2019年3月29日金曜日

元号について

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ふだん、元号はほとんど使わない。
会社の書類関係も基本的には西暦で作る。

元号なんてなくしてしまえなんていう人もいる。
ぼくはそうはおもわない。あまり使わないけど、あったほうがいいとおもう。


ぼくらはあまり時間をとらえるのが得意でない。
数十年単位で物事を考えることはほとんどない。長くて数年、ほとんどが一年以内だ。

一年先の予定なんてまったく決まっていないし、一年以上前の思い出がすっぱりなくなったとしても生活する上ではそれほど不自由は感じないだろう。

八十歳まで生きて、文書や写真や映像で記録を残せるようになった現代においてもこうなのだから、原始狩猟採集生活をしていた時代の人類には、数年単位で物事を考えることなどほとんどなかったにちがいない(そして人類の歴史の大部分はそういう生活をしていた)。
人類は長いスパンで物事を考えられるようにできていないのだ。



そこで役に立つのが、時代の区切りだ。

「平成時代」という区切りをつけることで、長い時代を脳の中で整理しやすくなる。

たとえばテクノロジーの分野だと
「平成は、携帯電話やインターネットが爆発的に普及した時代」
とか。

経済だと
「平成は、長く不況に苦しみ終身雇用制度や年功序列賃金が崩壊していった時代」
とか。

たいていの物事はいっぺんには変わらないので、一年単位だと短すぎる。
一世紀だと長すぎる。百年前と今とでは何もかもがちがう。そもそも百年前のことを記憶している人がほとんどいない。

ある程度の長期的な変化を把握するには、元号ぐらいの長さがちょうどいい。
(ただし昭和は長すぎる。戦争で出征していた世代と、生まれたときからコンビニもファミコンもあった世代を「昭和生まれ」で一緒くたにするのはさすがに無理がある)

昭和は例外(大正時代が短かった+医学の驚異的な進歩があった)にしても、元号は天皇の世代交代が区切りになるから、必然的に二十~三十年ぐらいの長さになる。

平成は三十年と四ヶ月。
これはちょうどいい長さだ。

女性の初産時の平均年齢がだいたい三十歳ぐらいだそうだ。
つまり平成元年に生まれた子どもが、次の元号の元年に親になるぐらい。

元号がちょうど一世代。
これぐらいのスパンだと「ひとつの時代が終わる」という感じがして、感覚的にはちょうどいい。

数十年たってから「たまごっちが流行ったのっていつだったっけ」「CDを買わなくなったのっていつだったっけ」「あいつと出会ったのはいつだったっけ」と振りかえったときに、西暦何年かはわからなくても「平成時代だったな」ということぐらいはわかる。

数十年前の記憶なんてそれぐらいでいい。
こういう節目があるのはけっこう便利だ。

だから元号はこれからもぜひ存続させてほしいとおもう。



とはいえ、役所の文書で元号を使わせることには反対だけどね。

それとこれとは別問題だぜ。


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