2021年10月27日水曜日

【読書感想文】西村 賢太『小銭をかぞえる』

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 小銭をかぞえる

西村 賢太

内容(e-honより)
女にもてない「私」がようやくめぐりあい、相思相愛になった女。しかし、「私」の生来の暴言、暴力によって、女との同棲生活は緊張をはらんだものになっていく。金をめぐる女との掛け合いが絶妙な表題作に、女が溺愛するぬいぐるみが悲惨な結末をむかえる「焼却炉行き赤ん坊」を併録。新しい私小説の誕生。

 どこまでが実体験でどこまでが創作なんだかわからないところが魅力的な私小説。

 西村賢太氏の書く小説の主人公はほぼ同じ。幼少期に父親が性犯罪で逮捕され、自身も定職につかず、女のヒモのような生活をし、藤澤清造(戦前の劇作家)に入れこんで古書を買い集め、自堕落でありながら他人に対しても厳しい目を向ける男だ。つまりクズ。

 どの作品の主人公もほぼ同じなので、著者本人の姿がかなり濃厚に投影されているのだろう。私小説に対して「どこまでが事実かフィクションか」なんて話をするのは野暮だが、まあ九割方実体験なんじゃないかとぼくは睨んでいる。そうおもわせるだけの筆力がこの人の小説にはある。




『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の二編が収録されている。

『焼却炉行き赤ん坊』はヒモ男が同棲している女と喧嘩してひどい仕打ちをする話であり、『小銭をかぞえる』のほうはヒモ男が同棲している女と喧嘩してひどい仕打ちをする話だ。
 そう、どちらも内容はほぼ同じである。

 主人公のクズっぷりもいっしょだ。仕事をせず、趣味や酒や風俗に金を遣い、借金をくりかえし、返済の期日は守らず、同棲相手の父親にまで金を借り、断られると逆恨みする。
 すがすがしいほどのクズだ。

 自らに酔うように、昂然と続けてきたが、私はこの、完全にこちらを小馬鹿にしているに違いない、まるで図に乗り放題の言いようがたまらなく癇にさわると、もはや我慢のならぬものが腹の底から噴き上げてきてしまった。
「だからお前を、ちったあ見習えってのか。馬鹿野郎、てめえの説教なんざ、聞いてやる義理はねえよ。たかが郵便屋風情が何をえらそうにえばってやがんだ。マイホームを買ったからって、のぼせ上がるんじゃねえよ……何んならこの場でよ、てめえの同僚が見ている前で泣かしてやってもいいんだぞ」

 これは、かつての知り合いに嘘の理由をでっちあげて借金を頼みに行き、「一万円しかもらえなかったこと」に腹を立てた主人公が吐く捨て台詞だ。

 一万円もらっておいてこの言いぐさ。おそろしいほど身勝手だ。


 幸いにしてぼくは、友人にまとまった金を借りたことはないし、貸してくれと頼まれたこともない。せいぜい数千円立て替えたぐらいで、それもすぐに返してもらっている。

 しかし金の貸し借りをした人の話を聞くと「友人間で金の貸し借りをしてはいけない」と強くおもう。

 借金をくりかえす人の思考回路って「貸してくれた。ありがたい」なんておもわないんだろうね。借りたときはおもうのかもしれないけど、それは一瞬だけ。
 あとは「あいつは会うたびに返せと言ってきやがる。ケチなやつだ」「追加で貸してくれなかった。なんで意地汚いやつだ」になってしまうんだろう。




 西村賢太作品の主人公はどうしようもないクズなんだけど、心底憎むことができない。

 なぜなら、彼らが持つ身勝手さや傲慢さは、ぼくの内にもあるものだから。
 己の内にあるエゴイズムを拡大して突きつけてくる。それが西村賢太作品。


『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の主人公はどうしようもない男なんだけど、邪悪ではない。
 単なる〝幼児〟なんだよね。

 うちにもふたり子どもがいるけど、子どもというのはつくづく自分勝手な生き物だ。世界は自分を中心にまわっていると心の底から信じている。わがままを通せば最後は周りが折れてくれるとおもっている。周囲の人間が自分の機嫌を取ってくれないのは悪だとおもいこんでいる。

『焼却炉行き赤ん坊』『小銭をかぞえる』の主人公は、まるっきり幼児だ。幼児がそのまま大きくなったおじさん。

 とことんダメな人なんだけど、でもちょっとだけかわいいんだよね。幼児だから。

 だから金を貸してくれる女がいるんだろうな。母性本能をくすぐるのかしら。


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