失敗の科学
失敗から学習する組織、学習できない組織
マシュー・サイド
おもしろくてためになる。
いい本だ。
どんなビジネスにも役立つ考え方。全人類におすすめしたい。
医療業界では毎年多数の医療事故が起こっている。命にかかわるものも多い。
多くがヒューマンエラーによるもので、毎年ほとんど数は変わらない。
一方、航空業界ではめったに事故が起こらない。
しかも年々飛行機事故は減っている。
飛行機に乗るのは怖いという人は多いが(ぼくもそのひとりだ)、飛行機はもっとも安全な乗り物のひとつだ。
なぜ医療業界では重大なミスが減らず、航空業界は減りつづけるのか。
それは、航空業界には失敗に学ぶ仕組みがあるからだ。
航空業界では墜落などの重大なミスが起こった場合、徹底的に原因が検証される。
コックピットにはブラックボックスと呼ばれる記録装置があり、機器のデータや操縦士たちの会話がすべて記録されている。この装置は衝撃からも熱からも水からも守られ、飛行機が墜落してもまず壊れることはない。
また墜落のような重大な事故だけでなく、軽微な事故、あるいは「あやうく事故が起こりそうになった」といったケースもすべて記録される。
こうした失敗につながるデータはその航空会社だけでなく、ライバル会社も含めた全世界の航空会社に共有される。
一方、航空業界ではめったに事故が起こらない。
しかも年々飛行機事故は減っている。
飛行機に乗るのは怖いという人は多いが(ぼくもそのひとりだ)、飛行機はもっとも安全な乗り物のひとつだ。
なぜ医療業界では重大なミスが減らず、航空業界は減りつづけるのか。
それは、航空業界には失敗に学ぶ仕組みがあるからだ。
航空業界では墜落などの重大なミスが起こった場合、徹底的に原因が検証される。
コックピットにはブラックボックスと呼ばれる記録装置があり、機器のデータや操縦士たちの会話がすべて記録されている。この装置は衝撃からも熱からも水からも守られ、飛行機が墜落してもまず壊れることはない。
また墜落のような重大な事故だけでなく、軽微な事故、あるいは「あやうく事故が起こりそうになった」といったケースもすべて記録される。
こうした失敗につながるデータはその航空会社だけでなく、ライバル会社も含めた全世界の航空会社に共有される。
そしてこれがいちばん大事なことだが、航空業界では事故やミスが起きたからといって、当事者を責めない。
ミスの報告はどんどん推奨される。
ミスを減らす方法は、
・ミスは必ず起こるという前提で制度設計をする
・ミスをした者を責めない
・ミスを報告しやすい環境をつくる
・ミスから学ぶ
つまり徹底的にミスと向き合うこと。これがミスを減らす方法なのだ。
ぼくが前いた会社は逆をやっていた。
つまり徹底的にミスと向き合うこと。これがミスを減らす方法なのだ。
ぼくが前いた会社は逆をやっていた。
「ミスをした人間はみんなの前でこっぴどく怒鳴られる」という文化だった。
ミスでなくても業績が悪くなれば、やはり責められた。
当然ながらこれはミスを減らすことにつながらない。
逆に、ミスを隠そうとするモチベーションがはたらく。
ミスを発見する
→ 罵倒されるのがイヤだから隠そうとする
→ より大きな問題になる
→ 手に負えないぐらいの大事になってからやっと報告される
→ 当然ながらめちゃくちゃ罵倒される
→ それを見ていた他の社員もミスを隠すようになる
という悪循環だった。
という悪循環だった。
だからぼくは今の会社に転職して自分でチームをつくることになったとき、ミスを報告しやすくした。
ミスをした社員を責めない。ミスを隠そうとしたときだけ注意する。
その結果、多少ミスは減った。
大事になる前に食い止められることは増えた。
とはいえまだまだ減らない。
『失敗の科学』には、医療現場を改善した事例として「ミスを報告した人を褒める」という対策が載っている(もちろん明らかにその人物が悪さをした場合はべつだが)。
なるほど。
「ミスを叱らない」だけでは不十分なのだ。
ミスをした社員を責めない。ミスを隠そうとしたときだけ注意する。
その結果、多少ミスは減った。
