実践行動経済学
健康、富、幸福への聡明な選択
リチャード・セイラー(著) キャス・サンスティーン(著) 遠藤 真美(訳)
古典経済学では合理的な人間(エコノ)を想定して理論を組み立てる。エコノは、1円でも得をする方を選び、情や惰性には一切流されない。常に冷静かつ正確に損得勘定できる。
だが、我々はエコノではない。目先の得や楽なほうに流される。「損をしたくない」よりも「めんどくさい」のほうが先に立つ。全員がエコノであれば銀行に預金する人も、宝くじを買う人も、ギャンブルをする人も存在しないはずだが、そんなことはない。我々は朝三暮四の猿とそんなに変わらないのだ。
そこで、不合理な行動をとる存在(ヒューマン)を想定して経済を考えるのが行動経済学だ。
我々は頻繁に間違う。朝に三個、夕方の四個のエサをもらうよりも、朝に四個、夕方に三個もらうほうがお得だとおもってしまう。
「まちがうやつが悪いのさ。情報弱者は損をしてもしょうがない」という自由主義的な考え方もある。
でも、人々が選択を誤って不幸になるのは、当人だけでなく社会全体にとっても損失である。選択を誤って失業者が増えたり、生活保護受給者が増えたり、病人が増えたりするのはいいことじゃない。
そこで、政府などの公共機関が個人の選択に介入してやる必要がある。
ただしこの塩梅がむずかしい。職業選択、資産運用、購買行動、衣食住、すべてを強制すれば間違う人はいなくなるだろうが(もしくは全員間違うか)、それが幸福につながるとはおもえない。パターナリズム(父権主義。国家などが個人の幸福のために行動に介入すること)を嫌う人も多い。
そこで著者が提唱するのが、「ナッジ(nudge)」だ。ナッジとは、法律や罰則のように強制的なものではないが、多くの人にとって良い選択をできるよう道筋をつけてやる行為だ。
たとえばドナー(臓器提供者)登録について。臓器提供は増やしたいが、個人が己の身体を自由に扱う権利は侵害するわけにはいかない。信仰上の理由で臓器提供をしたくない人にまで臓器提供を強制するわけにはいかない。
今の日本の制度だと、ドナー登録をするには健康保険証や運転免許証の裏にチェックを入れる必要がある。チェックを入れなければ登録されない。
だが一部の国ではこれが逆で、何もしなければ死後に臓器を提供することに賛同したものとみなされる。提供したくない人がチェックを入れる必要がある。
やっていることはほとんど変わらない。「提供する人はチェック」か「提供しない人はチェック」だけで、個々人に与えられた自由は同じだ。
だが、「提供しない人はチェック」の国は圧倒的に登録率が高くなる(信仰されている宗教が同じ国で比べても)。
この「提供しない人はチェック」の仕組みが「ナッジ」だ。
人間は自分の意思で行動しているようで、実際は環境によって行動が大きく左右される。
これはぼくも経験がある。特に飲み会のようにアルコールが入っているといけない。眼の前に食べ物があると、空腹でなくてもついつい食べすぎてしまう。
またぼくは結婚式に招待されるとたいてい飲みすぎる。これも環境によるものだ。結婚式での会食というのは、グラスが空きそうになるとすかさずウェイターが寄ってきて「お飲み物お注ぎしましょうか」と訊いてくる。飲みたいわけではないが断るのも面倒だ(断る、という行為はけっこう脳のエネルギーを使うものだ)。そこでついついお代わりを頼んでしまう。グラスにシャンパンやワインが入っていると「残すのも悪いな」とおもいついつい飲んでしまう。飲むとまたウェイターが音もなく忍びよってきて「お飲み物お注ぎしましょうか」と訊いてくる……。これもナッジだ。
「割れ窓理論」というのを聞いたことがあるだろうか。割られた窓ガラスをそのままにしていると、他の窓ガラスまで割られることが増えるという理論だ。同様に、何もないところにポイ捨てをするのは気が引けるが、すでにごみが多いところにポイ捨てをするのは抵抗なくできるのも同じ。これも(負の)ナッジだ。
日本人は周囲に流されやすい、とよく言われるが、それは日本人だけではないようだ。
「みんな法に従って正しく納税しています」と伝えるだけで、正しく納税する割合が高まるのだ。
たしかにね。誰しも税金を払うのはイヤだけど、イヤなのは払うことそのものよりも「脱税してるやつがいるのに自分だけが払うのが許せない」だ。
考えてもみよう。たとえば観たい映画があるとする。あなたは映画代二千円を払う価値があるとおもい、映画館に足を運ぶ。すると映画館で「先着三十名無料キャンペーン」をやっている。あなたは運悪く三十一番目の客だった。とたんに二千円払うことがイヤにならないだろうか。二千円払おうとおもって出かけて二千円払うのだから損をしたわけでもないのに、すごく損をした気持ちにならないだろうか。もしかすると「タダにならないんだったらもう映画観るのやめよう」となるかもしれない。
少し前に、政府の不正がたくさん明るみに出た。情報の隠蔽やデータの改竄や国会での虚偽答弁が相次いだ。彼らの罪はただ誤った情報を流した(あるいは正しい情報を隠した)だけにとどまらない。多くの国民に「あいつらも不正をはたらいているのに自分たちは正しく行動するのはばからしい」という意識を植えつけた。その中には、実際に「じゃあ自分もちょろまかしちゃおう」と行動した人もいるだろう。それとは気づかぬうちに、政府の不正に悪影響を及ぼされているのだ。この影響は数十年にわたって及ぶ。彼らはただ不正をしただけでなく、日本国民全体のモラルを下げたのだ。
この本では「ナッジ」を活用する例がいくつか紹介されているが、アメリカでの例なのでわかりづらいことも多い。住宅ローンや保険、年金制度などは日本とは異なる点もいい。
おもしろかったのは、こんな例。
「クリスマス・セービングクラブ」はクレジットカードの普及により廃れたが、それまではこんな何のメリットもないように見える制度が人気を博していたのだから、人間の行動がいかに意思ではなく環境や制度によって動かされるかがわかる。
これもおもしろかった。スティック・ドットコムという、誓いを立てるためのWebサイト。
目標達成を誓い、達成できなかったら嫌いなスポーツチームに寄付をする……。
いいなあこれ。死にものぐるいで達成するだろうな。
経済学者の書いた本なので行動経済学の本としてはやや難解ではあるが、中級者向けとしてはおもしろいとおもう。
ナッジを知れば、ふだんの行動を律することもできるし、マーケティングなどで他人を動かすためにも利用できそう。
その他の読書感想文はこちら
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