2019年3月16日土曜日

差別主義者判定テスト

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先日、住んでいる市からアンケートが届いた。
ランダムに選ばれた人に送っているのだと書かれていた。
多くの人の中からぼくが選ばれた、というのがなんとなくうれしい。御礼ということでボールペンも同封されている。

アンケートに回答していると「なるほど。今回のメインテーマはLGBTなのだな」と気づいた。
「死にたいと思ったことはありますか?」とか「世帯年収は?」といった設問もあるが、LGBTについて問われている設問がやたらと多い。
なるほど、これからどんどん改革をしないといけないホットなテーマなので、それにあたって意識調査をしているわけだな。

ぼくはリベラル派を自称している。
自分自身は異性愛者だが、LGBTの人たちにも住みやすい世の中になればいいと思う。

 同性間での婚姻を認めることについて …… 賛成

 同性カップルについてどう思いますか …… ぜんぜんイヤじゃないよ

 職場の人や友人がトランスジェンダーだったらどうですか …… ぜんぜんいいじゃない。ぼくは差別しないよ!

ってな感じで答えていたのだが、「自分の子どもが同性愛者だったらどう思いますか?」という設問ではたとペンが止まった。

むむむ。それは……イヤ……かもしれない。
いや、正直に言おう。イヤだ。



同性婚に反対する人は、頭の固い古い人間だとばかにしていた。
「同性愛者は生産性が低い」とか「同性愛者ばかりになったら国が滅びる」とかいう政治家を、「現代の感覚にアジャストできない老人」とあざ笑っていた。
自分はちがう、性嗜好や性同一性障害で人を差別したりしないと思っていた。

しかし自分の子どもがそうだったら、と思うとやっぱりイヤだ。
イヤといっても矯正できるものではないので結局は受け入れるしかないのだが、とはいえ心から「そのままでぜんぜんいいよ」と言えるかというと自信がない。
将来娘が女同士で結婚したいといってきたら心からおめでとうと言えるだろうか。わだかまりはないだろうか。「やっぱり男の人じゃだめなの?」と訊いてしまわないだろうか。

自分はリベラルだ、差別意識はない、と思っていても結局は他人事としてとらえているからなんだろう。
いざ自分のすぐ近くのこととして直面すると、「どんな人でも受け入れるよ!」と広げていた手をおろしてしまいそうになる。

自分の娘が結婚相手として連れてきた人が同性だったら、障害者だったら、被差別部落地域に住んでいたら、重い病気を抱えていたら、生活保護受給者だったら。
そうでないときと同じスピードで「おめでとう!」と言えるだろうか。
「差別するわけじゃないけど他の道を選んだほうが苦労しなくていいんじゃない?」とおためごかしに言ってしまわないだろうか。
自信がない。

アンケートのたったひとつの設問が、ぼくの中にあった差別意識を鮮明に暴きだした。

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