2020年3月18日水曜日

【読書感想文】地獄の就活小説 / 朝井 リョウ『何者』

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何者

朝井 リョウ

内容(e-honより)
就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから―。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて…。直木賞受賞作。

もしも過去に戻れるとして、いちばん戻りたいのはいつ頃だろう。高校生のときがいちばん楽しかったし、でも何も考えていない小学生の頃も幸せだったし、結局うまくいかなかったあの子とのデートの日に戻って……。なかなか決められない。

でも「ぜったいに戻りたくない時期」は即決できる。
就活をしていた時期だ。

あの頃はほんとにつらかった。
こないだ、昔友人たちと会話をしていたBBS(ネット掲示板)を久しぶりに見てみた。そこには就活中のぼくがいた。ほんとうにイヤなやつだった。周囲全員を見下し、自分だけが特別な人間であるかのようにふるまい、攻撃的な言葉を隠すつもりもなくまきちらしていた。うげえ。とても見ていられなくなってBBSを閉じた。
「こんなやつとよく友だち付き合いをしてくれていたな」と友人たちに感謝をした(ほとんどは今でもときどき会う友人だ)。

ぼくは、高校までは友だちも多くて勉強もできて「おまえはおもしろいやつだな」とか「個性的だね」とか言われて(「個性的」は必ずしも褒め言葉ではなかったとおもうが)、難関と言われる大学にストレートで入って、ほんとに調子こいていた。
自分は周囲の人間とはまったく違う、いずれ世に広く名前を知られる存在だと本気で思い込んでいた。何も成し遂げていないのに。

で、そのぼくの出鼻がこっぴどくくじかれたのが就活だった。
就活をすると、ぼくは何者でもなかった。履いて捨てるほどいる学生の中のひとり。誰もぼくを特別扱いしてくれない。
面接でがんがん落とされる。上っ面だけ調子のいいやつが次々に面接を突破しているのに、誰よりも誠実な自分は落とされる。

なんなんだ就活って。仕組みがまちがってるとしかおもえない。
毎日がめちゃくちゃ苦しかった。
だからまったく聞いたこともないような会社の社長から「君こそうちにくるべきすばらしい人材だ!」みたいなことを熱く語られて、すぐに飛びついた。社長の言葉に共感したから、というのを自分への言い訳にしていたがほんとは一日でも早く就活を終わらせたかっただけだった。

今にしておもうと、肥大化しきった自尊心を叩き潰してくれたという意味で就活はいい経験だったといえるかもしれない。
でもそれは十年以上たった今だから言えることで、やっぱり当時は毎日つらかったんだよ。



『何者』は読んでいてつらかった。
この小説には、周囲をうっすらと見下している人物が出てくる。
自尊心のかたまりみたいな人間で、何もしていないくせに自分だけは他と違うとおもいこんでいて、自分だけが繊細で物事を深く考えている人間だと思っていて、真正面から就職活動に取り組む同級生を見下し、かといって就職せずに世捨て人になるほどの覚悟もなく傷つかないような鎧をたくさん着込んでから就活に勤しむ。

……まるっきりぼくの姿じゃないか。
二十一歳だったぼくそのものだ。

この登場人物はことあるごとに、社会の矛盾に対して一席ぶつ。それを周囲が感心して聞いている、と当人は思っている。「個性的だね」「いろいろ考えてるんだね」といったお茶を濁す言葉を、額面通りに受け取って。
でもじっさいは、自分が見下している周囲の人間から見下されている。理屈だけこねまわして自分が傷つかないように必死に逃げ回っているのだということを見透かされている。

……まるっきりぼくの姿じゃないか。

たぶん世の中に何万人といるんだろう。
自分だけは他の就活生とは別の考え方で就活をしている、と思っている人間が。

『何者』は、そんなありきたりな人間を容赦なく切り捨てる。
 たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。確かにそれは個々の意志のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分は、幼いころに描いていたような夢を叶えることはきっと難しい。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。
「就活をしない」と同じ重さの「就活をする」決断を想像できないのはなぜなのだろう。決して、個人として何者かになることを諦めたわけではない。スーツの中身までみんな同じなわけではないのだ。
 俺は、自分で、自分のやりたいことをやる。就職はしない。舞台の上で生きる。
 ギンジの言葉が、頭の中で蘇る。就活をしないと決めた人特有の、自分だけが自分の道を選んで生きていますという自負。いま目の前にいる隆良の全身にも、そのようなものが漂っている。

「『企業から採用してもらうために自分を型にはめて偽りの仮面をかぶって就活するなんてダサい』という考えこそがダサい、と。
そうなのだ。
就活をしている人間は何も考えずに就活をしているわけではない。
「自分を偽って面接に臨むことが正解なのか」なんて考えをとっくに通過した結果として面接に臨んでいるのだ。
何も考えていないのは、それをばかにするぼくのほうだったのだ。

読んでいると過去の自分を殺したくなってくる。つらい。



これだけでもぼくにはグサグサと刺さったのに、後半の展開はすごかった。もう息ができないぐらい苦しかった。
「こういうイタいやついるよねー」って半分客観的に読んでいたら、「いやこれまさしくおまえの姿なんだよ!」って小説の内側から指をつきつけられた気分。
観察しているつもりになっていたら、いつのまにか観察される側になっている。

やめてくれえ。
これ以上傷口を広げないでくれえ。痛い痛い痛い痛い。

タイムマシンで過去に戻って就活をやっているぼくの姿を見せつけられているような。いちばん戻りたくない時期なのに。地獄だ。



この小説を貫くキーワードは「就活」と「SNS」だ。
ぼくが学生のときはSNSは誰もやってなかった。卒業ぐらいのタイミングでやっとmixiが広まった。FacebookもInstagramもtwitterもなかった。せいぜいさっきも書いたようなBBSぐらい。

SNSのある時代に学生生活を送らなくてよかった、とおもう。『何者』を読んで余計に。

だってSNSっていやおうなしに「何者でもない自分」を突きつけてくるツールだもん。
すごい人がすごいことを発信している。どうでもいいことをつぶやくだけで何千という「いいね!」をもらう人がいる一方で、自分の渾身のツイートには誰も反応しない。
すごく残酷だよね。

一方で、かんたんに自分をとりつくろうこともできる。だけど無理していることがみんなにばれている。ばれていることにも気づいている。でもやめられない。

ぼくはもう老いて「何者でもない自分」として生きていく覚悟をある程度身にまとったから(完全に捨てられたわけではない)なんとか耐えられるけど、「もうすぐ功成り名遂げるはずの自分」として生きていた学生時代だったらとても耐えられなかった。

でも逆にSNS慣れしてる若い人のほうがそういうくだらない「自己と世間の評価のギャップ」をあっさり乗りこえてたりするのかなあ。それはそれでちょっと寂しい話だなともおもう。
現実を見るのは大事だけど、現実ばかり見なきゃいけないのもつらいよなあ。



就活のときに味わった苦しさをもう一度味わわされた気分だ。
それどころじゃない。
苦しさを何倍にも増幅されて与えられたようだ。

めちゃくちゃひりひりする小説だった。
三十代の今だからなんとか耐えられたけど。
これを二十五歳ぐらいで読んでたら発狂して自傷行為に及んでいたかもしれないな。それぐらいの殺傷能力がぼくに対してはあった。

朝井リョウ氏のデビュー作『桐島、部活やめるってよ』は特に何の感情も揺さぶられなかったので油断してた。ぐわんぐわんと揺さぶられた。

就活が嫌いだったすべての人におすすめしたい。
いやーな気持ちになれること請け合い。

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