2020年8月26日水曜日
鈍感なわたくし
十年ぐらい前に自分が書いたブログを読んでいたら
「繊細だなー」
とおもった。
昔のぼくは、些細なことに感情を動かされている。
ちっちゃなことに腹を立て、もの悲しさを感じ、おもしろさを見つけている。
それはつまり、ぼくが昔よりずっと鈍感になったということだ。
思春期のころ、世の中のおっさんおばさんを見て「なんて無神経なんだ」と嫌悪を感じていたが、その無神経なおっさんに自分がなっている。
昔より、心を動かされることが減った。
「まいっか」で済まされることが増えた。
自分としては生きやすくなったのでいいことなんだけど、他人から見たらあつかましいおっさんがひとり増えたのでよくないことなんだろう。
感受性が鈍くなったのは年齢のせいもあるし、子どもと暮らしているせいでもある。
幼児なんてバナナの皮を自分でむきたかったという理由で大声で泣き叫び、お風呂に入りたくなかったのにといって風呂から出た後までずっとめそめそしている。
時間も場所も状況も気にせず怒りくるう。かとおもうと信じられないぐらいあっさりと機嫌を取りもどしてけたけた笑う。
こんなめまぐるしく感情を変える生き物にあわせていちいち心を動かしていたら、たちまち発狂してしまう。
だからだろう。感情のシャッターをすばやく閉じられるようになった。
ああこれはめんどくさいことになりそうだとおもったらすみやかにシャッターを下ろす。
沖縄の人が台風に慣れているように、ぼくも近くを通りすぎる感情の暴風雨に慣れてしまった。
すばやくシャッターを下ろして、なるべく外のことは考えずにぼんやり過ごす。
妻も同じようにシャッターを下ろしているので、子どもが泣き叫んでいる隣で妻と窓の外を眺めながら
「今年は冷夏なんて言ってたけど最初だけだったね」「ふたを開けたらぜんぜん猛暑だよね。毎年だまされてる気がする」
なんてのんきな会話を交わしている。
ああ、こうして世の中のおっさんおばさんは図太く無神経になってゆくんだな。
人が不機嫌そうにしていてもいちいち気に病んだりせずに
「なんか怒ってはるわー。おーこわ」
「眠いんやろかねー。腹立つんやったら寝たらええのに」
とやり過ごせるようになるんだな。
そうやって感覚が鈍磨していること自体に関しても「まあ感覚が鈍ればつらいことも感じにくくなるからええわ」ぐらいにしかおもえない。
十代のぼくが聞いたら、己が鈍感になることにめちゃくちゃ怒るだろうな。
すまんすまん十代のぼくよ、でもまあしゃあないやん、そない怒るんやったらはよ寝たほうがええよ。
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