者がたくさんいると嘆かないでいただきたい)。

「みんな法に従って正しく納税しています」と伝えるだけで、正しく納税する割合が高まるのだ。

 たしかにね。誰しも税金を払うのはイヤだけど、イヤなのは払うことそのものよりも「脱税してるやつがいるのに自分だけが払うのが許せない」だ。

 考えてもみよう。たとえば観たい映画があるとする。あなたは映画代二千円を払う価値があるとおもい、映画館に足を運ぶ。すると映画館で「先着三十名無料キャンペーン」をやっている。あなたは運悪く三十一番目の客だった。とたんに二千円払うことがイヤにならないだろうか。二千円払おうとおもって出かけて二千円払うのだから損をしたわけでもないのに、すごく損をした気持ちにならないだろうか。もしかすると「タダにならないんだったらもう映画観るのやめよう」となるかもしれない。


 少し前に、政府の不正がたくさん明るみに出た。情報の隠蔽やデータの改竄や国会での虚偽答弁が相次いだ。彼らの罪はただ誤った情報を流した(あるいは正しい情報を隠した)だけにとどまらない。多くの国民に「あいつらも不正をはたらいているのに自分たちは正しく行動するのはばからしい」という意識を植えつけた。その中には、実際に「じゃあ自分もちょろまかしちゃおう」と行動した人もいるだろう。それとは気づかぬうちに、政府の不正に悪影響を及ぼされているのだ。この影響は数十年にわたって及ぶ。彼らはただ不正をしただけでなく、日本国民全体のモラルを下げたのだ。




 この本では「ナッジ」を活用する例がいくつか紹介されているが、アメリカでの例なのでわかりづらいことも多い。住宅ローンや保険、年金制度などは日本とは異なる点もいい。

 おもしろかったのは、こんな例。

興味深い例に、かって非常に人気があった独特な金融サービス制度「クリスマス・セービングクラブ」がある。仕組みを説明しよう。顧客は一一月の感謝祭のころに地元の銀行に口座を開き、これから一年間にわたって毎週一定の金額(例えば一0ドル)を預金することを約束する。預金は引き出せず、一年後、ちょうどクリスマスのショッピング・シーズンが始まるころに満期を迎える。金利にたいていゼロに近い。
 クリスマス・クラブを経済学の観点から考えてみよう。この口座は流動性がなく(一年間引き出せない)、取引費用は高く(毎週預金しなければならない)、リターンはゼロに等しい。そんな制度は実在しえないことを証明するのは経済学のクラスの宿題にはうってつけの題材だ。だが、クリスマス・クラブは長年にわたって広く利用され、何十億ドルも投資された。私たちはエコノではなくヒューマンを相手にしているということに気づけば、クラブが繁栄した理由を説明するのは難しくない。クリスマス・プレゼントを買うお金が不足している家庭は、クリスマス・クラブに加入して来年のクリスマスの問題を解決しようと決意するだろう。毎週預金しなければならないという不便さと、預金しても利息がつかないという損失は、プレゼントを買う十分な資金を確保できる利得に対して支払う代償としては小さいのではないか。(中略)お金を引き出せないことはマイナス要因ではなく、プラス要因だった。流動性がない点こそがこの制度の肝だったのだ。クリスマス・クラブは多くの点で子どものプタの貯金箱の大人バージョンである。ブタの貯金箱はお金を入れやすく、出しにくいようにできている。お金を引き出しにくいことが貯金箱の最大のポイントである。

「クリスマス・セービングクラブ」はクレジットカードの普及により廃れたが、それまではこんな何のメリットもないように見える制度が人気を博していたのだから、人間の行動がいかに意思ではなく環境や制度によって動かされるかがわかる。


 これもおもしろかった。スティック・ドットコムという、誓いを立てるためのWebサイト。

 スティック・ドットコムで誓いを立てる方法には、「金銭型」と「非金銭型」の二つがある。金銭型の誓いを立てる場合には、個人はスティック・ドットコムにお金を預けて、一定の期日までに目標を達成することに同意する。このときに目標を達成したことをどう立証するかも決める。立証する方法には、病院や友人の家で体重を量る、診療所でニコチンの尿検査をする、自主申告制にする、などがある。目標を達成すると、預けたお金は戻ってくる。目標を達成できなかった場合には、お金は寄付される。また、「グループ方式の金銭型誓約」という選択肢もある。グループ全員のお金をプールして、目標を達成した人のあいだで分け合うのである(目標を達成できなかった場合には、誓いを立てる人の嫌いな相手、例えば自分の支持政党と対立する政党、ヤンキースとレッドソックスのような宿敵関係にあるチームのファンクラブに寄付するという、もっと厳しくて、意地が悪くて、おそらくより効果的な選択肢もある)。非金銭型の誓約には、ピア・プレッシャーに身をさらす方法(家族や友人に成功か失敗かを電子メールで知らせる)、グループのブログで目標達成を監視する方法などがある。

 目標達成を誓い、達成できなかったら嫌いなスポーツチームに寄付をする……。

 いいなあこれ。死にものぐるいで達成するだろうな。


 経済学者の書いた本なので行動経済学の本としてはやや難解ではあるが、中級者向けとしてはおもしろいとおもう。

 ナッジを知れば、ふだんの行動を律することもできるし、マーケティングなどで他人を動かすためにも利用できそう。


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