2019年3月20日水曜日

【読書感想文】「人とはちがう特別な私」のための小説 / 村田 沙耶香『コンビニ人間』

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コンビニ人間

村田 沙耶香

内容(e-honより)
「いらっしゃいませー!」お客様がたてる音に負けじと、私は叫ぶ。古倉恵子、コンビニバイト歴18年。彼氏なしの36歳。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる。ある日婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて…。現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作。

聞くところによると、太宰治を好きな人は「太宰のこの気持ちを理解できるのは自分だけだろう」とおもうものらしい(ぼくはまったく感じなかったけど)。

「生きづらさ」を抱えている人の気持ちを的確に表現したのが太宰の魅力で、けれどそれは「自分では特別なものだとおもっているけれどわりと普遍的なもの」であって、だからこそ太宰は今も一定数の支持を集めている。

穂村弘氏のエッセイにも同じものを感じる。
そして、この『コンビニ人間』も同じ系統の小説だ。

多くの人が「自分だけが特別に苦しんでいる」とおもっていること(つまりほんとは特別でもなんでもない)を『コンビニ人間』は見事に作品化している。
「小鳥さんはね、お墓をつくって埋めてあげよう。ほら、皆も泣いてるよ。お友達が死んじゃって寂しいね。ね、かわいそうでしょう?」
「なんで? せっかく死んでるのに」
 私の疑問に、母は絶句した。
 私は、父と母とまだ小さい妹が、喜んで小鳥を食べているところしか想像できなかった。父は焼き鳥が好きだし、私と妹は唐揚げが大好きだ。公園にはいっぱいいるからたくさんとってかえればいいのに、何で食べないで埋めてしまうのか、私にはわからなかった。
 母は懸命に、「いい、小鳥さんは小さくて、かわいいでしょう? あっちでお墓を作って、皆でお花をお供えしてあげようね」と言い、結局その通りになったが、私には理解できなかった。皆口をそろえて小鳥がかわいそうだと言いながら、泣きじゃくってその辺の花の茎を引きちぎって殺している。「綺麗なお花。きっと小鳥さんも喜ぶよ」などと言っている光景が頭がおかしいように見えた。
ここまで人の気持ちがわからない人はめずらしいにしても、「人が悲しんでいるところで悲しめない」とか「自分にとってはあたりまえの疑問を口にしただけなのに非常識だと言われる」なんて経験は、多かれ少なかれ誰しも持っているだろう。

ぼくはおじいちゃんやおばあちゃんが死んだとき、ちっとも悲しくなかった。「そうか、もう会えないのか」とおもいつつも「まあ順番的には当然そうなるよね」というぐらい。
自分が二年生のときに三年生が卒業してもちっとも悲しくないのと同じだった。

ぼくの母は、花を飾ったり植えたりする人の気持ちがまったく理解できないといっていた。
でも植物を育てることは好きでサツマイモとかゴーヤとかの食べられる植物は育てている。
花を美しいと感じない、ただそれだけ。

そんなふうに、みんな「あたりまえの常識」とはちょっとずつちがう価値観を持っていきている。
その「ちょっとちがう部分」を『コンビニ人間』は巧みにくすぐってくれる。



 いつまでも就職をしないで、執拗といっていいほど同じ店でアルバイトをし続ける私に、家族はだんだんと不安になったようだが、そのころにはもう手遅れになっていた。
 なぜコンビニエンスストアでないといけないのか、普通の就職先ではだめなのか、私にもわからなかった。ただ、完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。
マニュアルに従うことの心地よさ、というのは少しわかる。

学生時代、家族経営のお好み焼き屋でアルバイトをした。ずっとなじむことができず、三ヶ月でやめてしまった。
「自分で考えて動け」と言われ、自分がこうだとおもう行動をとると「勝手なことをするな」と言われた。店の人は勤務中は厳しいのに、仕事が終わると妙になれなれしく「お父さんはどんな人なの」「慣れない一人暮らしで困ってることない?」と話しかけてきた。たぶんアルバイトのことも「家族同然」におもいたかったのだろう。ぼくにはそれが耐えられないぐらい居心地が悪かった。

その後でアルバイトをしたレンタルビデオ屋は、行動がすべてマニュアルで決まっていた。
返却作業、レジ、清掃、入荷や返品の処理。ひとつひとつにルールがあり、水曜日の20時になったらこれをする、と決まっていた。
マニュアルをおぼえるのはたいへんだったが、おぼえてしまうとすごくやりやすかった。
そして新たな発見があった。マニュアルに従ってやると、ふだんならできないこともできてしまうということだ。

お好み焼き屋でバイトをしていたときは「いらっしゃいませー!」と大きな声を出すのが恥ずかしかった。それはぼくがぼくだったから。
でもレンタルビデオ屋でマニュアルに沿って動いているときは「いらっしゃいませー!」がスムーズに言えた。気に入らない客にも笑顔で「ありがとうございました!」と頭を下げることもできた。自分ではない、"店員"という役になりきっていたからだろう。

ふだんは引っ込み思案な北島マヤがガラスの仮面をかぶることでどんな人物にもなれるように、マニュアルにしたがって行動することで店員らしいふるまいが自然とできるようになるのだ。
衣装を着てメイクをしたほうが役に入りやすいように、マニュアルがあったほうが店員になりやすい。
マニュアル通りの接客は人間の心が感じられないなどというが、むしろ心(みんなと同じ心)を持たない人に心を持たせてくれる装置がマニュアルなんじゃないだろうか。

社会の歯車になんかなりたくねえよ、という人もいるが、社会という機構のパーツとなることがむしろ心地いいひともいるのだ。
むしろそっちのほうが多数派なのかもしれない。



へそまがりなので話題になった本はあまり読まないのだけれど、『コンビニ人間』はすごく評判がよかったので読んでみた。


うん、おもしろい。
自分とはぜんぜんちがう人間なのに、ふしぎと共感できる。

「人とちがう特別な私」のための居場所をつくってくれるような小説だ。
この小説が芥川賞を受賞して売れている、ということこそが「人とちがう特別な私」は特別でもなんでもない、という証左なんだけどね。

「人とはちがう特別な私」であるぼくも、やっぱり共感した。
自分を特別扱いしたままで居場所を提供してもらえるんだから、こんな気持ちのいいことはない。


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