2022年4月26日火曜日

【読書感想文】更科 功『残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか』/すべての動物は不完全

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残酷な進化論

なぜ私たちは「不完全」なのか

更科 功

内容(e-honより)
心臓病・腰痛・難産になるようヒトは進化した!最新の研究が明らかにする、人体進化の不都合な真実―「人体」をテーマに進化の本質を描く知的エンターテインメント。

 生物がどのように進化したのか、についての考察。

 更科功氏の本を読むのは『絶滅の人類史』に続いて二冊目だが、前作に続いてこちらも論旨が明快でおもしろい。




 我々は、ついついヒトが全生物の頂点に立つ存在だと考えてしまう。

 ユダヤ教やキリスト教の創世記でも、神は五日目に魚と鳥をつくり、六日目に獣と家畜を、そして最後に神に似せたヒトをつくったことになっている。

 創世記を信じている人は少なくても、ヒトがもっとも優秀な動物だと考える人は少なくないだろう。もちろん頭の良さとか手先の器用さとかコミュニケーションの複雑さでいえばヒトが一位だろうが(たぶんね)、だからといってヒトが進化の究極系であるわけではない。

 たとえば肺。哺乳類の肺は、息を吸うときも吐くときも同じ管を使っている。だから吸うのと吐くのを同時におこなうことはできない。だが鳥類の呼吸器は後気嚢から息を吸って前気嚢から空気を押し出す仕組みになっている。

 それらを繰り返すことにより、いつも肺には、空気が一方向に流れるようになっている。新鮮な空気が肺の中を流れ続けるようになっているのだ。一方、私たち哺乳類は、気管という同じ管を使って、空気を出したり入れたりしている。空気が逆方向に流れるので、呼吸器としてはあまり効率がよくない。
 さて、鳥類はこのような優れた呼吸器を持っているため、他の動物が生きられないような、空気の薄いところでも生きていくことができる。渡り鳥の中にはヒマラヤ山脈を越えて移動するものがいるが、空気の薄い上空を飛べるのも、この優れた呼吸器のおかげである。鳥類は恐竜の子孫なので、恐竜もこの優れた呼吸器を持っていた可能性がある。少なくとも烏類の直接の祖先となった一部の恐竜は、この優れた呼吸器を持っていた可能性が高い。
 哺乳類と恐竜は、中生代の初期のだいたい同じころに出現した。それにもかかわらず、圧倒的に繁栄したのは恐竜だった。哺乳類は中生代を通じて、日陰者だったと言ってよいだろう。その理由の1つが、この呼吸器の性能の違いかもしれない。同じ活動をしても、哺乳類より恐竜のほうが、息が切れなかったかもしれないのである。
 私たちヒトは現在の地球上で大繁栄しているので、つい自分たち人類のほうが、他の生物よりもすべてにおいて優れていると思いがちである。かつては、恐竜なんて体が大きいだけで、アホな生物だと思われていたふしもある。でも、そういう態度は恐竜に失礼だろう。

 たしかにね。ふだんはあまり意識しないが、長距離走をしているときや水泳をしているときには「吸う」と「吐く」を強く意識する。新鮮な空気を吸いこみたい。しかし肺の中に溜まった空気を吐きだしたい。同時にできたらどれほど便利だろう。きっと一流マラソン選手になれるだろう。

 鳥はそれができるのか。いいなあ。高性能の肺があって。




 生物は進化するのでどんどん機能が向上していくようにもおもえるが、そうかんたんな話でもないらしい。

 ちょっと別の例で考えてみよう。私たちは、喉の筋肉を動かしたりするために、脳から迷走神経という神経が伸びている。この迷走神経のうちの1本は、心臓の近くにある血管の下側を通っている。私たちの場合はそれほど問題ないのだが、キリンではかなり変なことになってしまった。
 キリンでも、この迷走神経は、心臓の近くの血管の下側を通っている。この血管は、キリンの首が伸びるのとは関係なしに、心臓の近くに留まり続けた。一方、迷走神経は、相変わらず脳と喉を結んでいる。キリンの首が伸びていくと、脳と喉はどんどん心臓から離れていく。しかし、迷走神経は心臓の近くの血管の下側を通っている。
 そのため、迷走神経は、脳から出発して長い首を通って心臓の近くまで下りていき、血管の下側をぐるりと回って、それから長い首を上っていって、喉まで到達しなければならなくなった。キリンの脳と喉は3センチメートルぐらいしか離れていないのに、迷走神経はおよそ6メートルも遠回りすることになってしまったのだ。
 何でこんなことになってしまったのだろう。一度だけ迷走神経を切って、血管の下側から上側に移して、それからつなぎ直せばよいのに。でも、そういうことは進化にはできない。進化は、前からあった構造を修正することしかできない。切ってつなげるとか、分解してから組み立てるとか、そういうことは無理なのだ。

