2021年10月5日火曜日

【読書感想文】上西 充子『政治と報道 ~報道不信の根源~』

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政治と報道

報道不信の根源

上西 充子

内容(e-honより)
安倍晋三前首相の「訂正してない訂正会見」。加藤勝信内閣官房長官の「狡猾にはぐらかすご飯論法」。菅義偉首相の「全く答えにならない答弁」…なんで政治報道は突っ込まないのか??不誠実な政府答弁とその報じ方への「違和感」を「ご飯論法」を喝破した著者が徹底検証。

「ご飯論法」の名付け親である研究者による著書。
 この本の中でもさんざん誇らしげに「ご飯論法」名づけ自慢をしている。

 が、ぼくは「ご飯論法」という言葉、好きじゃない。というか大嫌いだ。

 だってわかりにくい上につまんないんだもん。

 わかりにくい答弁を例えたのだからわかりにくくて当然なのかもしれないが、それにしたってキャッチーさがない。ぜんぜん伝わらないしユーモアセンスもない。

「ご飯は食べたか」という質問をされて、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(白米)は食べていない」と答えるようなもの。
というのがご飯論法の説明だが、うん、わかりにくいね。


 だいたいさ、政治家や官僚の逃げの答弁を「ご飯論法」と呼ぶのって、労働基準法違反を「サービス残業」と呼ぶようなものでしょ。問題を卑小化してるだけなんじゃない?

 政治家が国会でまともに答弁しないのって民主主義の根底を揺るがすぐらい重大な問題なのに、ご飯だのパンだのと言われたら「どっちでもええやん」という気になってしまう。あかんやん。

 ちゃんと「詭弁を弄した」とか「支離滅裂な答弁」とか「論点ずらし」とか「話題をそらした」とか指摘して真っ向から非難すべきでしょ。わけのわからん例えをするんじゃなくて。

『政治と報道』の内容は、「メディアがちゃんとおかしいものはおかしいと言え」って話なんだけど、だったら「ご飯論法」なんて言葉遊びをしてないでちゃんと「支離滅裂な答弁で回答を避けた」って書けよ。




 ま、それはいい。

 問題は、この本もまたつまんないってことだ。
 ○年○月○日の国会で□□大臣が「××」と言った、○年○月○日付の△△新聞が「××」と書いた、みたいな細かい話が延々続く。
 一個二個例示するぐらいならいいんだけど、とにかく多い。

 ウェブ用に書いた記事を集めたものらしい。どうりでつまんないわけだ。

 はっきり言って本に収めるような内容じゃない。
 消費期限が数年持つようなトピックじゃないんだよね。古新聞を読んでいるような気分になった。




 後半は消費期限切れの話が延々続くのでほとんど読みとばしたのだが、前半は悪くなかった。

 たとえば野党が与党政府に異議を唱えた場合、「反発した」「批判した」などと報じられることが多い。
 これは「野党は建設的な意見を出さずに反対ばかり」という印象を与えると著者は書く。

 しかし実際の国会で野党議員がおこなっているのは、「批判」「反論」「異議申し立て」「指摘」「主張」「抵抗」などだ。「そのような説明では説明責任を果たしていない」「そのような違法なことは許されない」「そのような対応は不適切だ」「このような状態で採決を急ぐべきではない」――そのように、理由があって異議申し立てをおこない、説明責任を果たさないまま性急にことを進めようとする政府与党の動きに、対抗しているのだ。 なのにそれを「反発」という言葉で表現してしまうと、まるで理もなく感情的に騒いでいるだけのように見える。それは野党に対して失礼だし、「野党は反対ばかり」「パフォーマンス」「野党はだらしない」といった表層的な見方を強化することに加担してしまう。
 国会報道は与野党の動きを報じるのだというのなら、野党がなぜ反対しているのか、どのような指摘をおこなっているのか、何を批判しているのか、その内容を示すべきではないか。「野党は反発」と言わずに、「野党は『……』と批判した」と書くべきではないのか。なぜ、そうしないのか。

 これはぼくもおかしいとおもう(こともある)。

 たとえば憲法53条に
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」
という規定があるにもかかわらず、野党の要求を無視して与党が国会を開かないことについて。

 これは誰が見ても憲法違反だ。
 なのにニュースでは「臨時国会を開くべきだと野党の○○議員は批判した」といった文章になる。
 どう考えたっておかしい。

 殺人が起きたときに『検察は殺人犯に反発した』と書くのか。

 野党議員の口を借りるのではなく、「自民・公明両党は憲法を守っていないし是正する気もない」と事実を書くべきだろう。

 また政府による不正行為・疑惑があったときに
「政府は問題ないとの見解を明らかにした」
などと書くのもどう考えてもおかしい。第三者のことならそれでいいが、当事者の言い分を「明らかにした」はおかしい。

 やはり殺人容疑で逮捕された容疑者が「殺してもいいじゃん」と言ったら「問題ないとの見解を明らかにした」と記事にするのだろうか。

 書くとしたらせいぜい「容疑を否認している」だろう。


「客観的」「中立」は大事だが、それがいきすぎているようにおもう。
 あかんものはあかん!と書かなあかん。


「『不快な思いをさせたのであれば申し訳ない』『誤解を招いた』と陳謝した」なんて記事もよく見る。あれもおかしい。だってあれは謝ってないもん。「おまえらが悪い」と言ってるだけなんだもん。
 ちゃんと「言い逃れに終始した」と書かなきゃ。


