2019年7月8日月曜日

【読書感想文】己の中に潜むクズ人間 / 西村 賢太『二度はゆけぬ町の地図』

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二度はゆけぬ町の地図

西村 賢太 

内容(e-honより)
中卒で家を出て以来、住み処を転々とし、日当仕事で糊口を凌いでいた17歳の北町貫多に一条の光が射した。夢想の日々と決別し、正式に女性とつきあうことになったのだ。人並みの男女交際をなし得るため、労働意欲に火のついた貫多は、月払いの酒屋の仕事に就く。だが、やがて貫多は店主の好意に反し前借り、遅刻、無断欠勤におよび…。夢想と買淫、逆恨みと後悔の青春の日々を描く私小説集。

この人の本ははじめて読んだ。気になってはいたんだけどね。芥川賞受賞式での「風俗」発言とか、テレビに出ても少しも賢く見えるようにとりつくろわないところとか。

小説ではあるがほぼ実話だそうだ。
主人公の「北町寛多」はその字面からして明らかに「西村賢太」だ。
すごくおもしろかった。
身内の恥を切り売りするのが小説家の商売だとどこかで読んだことがあるが、それにしてもよくぞここまで己の醜いところをさらけだせるものだと感心する。

たとえば『潰走』における、家賃を払わない寛多と大家である老人のやりとり。
「とにかく、六千円あるならば、まずはそれを内金として払って下さい。こっちはあんたにあの部屋を、無代提供してるわけじゃないんですよ」
 もはや貫多も、これ以上この老人からの必要以上の恥辱に晒されるのには耐えられず、目に涙をためながら、仕方なく有り金をそっくり差し出した。
 するとそれを取り上げた老家主は、さらに残金はいつ入れるのかと、手をゆるめることなく追及してくる。そしてこれも、一週間後に、と答えたのを強引に三日後までとされてしまい、尚かつそれについては念書まで提出することを約させられることとなった。
 貫多が吐きたい気持ちを抑え、持ち主憎さで、もはやけったくそ悪いだけのかのアパートの自室に戻ったときは、毛布と僅かな衣類が転がっているきりの四畳半には、すでに暗闇の匂いが広がっていた。
 電気をつけてポケットに残ったジャラ銭をかぞえ終わると、ふいとあの老家主に対して殺意が湧いてきた。そしてその思いはすぐと我が身に返り、中学時分にだって、したことはあれ、決してされたことはなかったあのカツアゲを、あんな老人からやってのけられ不様に震えてた自分を、実際蹴殺してやりたい衝動に駆られてきた。
自分が家賃をためこんだくせに、家賃を催促する大家を逆恨みして殺意を抱く。ひでえ。ラスコリーニコフかよ。

この北町寛多、クズすぎて同情できるところが少しもない。
家賃を滞納したのも稼ぎを風俗や酒に使ったせいだし、大家に対してもその場しのぎの言い訳ばかり並べている。誰が見ても10対0で寛多が悪い。
にもかかわらず、その後も家賃を督促する大家のことを「悲しい生きもの」だの「余りの非常識」だの「嘗めきった態度」だの「乞食ジジイ」だの、さんざんにこけおろしている。クズ中のクズだ。

しかし。
見ないようにしているだけでぼくの中にも北町寛多は存在する。
周囲の人間を全員自分より下に見て、己の怠惰さが招いた苦境を他人のせいにして不運と嘆く人格は、たしかにぼくの中に生きている。己の不幸は他人のせい、他人の不幸はそいつのせい。己の欲望や怠惰になんのかんのと理由をつけて正当化。

この本を読んでいると、見たくもない鏡をつきつけられているようでなかなかつらい。おまえは寛多を嗤えるのかい、と。

ぼくは今でも身勝手な人間だが、特に二十歳くらいのときはもっとひどかった。
自分以外はみんなバカだとおもってた。それを公言してはいなかったが、きっと言動からはにじみ出ていただろう。

傲岸不遜、けれども他者に対しては潔癖さを求める。
北町寛多はまさしく過去のぼくの姿だ(もしかしたら今の姿かもしれない)。



全篇味わい深かったが、特に『春は青いバスに乗って』はよかった。

ずいぶんメルヘンチックなタイトルだとおもって読んでみると、著者(じゃなかった北町寛多)が警官をぶんなぐって警察のお世話になったときの話だった。

つまり青いバスとは、あの金網のついた警察の護送車のことなのだ。そういや青いな。
――ところで慣れと云うのは恐ろしいもので、当初一秒でも早くここから出たかった私も、それから三日も経てると、これでもう少し煙草が吸え、たまに面会人でも来てくれれば、それ程留置場と云うのも悪くない気分になっていた。留置場と云うより少し規則の厳しい寮にいるような錯覚が起きるときもあり、横になってひたすら雑誌に目を落としているときなぞ、ふいに自分が入院生活でも送ってるかの思いがした。現に健康面でも、毎日飲酒していた私がここに来て一週間足らず、その間、当然ながら一滴の摂取もないだけでえらく体にキレがあり、頭も妙に爽快である。かようなブロイラーじみた日々は、本来ならぶくぶくと太りそうなものだが、後日ここを出た直後に体重を測ったら、逆に八キロ近く落ちていた。
 こうなると留置場も、どうも私にとってはある意味天国で、その環境は少なくとも自己を見つめ直したり、罪を隠い改めるような余地なぞ全く生まれぬ場所であるようだった。ただ、ここに入るには家族親類、友人がいなければ絶対に不利である。面会や差入れのない惨めさや不便さが解消され、それに性絵面で、せめて便所の謎の両側にもう少し目隠しがあれば(そう云えばここへ入って一週間、少なからぬ心労でついぞその気にもならなかったが、下腹部の疼きはそろそろ臨界に近い雰囲気もあった。それであえて借りる本に成人雑誌は選ばないようにしたが、ここに二箇月近く収容されながらそれをすすんで手にし、平然と眺めている広岡たちは、この点をどう解消しているのだろうか)、ここは一種の保養所みたいなものだし、これなら何度入ってもいいとさえ思えてくる。
幸いにしてぼくはまだ留置所に入ったことはないが、留置所の環境が「ある意味天国」というのは容易に想像がつく。

なにしろ決断しなくていいのだから。決断しなくていいことほど楽なことはない。
決められた時間に決まったことだけやって、先のことは何も考えずに生きていく。これぞ天国の生活だ。だってそうでしょ? 天国の住人たちが「これから先どうやって生きていこう」「ずっとこんな生活を続けていていいんだろうか」って思い悩む?

学校生活というのも、留置所の生活に近いとおもう。
言われたことだけやっていればいい。いくつかのルールがあってそれさえ守っていればそこそこ快適な生活が保障される。ただしルールを逸脱した場合は厳しい罰が課せられるが、決断をしたくない人間にとってはいたって気楽なものだ。

ぼくは学校生活を楽しいとおもっていた人間なので、留置所や刑務所に入ってもそこそこうまく適応できるだろうという気がする。
もっと今のところは入る気ないけど。

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