普通人名語録
永 六輔
『無名人名語録』に続く「市井の人々がふと漏らした発言」を集めた本。刊行は今から三十年前の一九九一年。
なんてことない言葉なんだけど、うならされたり笑わされたり。
たとえばこんなの。
何歳になっても「帰るタイミング」ってむずかしいよね。
まあぼくは数年前から「どう見られてもいいや」とおもえるようになったのでスッと帰れるようになったけど、それまでは帰りそびれて後悔したものだ。そんなにおもしろいわけじゃないんだけどな、とおもいながら周囲に流されて二次会三次会に行き、やっぱりおもしろくなくて「早く帰りたいな」とおもいながら時間が過ぎるのを待つ。
でも子どもが生まれたことで、帰る口実を作りやすくなった。
「子どもが待ってるので」「妻に怒られるので」と言えば、そこまで引き止められない。
これは今の時代だからで、昭和の時代だったら「男が家庭なんか気にするな」なんて言われていたかもしれない。
いい時代になったなあ。
ぼくもこの前、似た経験をした。
路上で、若い女性がスーツのおじさんの尻を蹴っているのを見た。
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) June 17, 2021
女性は「シネジジイ!」と叫び、おじさんも悪態をつきながら立ち去った。
何があったんだろう?
ぼくの想像では「すれ違いざまにおじさんが女性に痴漢をした」。
しかしぼくが見たのは「女性がおじさんの尻を蹴る瞬間」だけなので、そこだけ見たら女性による暴行事件だ。
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) June 17, 2021
事情がわからないので呆然と見ることしかできなかった。
もしかすると、ドMのおじさんが「私の尻を蹴飛ばして口汚く罵ってください」と女性にお願いしたのかもしれない。
街中で口論や喧嘩を目にすることがたまにあるんだけど、ほとんどの場合一部始終はわからない。
注意 → 反論 → 再反論 → 再々反論 → 激昂してでかい声を出す
のあたりで周囲の人は「なんか揉めてるな」と気づくから、いきさつがさっぱりわからない。
止めたほうがいいのか、止めないほうがいいのかもわからない。たとえば痴漢を現行犯で捕まえたのだったら止めないほうがいいし、刃物を持って暴れてる人がいるんなら止めに入るより逃げたほうがいい。
都会の無関心とか現代人は冷たくなったなんて言われるけど、たいていの場合は事情がわからなくてどうしようもないんだよね。
なるほどなあ。そうかもしれない。
長続きするニュース番組の司会者って、自分の意見を出さない(もしくは何も考えてない)ように見えることが多い。
政治家の不正や有名人の不倫にすぐ怒ってすぐ忘れるような人ばかりだ。
みんなが右に行けば右に走り、世間が左に向かえば自分も左に移動する。思想も信条も洞察もない。わたぼこりのように風に流されて漂うだけ。
それがうまくいく秘訣なんだろうね。
中でもいちばんおもしろいのは、公共の電波や紙面に乗せることは決してできない、偏見まみれの本音の言葉。
いいなあ。
こんなこと、Twitterでもなかなか言えないもんなあ。匿名掲示板に書いたことが原因で逮捕されることもある世の中だもんな。
貴重な歴史的史料だ。
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