2019年3月6日水曜日

子育ての役割分担

このエントリーをはてなブックマークに追加

ひとりで子育てするのってむずかしいな、と最近特に感じる。

上の娘が五歳になり、もうすっかり一人前に見栄や意地を持っているな、と感じるようになった。
「早く着替えて」と注意されると 「今やろうとしてたのに!」と言いかえす。
「ぬぎっぱなしのパジャマ片付けて。出かけるから靴履いて」と言われると 「いっぺんに言われてもできへんやろ!」と反論する。
「早くお風呂入らないと絵本読む時間なくなっちゃうよ」と言われると 「おかあさんがそんなきつい言い方するからやろ!」と論点をすりかえて怒鳴る。

そこそこ弁も立つようになり、特に母親とぶつかることが多くなった。
(ぼくとあまりぶつからないのは、ぼくの場合、相手が五歳児であってもこてんぱんに言い負かそうとするし、「置いていくよ」と言ったらほんとに置いていくからだ。妻は「置いていくよ」と言いながらも待ってあげるので、娘も「どうせ置いていかれないだろう」とたかをくくって従わない)



妻と娘が喧嘩をしている間、ぼくは基本的に放っておく。感情的になっている人に第三者が何を言っても無駄だからだ。

喧嘩がひと段落すると、ぼくはふてくされて泣いている娘に近づいてゆき、
「ああいう言い方をしているとおかあさんもイヤな気持ちになると思うよ。そういう言い方はやめようね。〇〇って言ってたらお互い気持ちよく過ごせるんじゃない?」
とか
「おかあさんにいっぺんにいろいろ言われてイヤやってんな。でも最初に注意されたときにパジャマを片付けてたら言われなくて済んだやんか。今度からは早めに片付けような。その代わり、おかあさんにもいっぺんにいろいろ言わないようにおとうさんから言っとくわ」
とか言葉をかけて、事態の収束をはかる。刺激しないようになるべく優しい声で。

すると娘も、自分がわがままを言っていたということをわかっているので、泣きながらうなずいて「おかあさんごめんね」と言うことになる。

第三者の仲裁というのはとても大事だ。



これが親子ふたりっきりだとなかなかうまくいかないだろう。

喧嘩の当事者が「そんな言い方したらあかんで!」と言っても相手は耳を貸さないだろうし、「おかあさんも悪かった」と言って頭を下げれば子どもは「どんなわがままを言っても意地をはりつづければ相手が謝ってくる」と学んでしまうだろう。

べつに親である必要はないんだけど、子育てをする上で大人が複数いるのと二人しかいないのでは、難易度がぜんぜん違う。
単純なリソースの問題だけでなく、「叱る人/フォローする人」「厳しくする人/優しくする人」「現実を教える人/理想を教える人」「ばかなことをやってみせる人/たしなめる人」みたいな役割分担をできるメリットはすごく大きい。
一人より二人、二人より三人のほうがずっとやりやすい。

ぼくは「子育てなんてどんどん家庭の外に出すべきだ」と考えている。
一部の自称保守派が「子どもは親が育てるのが正しい」なんてことを言うが、親だけで子育てをする時代なんて、歴史的に見ても世界的に見てもごくごくわずかな例外だ。
できることならうちの子だっていろんな人に育ててほしい(現実的にはなかなかそうはいかないのでせいぜい親戚に預けるぐらいだけど)。逆によその子を預かることもある。
いっときは養子をとることも検討していた。養子はいろんな事情で断念したが、どこの誰とも知らない子を金銭的にサポートしたりもしている。少額だけど。
だからぼくはいろんな子どもの親だし、ぼくの子どもはいろんな家の子だ。

「子どもは親のもの」なんて意識が早く根絶されてくれることを願う。

【関連記事】

ミツユビナマケモノの赤ちゃんを預けられて/黒川 祥子 『誕生日を知らない女の子』【読書感想エッセイ】

【読書感想エッセイ】NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班 『ルポ 消えた子どもたち』


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