コロナ禍とやらも一年を超え、もはやこっちのほうが日常となってきた。
コロナ前ってどんな生活してたんですっけ。コロナ前でもマスクはしてましたよね。え、うそ、マスクせずに出歩いてたの? 不潔―! 野蛮ー! マスクしてなかったってことはあれですか、やっぱり生肉そのままいってたってことですかね。なんでそうなるんですか。
そんなこんなで慣れたとはいえ感染症対策ってストレスフル。
なにがストレスかって、やらかした当人以外が被害を受けることよね。
たとえばさ、年に二回ぐらい目にする「高速道路を時速200km以上ですっとばした車が大破」みたいなニュースあるじゃない。パンダの赤ちゃん誕生と同じぐらい心温まるほのぼのニュース。
あれってさ「巻き添え食らった人はかわいそうだな」とはおもうものの、事故を起こした当人には一ミリも同情しないじゃない。むしろ「ちょっとだけいい世の中になってよかったな」とおもうだけ。
「十五歳が無免許で車を運転して事故」とか「一気飲みで救急車搬送」とかも「親御さんはかわいそうにな。子どもがバカで」「こんなことで出動させられる救急隊員や医療関係者は気の毒に」とかはおもうけど、当人には一マイクロシーベルトも同情しない。部外者からするとハッピーな出来事だ。
なぜなら、バカがバカなことをやってバカがひどい目に遭うから。
お菓子とコーラばかり口にしているデブが糖尿病になるのも、喫煙者が肺がんになるのも、いちばん苦しむのは当人だ。医療費がかさむとか副流煙の悪影響も多少はあるけど、基本的には自業自得だ。バカがいるから人生は楽しい。
ところが伝染病はそうじゃない。
会食したり、酒を飲んだり、バーベキューをしたり、マスクをつけなかったり、通気性ばつぐんのマスクでマスクをつけた気になったり、マスクから鼻を出したり、しゃべるときだけマスクをはずすという謎の行動をとったりする連中が感染して苦しむ分にはいっこうに気にならない(医療リソースを逼迫するという問題はいったん置いておく)けど、問題はバカによるバカのためのバカな行動のために赤の他人までもが同じ苦しみを味わうこと。
だから分断が生まれる。他人のバカな行動を許せない。
他人が糖尿病になろうが肺がんになろうが事故で死のうが平気だけど、病気をうつされるのは困る。他者の行動が気になって仕方ない。
「伝染病をうつされたくない」という気持ちはすごく強い。たぶん自分が意識するよりもっと。
歴史上、多くの人間が伝染病でばったばったと死んできた。結果、伝染病に対する警戒心の強いものだけが生き残ってきた。だから人間の遺伝子の中には伝染病に対するおそれが強く残っている。
外国人に冷たく当たる人が多いのは伝染病対策だと聞いたことがある。
よそからやってきた人は新しい伝染病を持ちこむ可能性が高い。だからよそ者は排除される。
見た目が醜い人が嫌われるのも同じだそうだ。
ある種の病気は見た目を悪くする。皮膚がただれたり、顔が変形したりする。
だから見た目が悪い → 病気を持っている可能性が高い → 感染のリスクを避けるため見た目が悪い人を避ける ということらしい。あくまで一説だけど。
病気を持っている人は怖い。この気持ちは生まれる前から持っているものだからすごく強い。
だけど医学が進歩したから人々は伝染病をそんなに恐れなくなった。毎年多くの人の命を奪っていたインフルエンザでさえほとんど気にしなかった。
新型コロナウイルスの流行は「病気を持っている人は怖い」という人類があたりまえに持っている本能を久しぶりにおもいださせたのだ。
人類は気づいたのだ。バカは脅威だ、と。
バカは怖い。
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