自分ごとの政治学
中島 岳志
入門書ということでたいへん短く、The ベスト of 中島岳志、という内容だった。今まで何冊か氏の著書を読んだことのあるぼくにとっては、第3章のガンディーの話以外はほとんど読んだことがあった。
だったらつまんないかというとそんなこともなく、政治思想の話というのは理解した気になっても日常の瑣末事に紛れてついつい忘れてしまう。だからこうやってときどき呼び起こすことが必要なのだ。
イギリスの政治家だったエドマンド・バークの話。
若い頃はぼくも、「今の制度は誤りだらけだ! どんどん変革していったほうがいい!」とおもっていたんだよね。
じっさい、社会って矛盾だらけだもん。変えたくなる。
でも、三十数年も生きていると「悪かったものを変えて、もっと悪くなった例」をいくつも目にすることになる。やれ規制緩和だ、民営化だ、政治改革だ、自由化だ、グローバル化だ、構造改革だ、維新だ、改革だ、と旗を振って変えたはいいけど、利権を握っていた旧勢力が追い払われてまた別のやつが利権を手中に収めただけだったりする。おまけにもっと巧妙になっていたりする。
長く使われているものにはそれなりの良さがあるんあよね。もちろん悪いところもいっぱいあるけど、関係各所の綱引きの結果として成立した制度なので、「誰にとってもそこそこ良くて誰にとってもそこそこ悪いシステム」だったりする。それを一気に変えると、「誰かにとってはそこそこ良くて誰かにとってはものすごく悪いシステム」になることが多い。
年金制度も年功序列制度も医局も政治制度も官僚も地方公務員も教育委員会もPTAも部活も生活保護制度も悪いところはいっぱいある。でも「じゃあ明日からなくします」と言われたらものすごく困る。だからちょっとずつ直していかなくちゃならない。
この「ちょっとずつ直す」をめんどくさがる人が多いんだよね。めんどくせえから一回全部更地にして建てなおしましょう!って人が少なからずいる。こういうやつが、壊した後によりいいものを作った試しがない。ノアの方舟のときの神かよ。
中島岳志氏の 『100分 de 名著 オルテガ 大衆の反逆』にもあったが、〝死者との対話〟という思考はすごく腑に落ちる。
こういう話って、ぼくが若いときに読んでもぴんとこなかったんじゃないかとおもう。何言ってるんだ、今生きてる人が大事なんだよ、とっくに死んだ人のことなんて考えなくていいんだよ、なんて言って。
でも今ならすっと心に入ってくる。自分が〝死者〟の側に近づいたからかもしれない。
ぼくは子どもを作り、生物としての役目はほとんど終えたとおもっている。あとぼくに残された仕事は「子どもを育てる」と「残った人にとって有用な死者になる」だ。ぼくが死んだ後に、残された人が「そういやあいつがあんなこと言ってたな」とちょっとでも思い出してもらえるように生きることだ。
そして、有用な死者になるためには自分自身が死者の声を聴かなくてはいけない。
死者の声に耳を傾けていたら、ちょっとでも戦争に近づくような法案とか、数十年その土地に人が住めなくなるような発電所なんて作る気になれないだろう。
政治家の仕事なんて、ほとんど「いい死者になる」がすべてといってもいい。数十年後に「かつていた〇〇という政治家のおかげで今の××がある」と言ってもらえるような仕事をしてほしい。
なかなかニュースでは報じられないけど、ぼくはもっと政治家にビジョンを語ってほしいんだよね。足元の政策だけじゃなくてさ。
「〇〇のおかげで今の××がある」と言ってもらえるような政治家が今どれぐらいいるだろうね。「〇〇のせいで××になっちまった」と言われるような政治家はいっぱいいるけど。
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