 とまあ、序盤に書いていることはまあまあまっとうなんだけど、この著者は党派性が強すぎるんだよね。野党にめちゃくちゃ甘い。

 野党の失態をあげつらってる場合じゃないだろ、的なことを書いている。いや与野党関係なく悪いものは悪いと言わなあかんやろ。そうしてこそ与党批判が正当性を持つんだろ。

 あと「野党は反対ばかり、みたいな印象操作をする書き方はやめろ」と書いておきながら、この本の中でも「大臣はあざ笑うような笑い方をした」とか書いてるし。いやそれこそおまえの主観による印象操作やろがい。




 新聞などの報道は「政治の中身」ではなく「政局」について報じられることが多い。

 しかし本来であれば、政治報道は政局を報じる以外に、今、国会では何が問題となっているのかも、わかりやすく報じるべきなのだ。例えば働き方改革関連法案について、なぜそれが与野党の対決法案になっているのか、野党は何に反対しており、政府与党はどう答えているのか、論点に即したわかりやすい報道がもっと必要だった。
 そういう報道があれば、危ない法案が成立しそうになったときに、世論の力で止めることができる。論点に即した報道がなければ、市民が問題点に気づかないまま法案が成立してしまい、後から問題点を知ることになる。それでは遅いのだ。なのに多くの場合、与野党対決法案は、日程闘争や採決の場面での混乱ばかりがクローズアップされる。政局にならなければ大きく報道しないというのであれば、報道がみずから権力を監視し、警鐘を鳴らすという役割を果たせない。

 政治ニュースを見ていると、まるで将棋の対局記事を読んでいるような気になる。

 逃げ切り、詰め手を欠く、迫った、決定打を欠いた、攻撃、善戦、対決姿勢……。

 いやいや。そもそも全国会議員って個人でしょ。政党や党派に属していても、最終的には個人個人が議員なわけじゃん。
 プロ野球選手は「ジャイアンツの長嶋」だからいついかなるときでもチームのために行動しなきゃいけない。ジャイアンツをやめてフリーのプロ野球選手でやっていくわけにいかないし。
 でも国会議員はそうじゃない。所属する政党の方針に背いてもいいし、党を抜けたって国会議員を続けられる。

 だから党単位で語ること自体がそもそもおかしいんだよね。


 政治の中身ではなく政局の話ばかりになるのは、政治記者がわかってないからなんだろうな。

 だって政策のことをちゃんと書くのはたいへんだもん。

 プラスチックごみ袋を有料化したことで、本当にプラごみが減ったのか、それとも個包装が増えてかえって増えたのか、減ったとしたら環境にどれだけの影響が見込めるのか、代わりに増えたものがないか。
 そういうことを調べるのはすごく面倒だ。

 でも「野党は反発した」なら、寝そべってテレビで国会中継を観ているだけでも書ける。

 小学生にだって「ああこの人はあの人の発言に納得してないんだな」ってわかる。何が問題なのか、どういう歴史背景があるのかはわからなくても、「野党は反発」はわかる。


「将棋のルールを知らないのに将棋担当になってしまった記者」みたいなものだ。

 どういう戦術をとっているのかとか、今の手にどんな意味があるのかとか、序盤の手が終盤にどう効いてくるのかとか、棋士同士にどんな因縁があるのかとかは書けない。ルールも戦術も歴史も知らないから。

 でも棋士が首をかしげたとか、お昼ごはんに何を注文したとか、悔しそうな顔を浮かべたとかは素人でも書ける。目の前の光景さえ見ていればわかるから。


 だから政局の話ばかり書くんだろうね。嘘じゃないし。はい、いっちょあがり!




 報道はしっかりせい、というのもわかる。

 でもぼくは報道機関にそもそも期待をしていない。
 もし自分が報道機関にいたら、と考えればわかる。

 苦労して地味な記事を書くより、国会中継を見て「与野党の対決」系の記事を書くほうがずっと楽でずっと話題になるんならそっちを選ぶ。
 自分が怠惰な人間なのに、記者だけは社会正義のために身を粉にして働けという気はない。

 だから新聞ちゃんとせいとか記者はがんばれとかいう気はない。そんな権利ないし。
 ぼくにあるのは「新聞を読まない」権利だけ。だから購読していない。購読していないからえらそうなことは言わない(NHKに関しては受信料を払っているスポンサー様なので文句を言いたいが)。

 ただまあ報道は社会の木鐸だ、みたいなウソはやめてねとおもうだけだ。営利目的の私企業なんだから、社会正義を司る特権階級みたいな顔すんなよとおもうだけだ。新聞社は軽減税率を呑むなよ、とおもうだけだ。

 週刊文春が喝采を浴びるのは、社会の木鐸とかジャーナリズムとか言わないからなんだよね。軽減税率適用外だからなんだよね。


 ぼくは、政治が悪いのは報道のせいとはおもわない。しょせん私企業が営利目的でやっている報道にそんな力はない。

 問題があるとしたら、司法だとおもっている。上の顔色をうかがって仕事をしない司法機関だけは許せない。社会のゴミクズだとおもっているよ。
 マスコミなんかどうでもいいからみんなもっと腐った司法を非難しよう。


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