大事になる前に食い止められることは増えた。
とはいえまだまだ減らない。
『失敗の科学』には、医療現場を改善した事例として「ミスを報告した人を褒める」という対策が載っている(もちろん明らかにその人物が悪さをした場合はべつだが)。
なるほど。
「ミスを叱らない」だけでは不十分なのだ。
たとえ叱られなくても、「ミスをしたやつだ」とおもわれるだけでもイヤなものだ。
だからミスを報告することに対して、褒めるというフィードバックを返してやらなくてはならない。
ミスが減らない最大の原因が、「チームのリーダーであるぼく自身がミスを隠してしまう」だ。
ぼくはチームの中でいちばん上の役職で、経験ももっとも長い。
他のメンバーを管理するポジションにいる。
こういうポジションにいると、ミスを認めて他のメンバーに報告することにより大きな抵抗を感じてしまう。
権威や誇りが失われてしまうのをおそれるあまり、
「これはミスじゃない」と自分に言い聞かせてしまう。
なるべくしてなったんだ。
誰がやっても同じことになっていた。
たしかにぼくの行動によって悪くなったけど、その行動をとらなくても同じかそれ以上に悪くなっていたはずだ。
無視できるぐらい小さな話だ。
そんな言い訳をして(無意識のうちに自己暗示をかけるので気をつけていないと自分でも言い訳をしていることに気づかない)、失敗から目を背ける。
そんな言い訳をして(無意識のうちに自己暗示をかけるので気をつけていないと自分でも言い訳をしていることに気づかない)、失敗から目を背ける。
この性質を自分が持っていることを深く理解しなければ。
意識的に「おまえはミスをする人間だ!」と自分に言い聞かせたほうがいいかもしれない。
「ミスを報告することで罰を受ける」はもちろんイヤだが、罰がなくてもミスを認めるのは嫌なものだ。
世の中には「まちがえない人」がたくさんいる。
少し前に流行った『ドクターX』というドラマで、主人公の決めゼリフが「私、失敗しないので」だったそうだ(ドラマ観てないけど……)。
こういう人は成長しない。
ミスから学ばないから。ミスをしても「これはミスじゃない」と揉み消してしまうから。
「謝ったら死ぬ病」というネットスラングがある。
どれだけ判断ミスや失言をしても
「ご指摘にはあたらない」
「意図が誤って伝わってしまったのなら申し訳ない」
「誤解を招いたのであれば訂正する」
と言い逃れようとする人を指す言葉だ。
もちろん、こういう人も成長しない。
こないだ娘といっしょに観ていたテレビアニメ『ドラえもん』に「メモリーローン」という道具が出てきた(アニメオリジナルの道具)。
自分の思い出を預けると、その価値に見合ったお金を貸してくれるという道具だ。
税金で布マスクを配ったことも正当化したくなる。オリンピック誘致も失敗だったと認めたくない。
「ミスを報告することで罰を受ける」はもちろんイヤだが、罰がなくてもミスを認めるのは嫌なものだ。
「上昇しつつある株は持っておく」
「下降しつつある株は売る」
こんな単純なことだけ守っておけば、よほどの暴落がないかぎりはまずまちがいなくプラスになるだろう。
だがそれができないのが人間なのだ。
「判断を誤った」ことを認めたくないために、下がっている株を持ちつづけ、上がっている株を売ってしまうのだ。
プロの投資家ですらそうなのだから、「まちがえたくない」という気持ちの強さがどれほどのものかがよくわかる。
世の中には「まちがえない人」がたくさんいる。
人気のある政治家やテレビのコメンテーターはたいていそうだ。
たとえば「公務員が多いことがすべての元凶だ。公務員を減らせ!」と声高に叫び、その結果社会が悪くなっても「公務員の努力不足が原因だ! 数を減らしたことは正しかった」とか「減らし方が足りなかったせいだ! もっと減らせ!」とか「公務員を減らしていたからこの程度で済んだのだ! 減らしていなかったらこんなもんじゃ済まなかったのだ!」とか言う 維新 人たちのことだ。
一度でも彼らが「我々が実行したあの政策は失敗だった」と言っているのを聞いたことがあるだろうか。