 迷走神経は脳と喉をつなぐ神経だ。脳から喉に最短距離でつなげば数センチで済むが、心臓の下を経由しているためキリンの場合は6メートルもの遠回りをしているのだ。

 めちゃくちゃ無駄だが、修正することはできない。突然変異で「迷走神経が切れてるやつ」が誕生して、その後また突然変異で「迷走神経を最短距離でつなぐやつ」が誕生すればいいのだが、「迷走神経が切れてるやつ」が誕生しても生き残れない(=子孫を残せない)のでそれ以上進化することはない。

 言ってみれば、家に住みつづけながらその家をリフォームするようなものだ。壁紙を変えるぐらいならできるが、「トイレの位置を別の場所に移す」みたいなおもいきった改築はできない。そんなことしたら、改修中はトイレが使えなくなって住めなくなるから。

「100代後の子孫が便利になるために今のあんたたちは不自由を強いられるけど我慢してね」というわけにはいかないのだ(仮に我慢したとしても100代後がもっと良くなる保障なんかどこにもない)。

 というわけで、我々の身体はぜんぜん最適な機能をしていない。つぎはぎだらけのパッチワークをだましだまし使っているのだ。

 本来の脊椎は、四肢動物に見られるように、水平になっているものである。それなのに、私たちの脊椎は直立しているので、いろいろと不都合が起きる。だから私たちは、進化の失敗作なのだ。そんな意見を聞くことがあるけれど、本当にそうなのだろうか。
 考えてみれば、四肢動物の脊椎だって不自然な使い方をしている。だって脊椎は、本来、泳ぐためのものなのだ。いや、魚の脊椎だって、不自然な使い方をしている。だって骨は、本来、リン酸カルシウムの貯蔵庫なのだ。いや、そんなことを言ったら、そもそも脊椎があること自体が不自然である。だって、脊椎なんて、昔はなかったのだから。

「人類は直立歩行をすることによって腰痛に悩まされるようになった」と聞いたことがある。腰は本来直立歩行を支えられるようにできていないから、無理が生じて腰痛になるのだという。

 だったら四足歩行ならいいのかというと、そんなことはないようだ。犬も腰痛になるらしいし、結局のところ身体にガタがくるのは「長く生きすぎた」からなんだろう。四十歳ぐらいでほとんどの人が死んでいた時代であれば、腰痛なんてほとんど問題にならなかっただろうから。

 生物の身体はよくできているが、「いろいろ触ってたらよくわかんないけどなぜかちゃんと動くようになったプログラム」みたいなもんで、合理的に設計されたものとはまったく違う。絶妙なバランスの上に成り立っている奇跡のプログラムなので、ほんのちょっとしたことで壊れてしまうのだ。




 人類の祖先が四足歩行から二足歩行に進化した過程について。

 当然ながら、はじめから今のように上手に二足歩行ができたわけではない。当初は赤ちゃんのようにヨタヨタ歩きだっただろう。

 だがこのヨタヨタ歩きにはなんのメリットもない。そのうち慣れて歩けるようになるのかもしれないが、自然界においては慣れるようになる前に他の動物に食べられてしまうはずだ。

 ではどうやって二足歩行が進化したのか。

 かつては、直立二足歩行は、草原で進化したと考えられていた。だがその場合は、四足歩行から直立二足歩行へ移る途中で、適応度が低い中腰歩行の段階を通らなければならない。しかし、適応度の高い四足歩行から、適応度の低い中腰のヨタヨタ歩きが、自然淘汰によって進化するとは思えない。
 ところが、木の上で二足歩行が進化したのなら、この問題は解決される。体が大きくなった人類の祖先が、枝先の果実を食べようとしている。四足歩行で1本の枝の上を歩いて、果実に近づいた場合は、枝が折れて地上に落ちてしまうかもしれない。しかし、中腰歩行で両手両足を使って複数の枝に摑まっていれば、果実に近づいても枝は折れずに、めでたく果実を食べられるかもしれないのだ。
 木から落ちなければ、果実も食べられるし怪我もしない。だから、木から落ちる回数が少ないほうが、適応度が高くなるはずだ。したがって、四足歩行より中腰歩行のほうが、適応度が高くなる可能性が高い。そうであれば、自然淘汰によって、四足歩行から中腰歩行への進化が起きる。
 四足歩行から直立二足歩行に進化するには、中腰歩行の段階を通らなければならない。しかし地上では、四足歩行より中腰歩行のほうが適応度が低いので、直立二足歩行は進化しない。一方、樹上では、(体重が重ければ)四足歩行より中腰歩行のほうが適応度が高いので、直立二足歩行が進化する可能性があるのだ。

 歴史の教科書には、人類の進化のイラストが載っていた。

こんなやつ

 こういう絵を見ると最初から二足で歩いていたようにおもってしまうが、左のやつなんかはほとんど直立二足歩行をしていなかったんだろう。ほとんど樹の上にいて。

 たしかに樹の上にいるのであれば、四足歩行よりも二足歩行の方が圧倒的にいい。チーターやトラも樹の上にいるけど、落ちそうで不安になるもん。二足で立って一本の手で離れた場所にある枝をつかめば安定するし、残った一本の手を自由に使える。

 進化のイラストの左端は、枝につかまってる絵にすべきかもしれないね。


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