二度はゆけぬ町の地図
西村 賢太
この人の本ははじめて読んだ。気になってはいたんだけどね。芥川賞受賞式での「風俗」発言とか、テレビに出ても少しも賢く見えるようにとりつくろわないところとか。
小説ではあるがほぼ実話だそうだ。
主人公の「北町寛多」はその字面からして明らかに「西村賢太」だ。
すごくおもしろかった。
身内の恥を切り売りするのが小説家の商売だとどこかで読んだことがあるが、それにしてもよくぞここまで己の醜いところをさらけだせるものだと感心する。
たとえば『潰走』における、家賃を払わない寛多と大家である老人のやりとり。
自分が家賃をためこんだくせに、家賃を催促する大家を逆恨みして殺意を抱く。ひでえ。ラスコリーニコフかよ。
この北町寛多、クズすぎて同情できるところが少しもない。
家賃を滞納したのも稼ぎを風俗や酒に使ったせいだし、大家に対してもその場しのぎの言い訳ばかり並べている。誰が見ても10対0で寛多が悪い。
にもかかわらず、その後も家賃を督促する大家のことを「悲しい生きもの」だの「余りの非常識」だの「嘗めきった態度」だの「乞食ジジイ」だの、さんざんにこけおろしている。クズ中のクズだ。
しかし。
見ないようにしているだけでぼくの中にも北町寛多は存在する。
周囲の人間を全員自分より下に見て、己の怠惰さが招いた苦境を他人のせいにして不運と嘆く人格は、たしかにぼくの中に生きている。己の不幸は他人のせい、他人の不幸はそいつのせい。己の欲望や怠惰になんのかんのと理由をつけて正当化。
この本を読んでいると、見たくもない鏡をつきつけられているようでなかなかつらい。おまえは寛多を嗤えるのかい、と。
ぼくは今でも身勝手な人間だが、特に二十歳くらいのときはもっとひどかった。
自分以外はみんなバカだとおもってた。それを公言してはいなかったが、きっと言動からはにじみ出ていただろう。
傲岸不遜、けれども他者に対しては潔癖さを求める。
北町寛多はまさしく過去のぼくの姿だ(もしかしたら今の姿かもしれない)。
全篇味わい深かったが、特に『春は青いバスに乗って』はよかった。
ずいぶんメルヘンチックなタイトルだとおもって読んでみると、著者(じゃなかった北町寛多)が警官をぶんなぐって警察のお世話になったときの話だった。
つまり青いバスとは、あの金網のついた警察の護送車のことなのだ。そういや青いな。
幸いにしてぼくはまだ留置所に入ったことはないが、留置所の環境が「ある意味天国」というのは容易に想像がつく。
なにしろ決断しなくていいのだから。決断しなくていいことほど楽なことはない。
決められた時間に決まったことだけやって、先のことは何も考えずに生きていく。これぞ天国の生活だ。だってそうでしょ? 天国の住人たちが「これから先どうやって生きていこう」「ずっとこんな生活を続けていていいんだろうか」って思い悩む?
学校生活というのも、留置所の生活に近いとおもう。
言われたことだけやっていればいい。いくつかのルールがあってそれさえ守っていればそこそこ快適な生活が保障される。ただしルールを逸脱した場合は厳しい罰が課せられるが、決断をしたくない人間にとってはいたって気楽なものだ。
ぼくは学校生活を楽しいとおもっていた人間なので、留置所や刑務所に入ってもそこそこうまく適応できるだろうという気がする。
もっと今のところは入る気ないけど。
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