どういういきさつか忘れたけど、小学三年生のとき、家に一輪車が届いた。たしか親戚にもらったんだとおもう。
で、ぼくは乗ってみた。あたりまえだが乗れない。何度も何度も乗ってみた。親も兄弟も知人も一輪車には乗れないから、乗り方を教えてくれる人なんていない。今だったらYouTubeとかで検索すればすぐに乗り方レクチャー動画が出てくるんだろうが、当時はそんなものない。ぼくは何度もこけてこけてこけて、ようやく乗れるようになった。内くるぶしが傷だらけになったのをおぼえている。
ぼくが一輪車にすいすい乗れるようになった頃、ほんとにたまたま、小学校がベルマークで一輪車を二十台ぐらい購入した。そして、体育の時間に一輪車に乗ってみることになった。
もちろん誰も一輪車には乗れない。先生だって乗り方を知らない。乗れるのはぼくひとり。クラスどころか全校生徒の中でぼくひとりだけだった。
「有頂天」とはあのときのぼくのことを指す言葉だ。
優越感の極み。クラスの誰もができずに悪戦苦闘していることを、自分ひとりだけがたやすくできる。スポーツ万能のあいつも、けんかの強いあいつも、体操教室に通ってるあいつも、みんな必死の形相で一輪車から落ちないようにみっともなく鉄棒にしがみついているのに、ぼくだけが悠々と一輪車を乗りこなしている。進むのも曲がるのもできちゃう。
おれはヒーローだ!
……と当時はおもっていたんだけど、今おもうとどう考えてもただの「鼻持ちならない嫌なやつ」だよな。ヒーローでもなんでもなくて。
そして、ぼくが優越感を感じられたのはほんと数週間だけで、あっという間にクラス全員が一輪車に乗れるようになり、さらにはぼくもできなかった「バック」「アイドリング」といった技をできるようになるやつも現れ、ぼくの優越感は一瞬にして崩壊したのだった。
「鼻っ柱をへし折られる」とはあのときのぼくのことを指す言葉だ。
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