『カラスの親指 by rule of CROW's thumb』(2012)
Amazonプライムで鑑賞。
道尾秀介の小説を映画化したもの。
詐欺で悪人から大金を騙しとる、っていういわゆる「コン・ゲーム」の王道のようなストーリー。
コン・ゲームって、小説だとジェフリー・アーチャーの『100万ドルを取り返せ!』とか伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』、映画だと『オーシャンズ』シリーズや『ラスベガスをぶっつぶせ!』なんかが有名だね。
そういう作品をいくつか見ているので『カラスの親指』も
「予想外のハプニングがあり、失敗したかにみえてもじつはそれも計算通りで、最終的にはうまく金をとるんだろうなー」
と思ってたらまさにそのとおりの展開だった。
……と思いきや、もうひとひねりあった。
だまされたー!
と気持ちよく叫びたいところだけど……。
んー、この展開はいただけない。
完全にやりすぎ。ご都合主義が過ぎる。
「最後に大どんでん返し」をやりたいあまりリアリティを捨ててしまった。
「たまたまうまくいった」の10乗みたいな確率のストーリーを「全部私の筋書き通りです」って言われてもなあ……。
これは一例だけど、ほかにも穴だらけだった。
しかも無駄金使って大芝居を打つ動機が弱いし。
このへん、原作小説ではちゃんとつじつま合わせてるのかな?
一応ちゃんと伏線は張ってあってフェアではあるけどね。
でもフェアだったらなんでも許されるわけじゃないぜ!
2時間40分もある長編映画だったけど、無茶などんでん返しを入れるぐらいなら、2時間ですっぱり終わってほしかった。
終盤まではけっこう楽しめただけに残念。
冒頭の競馬場のシーンはよかったなあ。
詐欺師3人の騙しあい。
あのシーンがいちばん「おお!」ってなった。
村上ショージの演技が笑っちゃうぐらいへただった。
「ぱっとしない詐欺師」の役だからへたでもあんまり気にならなかったんだけど、セリフが聞きとれないところも。
ラストの重要なセリフまで棒読みだったけど、あそこで豹変してシリアスな演技をしてたら全体の印象も大きく変わったんだけどな……。
時間がたっぷりあるのに、セリフで説明してる箇所が多くて疲れてしまった。
阿部寛が聞かれてもいないのに自分の過去をべらべらしゃべる。
あまりにあけっぴろげだから「これも嘘なんだろうな」と勘ぐっていたら、全部ほんとだったのでびっくりした。
詐欺師なのにオープンすぎる!
しかも隠したい過去なのに。
そのへんが「詐欺師として一流にはなれない」という人物描写なのだとしたらアリだけど、たぶん何も考えてないだけ。
原作小説の地の文で説明してることを、何も考えずにセリフにしちゃったんだろうなー。
公開時のキャッチコピーは
「衝撃のラストには、衝撃のウラがある。」
だったそうだけど、そろそろこういう
「驚愕のラスト!」
「ネタバレ禁止! あなたもきっと騙される」
みたいな映画、やめにしない?
あと「映像化不可能と言われた〇〇がまさかの映画化!」も。
(『イニシエーション・ラブ』とか『アヒルと鴨のコインロッカー』とか)
中にはよくできているものもあるけどさ。
でも監督の自己満足に思えちゃう。
よく映像化したなーとは思うけど、でもべつに映像化する必要なかったんじゃない?
「観客をだますタイプの作品」って映像には向いてないんだよね。
小説だと
- 「読者はすべての文を読む」という了解があるので伏線やトリックが見過ごされにくい
- すべてを描写する必要がないので、都合の悪い情報は隠すことができる
- かんたんに読み返せるので「あーそういうことか」って思ってもらえる
でも映像作品は
- 画面の情報量が多いので伏線の提示がさりげなさすぎると観客に気づかれない
- 読者に与えたくない情報まで画面に映ってしまう
- かんたんに見返せないので、観客が「そんな伏線あったっけ?」ってなる
(難しいからこそ『シックス・センス』のようにうまくはまったときは衝撃も大きいんだけど)
「やってやれないことはない」ぐらいだったらやらないほうがいいと思うんだよなあ。
映画には映画の長所があるんだからさ。
小説では表現しづらいスピードとかリズムとかスリルとかを表現するのには向いてるんだし。
作品ごとに適したメディアは違うから、無理に映像化・アニメ化・コミカライズ・ノベライズしないほうがいいと思うなー。
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