絶滅できない動物たち
自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ
M・R・オコナー (著), 大下 英津子 (翻訳)
動物が絶滅、と聞くと反射的に「良くない!」と思ってしまう。なんとか食いとめなければ、どんな手を使ってでも保護しなければ、と。
だがこの本の著者は問いかける。「それってほんとに必要なことなの?」
どうして動物を絶滅から守らなくちゃいけないんだろう……。
著者は「生物が絶滅してもいい」と主張しているわけではない。
ただ、絶滅しそうな動物を隔離して保護したり、DNAを保存したりして「絶滅を防ぐ」ことに疑問を呈している。
それって絶滅を防ぐことになるの? それで何かをやった気になるだけじゃないの? それよりもっとやるべきことがあるんじゃないの?
たとえば、動物を絶滅から防ぐために人間の飼育下におくことで、かえって環境に適応できなくなってしまうことを挙げている。
たとえばカイコガは、長い期間人間によって絹を生産するために飼われてきたため、今では自然界で生きていくことができない。
飼育という環境に適応した結果、自分で餌をとったり敵から逃げたりできなくなったためだ。
佐渡トキ保護センターのような保護施設をつくっても、もともと持っていた性質を失った動物を増やすだけだ。
保護センターの中でしか生きられないのであれば、はたして絶滅から救ったといえるのだろうか。
さらに最近では、動物そのものを保護するのではなく、絶滅しそうな動物のDNA情報だけを保存しておく方法もとられている。
だが、動物の行動はDNAだけで決まるのではない。
もしも地球が爆発して人間が絶滅することになったとする。
そこで、とんでもない技術を持った宇宙人が、人間すべてのDNAを保存する。さらに地球そっくりな環境の星をつくりなおし、保存したDNAをもとに人間を復活させたとする。
復活した人間たちは今と同じ生活を送れるか?
当然ながら答えはノーだ。
言語も文化も知識もすべて失われる。遺伝子には組み込まれていないから。
現代の生活はおろか、狩猟や採集すらできない。ほとんどの人間は生きていくことすらできないだろう。
動物だって同じだ。
DNAの冷凍保存では、非言語的コミュニケーションによって種の間に伝えられていることまで残せない。
そうやって復活させた動物は、復活前と同じものとはいえないだろう。
『絶滅できない動物たち』は話があっちこっちにいくので論旨は決して明快ではないのだが、著者の主張は
「絶滅を防ぐことに意味がないとはいわないが、生きていればいいというものではない、DNAを残せばいいというものではない」
ということだとぼくは受け取った。
絶滅寸前の動物の遺伝子を冷凍保存して未来に残すことは、それ自体が悪ではないけれど、そのせいで「今生きている動物の棲息環境を守る」ことがなおざりにされているのではないだろうか。
だが、棲息環境を守るのはDNAを保存することよりもずっとたいへんだ。なぜなら、われわれの暮らしが制限されるから。
ぼくらは「トキ保護センターをつくります」には同意できても、「トキが棲みやすくするため、あなたはこの土地から出ていってください」には同意できない。
「動物を絶滅から防ごう!」に共感できるのは、「自分に関係のないところでどっかの誰かがやるのはいいよ」と思っているからで、自分の暮らしを犠牲にしてまで守りたいとは思っていないのだ。
結局、「絶滅しそうだからなんとかしなきゃ」ってなった時点で、もうどうしようもないんだろうね。
環境は元に戻せないもの。
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