ない。彼らは失敗しないのだ。
それはつまり、何も学ばないということだ。
少し前に流行った『ドクターX』というドラマで、主人公の決めゼリフが「私、失敗しないので」だったそうだ(ドラマ観てないけど……)。
こういう人は成長しない。
ミスから学ばないから。ミスをしても「これはミスじゃない」と揉み消してしまうから。
「謝ったら死ぬ病」というネットスラングがある。
どれだけ判断ミスや失言をしても
「ご指摘にはあたらない」
「意図が誤って伝わってしまったのなら申し訳ない」
「誤解を招いたのであれば訂正する」
と言い逃れようとする人を指す言葉だ。
もちろん、こういう人も成長しない。
だが。
たいへん残念なことに、政治家やコメンテーターとして人気があるのは、この手の「失敗できない」人たちなのだ。
「私の判断は誤っていました。これから先も誤るとおもいます。それでも、そのときの最善を選択できるよう様々な人の声に耳を傾けていきます」
なんて謙虚な人は人気がない。
「失敗しない人」じゃなくて「失敗を認められる人」がトップに立ってほしいのだが。
こないだ娘といっしょに観ていたテレビアニメ『ドラえもん』に「メモリーローン」という道具が出てきた(アニメオリジナルの道具)。
自分の思い出を預けると、その価値に見合ったお金を貸してくれるという道具だ。
言ってみれば思い出を扱う質屋。
自分にとっての重要度で思い出の売却金額が決まる。価値のある思い出ほど高値で売れるのだ。
のび太の場合だと、野球の試合でホームランを打った思い出や、先生に褒められた思い出が高値で売れる。
ところが、出木杉の思い出を査定したところ、「テストで100点をとった思い出」は価値がほとんどなく、逆に「めずらしくテストで70点をとってしまった思い出」に高値がついていた。
出木杉くんにとっては、失敗した記憶こそ、そこから学ぶことが多く、価値のある思い出なのだ(もちろん出木杉くんはメモリーローンを利用しない)。
えっ、えらいっ……!
そう。出木杉くんのすごいところってこういうところなのだ。
ただ勉強ができるだけじゃなく、決しておごらず、つねに学ぶ姿勢を忘れないところなのだ。
フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』にも、未来の変化を正しく予測できる確率が高いのは「自分の失敗に重きをおき、そこから学ぶタイプ」とあった。
出木杉くんは今賢いだけじゃない。
今後もぐんぐんのびるタイプだ。
逆に、漫画に出てくる安易な天才タイプ(「ば、ばかな……! このオレの計算がまちがっているはずはない!」みたいなこと言うタイプ)はぜんぜん大したことないんだよね。
人間、誰しも己の失敗を認めたくない。
両論を目にすれば中立に寄っていくかとおもいきや、意外にも、元々極端な意見の持ち主は議論をすればするほど元々の信条をより強固にしていくのだ。
Twitter上での議論を見ていても(得るものがないのでなるべく見ないようにしているのだが)、最終的に「おれがまちがってた」となっているのを見たことがない。
極端な人たち同士の議論によって溝が深まりこそすれ、埋まることはほとんどないのだろう。
というか、相手の意見に耳を貸す人はそもそも極端な意見にならないのだろう。
物事が善悪の二元論でかんたんに片付けられないと知っているから。
わかりやすい正解があると信じる人ほど、正解から遠ざかる。
失敗と向き合うのはむずかしい。
この本では、「失敗から学ぶ」と「失敗の可能性を減らす」ための方法が紹介されている。
「事前検死」という手法だ。
これ、いいねえ。
失敗した後に検証しようとするとどうしても誰かを責めたてるような話になっちゃうもんね。
懸念点、問題点が可視化されていいことだらけの手法におもえる。
でも、根性論が好きなトップだと
「やる前から失敗したときのことを考えてどうする! ぜったいに成功させるという強い気持ちが成功につながるんだ!」
みたいな鶴の一声で一蹴されちゃうんだろうな……。
プロジェクト失敗まっしぐらだ……。
0 件のコメント:
コメントを投稿